第2話 精神は物理に影響するんだね…本当に胸が痛い
「ただいまー」
汗ばんだ額の汗を乱暴に拭いながら家に入ると爺ちゃんがとても渋く険しい顔をしながらテレビを見ていた。それは家政婦が悪人を追い込んでいくドラマで、爺ちゃんが好きなやつだ。
「なんて顔して観てるんだよ爺ちゃん」
帰ってきた俺に気付かない爺ちゃんの事がなんだか面白くなって暫く眺めていると、爺ちゃんがニヤッと笑う。
いよいよクライマックスなのか、家政婦とその仲間達が悪者らしき人物を数に物を言わせて追い込んでいる…恐るべし。
爺ちゃんは「うんうん」と頷いている。どこに納得したのだろうか?
割と近くにいるけれど、俺に気が付かない爺ちゃんを覗き見しているようで申し訳なく思い、再び声をかけた。
すると爺ちゃんは「なっ!」と驚きの声と上げてテレビの電源を消してしまった。別に如何わしい何かを見ていた訳じゃないんだから、そんなに驚かなくても良いのに。
「ただいま、爺ちゃん」
本日二回目のただいまを宣言。
「おかえりマキト。ん?お茶かそれ?お茶なら家にもあるぞ?」
うんうんそうそう、これお茶なんだけどね、ナナカの事が心配になって後をこっそりつけていたら7777が揃った自動販売機を何故か蹴って逃げていったよ。
「ナナカはどうした?」
「なんか一緒に帰ろうって言ったら用事があるからって」
爺ちゃんは納得していないご様子だ。教室でふとナナカを見たら鬼の形相で俺を睨んでいたんだから俺だって納得していない。
と、俺は適当に床に寝転んだ。今の俺は完全に不貞腐れている。ナナカの機嫌の悪さの理由を改めて考えても何一つ分からないし全くもって理解不能だ。
そんなザ・不貞腐れな俺を爺ちゃんは見逃さなかった訳で。
「喧嘩でもしたのか?」
「してないよ」
していません、たぶん。朝は普通だったし、昨日だって何もなかったし…特に思い当たる節がない。絶賛不貞腐れ中の俺は考えることを止めて完全に不貞寝する。
「アナタ、私達の数に勝てると思ってますの!」
俺と爺ちゃん以外の声が微かに聞こえる。さっき爺ちゃんが見ていた家政婦のやつだ。数によって勝利を収めた家政婦達は果たして正義なのか悪なのか。
▽▼▽
ぱちっと目覚め、時計を見ると午後二時を過ぎていた。
お昼ご飯を食べずにそのまま不貞寝したからお腹が空いた。テーブルの上を見ると婆ちゃんの御仏壇にあった和菓子が戻って来ていたから適当に食べる。
「あ、そういえば…お昼にと思ってお前達用にピザがあるんだった」
「なんでそれを早くに言ってくれないの!!」
まあ、仕方ない。婆ちゃんの御仏壇から御帰りになられた和菓子でお腹を満たしたということは、これ即ち婆ちゃんに甘えたということだ。この地より遠く離れた天国にいる婆ちゃんもきっと喜んでいるだろう。
体が弱かった婆ちゃんは俺が生まれる前に既に亡くなっていた。
写真を見ると綺麗な人なんだよこれがまた。母さんも婆ちゃんに似て綺麗だし。女の人は父親に似ると綺麗になるって聞くけど、母さんは婆ちゃんに似て良かったねって思うよ…勿論そんな事を正面切って爺ちゃんには言えない。
「どうしたの爺ちゃん?」
爺ちゃんが確実に俺の背後に視線を向けている事を俺は見逃さない。とっさに振り返る。いや、振り返ろうとした瞬間、俺の首に何かが巻き付いてきた。
あまりにも驚いた俺の体は飛び上がる。けれど、締め付けられた首と背後から圧し掛かるプレッシャーで身動きが取れない。
殺られる!この殺気は教室で受けたあの強者からのと同じモノだ!
