第51話 END

 森を抜け、辿り着いたそこは、一面に広がるネモフィラの花畑だった。鮮やかで可愛らしい青い花。とても美しくて、清々しい気持ちになる。


「うわぁ……綺麗ですね」


 ソフィアは思わず声を漏らす。どうだい、凄いだろ。僕を見くびってもらっては困るな。


「館の近くに、こんなに綺麗な場所があるなんて……」


「だろ? 僕も知らなかったんだ。前に村の人に教えてもらったんだ。だから、いつかソフィアも連れて行ってあげようと思って」


「なんだ、ブラッド様が見つけたのではないのですね」


 とソフィアはため息をつく。……村の人に教えてもらったって言わなきゃよかった。


「それにしても、灯台もと暗しですね。私たちは素晴らしい世界を求めて遠い国々を旅したのに、美しい景色はこんな近くにもありました」


「確かにそうだね。でも、遠くへ行かないと分からなかったことだって、沢山あるよ」


 僕たちは随分と長い間旅をしてきた。その中で、たくさんの人々や土地に触れてきた。


「あ、そうだ」


 ソフィアは何かを思い出したかのように、エプロンのポケットを探る。「はい、これ」と言って、ソフィアは何やら本を渡してきた。


「なんだい、これ?」


「私の日記です。あなたとともに旅をした記録をつけていました。私が持っていても仕方が無いので。忘れないうちにと渡しておきます」


 革表紙の分厚い日記。知らなかった。いつの間に書いていたんだ?


「ありがとう。大事にするよ」


 この日記の厚さの分だけ、僕たちは旅をした。そう思うと、なんだか感動した。目に見えるって、いいな。

 後でゆっくりと読むことにしよう。


「……あ、僕に対する悪口や不満は書いていないだろうね?」


 と、僕は笑って尋ねた。面と向かってあれだけ言ってくるんだから、まさか日記にまでそんなことを書くはずがないだろう。


「……」


「なぜ黙るんだ! ソフィア!」


 喚く僕を軽く流し、ソフィアは尋ねた。


「ブラッド様は、私がいなくなっても、ちゃんと一人でやっていけますか?」


「ああ、もちろんだよ。僕はもう、一人でも大丈夫」


 僕は胸を張って答える。


「それなら、良かったです」


 ソフィアは安心したように頷いた。


「ブラッド様のことだから、私が死んだら、きっと綺麗で優しくて、ブラッド様に甘い、若いメイドを雇うのでしょう?」


 なんだよ、その嫌味ったらしい言い方は。


「僕はもう、メイドを雇うつもりはないよ。誰かに頼らなくても、僕は生きていける。それに、君以上のメイドは、この世には存在しないよ」


 これだけは断言出来る。するとソフィアは満更でもないように言う。


「あら、そうですか。まあ、そうですよね。わがままなブラッド様の面倒を見れるのは、私くらいしかいないですものね」


 その通りだよ。僕のお世話ができるのは、ソフィアくらいしかいない。

 ほんと、よく今まで飽きずに僕の面倒を見てくれたなあ。

 

 僕たちは再び、ネモフィラの花畑を眺めた。どこまでも青くて、天気の良い空に合っている。

 

「……あなたの未来に、私はいませんが、たまにはその日記を見て、私のことも思い出してくださいね。これだけ苦労してあなたのお世話をしてきたのですから」


「ああ、嫌でも思い出すよ」


 絶対に忘れない。どれだけ時が経とうと。

 こんなに毒舌で、失礼で、素直で、強くて優しい、僕の最高なメイドを、忘れられるわけがない。


「……できることなら、この先もあなたの成長を、栄光を見届けたかった」


 彼女がそう言った瞬間、僕の中で、色々な感情が渦巻きだした。悲しくて、嬉しくて、切なくて、それでも幸せで。

 分かっていたはずなのに、ソフィアとの別れが近づいていると痛感する度に、僕の胸は締め付けられた。


「私はいつだって、ブラッド様の味方です。だから、これからも自惚れながら、せいぜい長い人生を満喫してくださいね」


 ソフィアは優しく微笑んだ。


「ああ、もちろんだよ」


 僕はソフィアにバレないように、零れそうな涙を拭った。

 もうソフィアは、僕についてきてはくれない。ここから先は、一人で生きていかなければならないのだから。


 出会いがあれば、別れがある。その別れを乗り越えて、人は強くなる。

 いつかはみんな、僕の周りからいなくなってしまう。ソフィアも、グレイも、そして、父さんも。

 でも、もう大丈夫。僕はもう、世間知らずで引きこもりの吸血鬼ではないから。一人でやっていける。悲しみも苦しみも、全部一人で背負っていける。だから、心配しないで。


 僕たちは空を見上げた。太陽に照らされた、明るくて美しい世界が、そこには広がっている。

 そして、きっとこれからも、僕の知らない素晴らしい世界が待ってる。

 だから、こころゆくまで、旅を続けよう。様々な出会いと別れを繰り返しながら。


 暖かい春の風に吹かれながら、僕は未来に向かって微笑んだ。





*********************





 僕は、旅に必要な最低限の荷物を持って玄関に立った。

 黒革のブーツのかかとを鳴らす。髪はオールバックにして、ワックスで固めている。相変わらずイケメンだ。

 そして、赤い瞳を輝かせながら、黒いマントを羽織り、フードをかぶる。

 振り向いても、僕を見送ってくれる人は、もういない。

 

「行ってきます」


 誰もいない館に向かって、僕は言