「んんんんんん!!」と物理的沈黙効果に陥った俺は、首に回された腕に高速連打でタップして今できる最大限の降伏宣言をする。
肉体と精神に受けたダメージで視界が定まらない。あ、婆ちゃん…今、逢いに行くよ。
「これこれ、首はダメだ、首は」
爺ちゃんからの首以外なら問題無いみたいな台詞で首を絞めていた腕が緩む。
暗殺から逃れた俺は後ろを振り返ると、当然の如くそこにはちょっとだけ頬を赤く染めたナナカがいた。
ただ、それは見慣れたナナカではなく、背中まであった長い髪が、最長で顎のあたりまで短く切り揃えられたナナカだった。
爺ちゃんはそんなナナカを見て「おお…おおおお…」と、壊れ始めている。
「お爺ちゃん聞いて!マキトがね、最近先生の顔をじっと見てるの!今日だってずっとだよ!それでね、先生の顔をじっと見た後に必ず私の顔を見るの!私知ってるの!マキトが先生の事が好きだって!そして私が先生みたいに綺麗だったら良かったのにって思ってる事も知ってるの!!」
普段そこまで口数が多くはないナナカだけど、口数多く捲し立てる感じに話す時は本気で怒っている時だ。ナナカが食べるのを楽しみにしていたちょっと豪華なプリンを勝手に食べた時の様子に酷似している。
それからナナカの台詞に困り果てた顔をした爺ちゃんが、俺に聞こえない様に目の前でナナカと公開ひそひそ話を始めた。そういうのは対象人物に見られない所でやって欲しい。ひどく傷つく。
「えっ!!」
ナナカが動揺する様に小さく声を上げる。いや、だからそういう事は目の前でして欲しく無いんだけど。
精神的なダメージを受ける事で胸が痛むとか例えるけれど、精神は物理に影響するんだね…本当に胸が痛い。
心の中の俺は苦痛な表情で胸に手を当ててヒールを唱える。が、全く癒えない。
ヤレヤレな感じの爺ちゃんが俺を見る。俺だってヤレヤレだ!
ナナカのお母さんは俺とナナカが三歳の頃に事故で亡くなっている。しかし、家族で撮った写真は残ってるし、俺の母さんがナナカのお母さんの同級生という事もあって、卒業アルバム等で俺はナナカのお母さんの顔は知っている。
もしも、写真の中のナナカのお母さんの様にナナカも髪を短くすると、なんて思うことがある。
「長い髪も似合ってるけど、ナナカのお母さんみたいに顔が小さいナナカは短めの髪も似合うんじゃないかなって爺ちゃんと話した事があるんだ。それに先生ってほら、髪短いでしょ?だから、その、先生の顔を見ながらナナカもあんな風に髪を短くしたらって思ったんだよ。ナナカのお母さんって美人だし、だからナナカも…もっと美人になるんだろうなって。そうだろ爺ちゃん!」
俺は勇気を出した。爺ちゃん、あとは助けてくれ!顔を赤くして俯いてしまったナナカにこれ以上は何も言えない!
「まあ、そんな所だと思うぞ…五十点だな」
五十点ってなんだよ。ところで爺ちゃんがナナカを見るその目は、どこか懐かしい人を見る様な目をしている。
「じぃ…俺もそう思ってマキトとそんな話をした事がある。これは嘘ではない」
爺ちゃんはナナカにだけ自分の事を「じぃ」という時がある。俺はそんな爺ちゃんをじーっと見る。俺の特別な視線に気付いた爺ちゃんが少しどもりながら話を続ける。
「ナナカは母親のマナミの様にきっと綺麗な女性になるだろう。学生の頃のマナミはナナカの父親と一緒によくこの家に来ていた。そして何か気にいらない事があると、後ろからふざけて首を絞めていた所までそっくりだ」
親譲りか!遺伝なのか!
ナナカのお母さん、あなたはいつ何歳の時に穏やかになったのでしょうか。それともその凶暴性をずっと抱えたままだったのでしょうか!
「その…ごめんね。帰りの時に…」
ナナカは顔を赤くして俯いたまま帰りのお誘いを無碍にした事を謝る。俺としてはいきなり息の根を止めようとした事に謝って欲しいのだけど。
なんだろ、恐怖で体が僅かに震え出してきた。
まああれだ、もう夏休みなんだしそんな事は忘れておもいっきり遊ぼう!
とかなんとか思う事にしないと薄っぺらなガラスメンタルの俺は、殺されかけた事のショックを引きづりこの夏を楽しめないだろう。
それにしても、髪を短くしたナナカは前よりも素敵になったと本気で思う。先生の事は好きだけど、それはナナカに優しいからであって、それ以上でもそれ以下でもない。
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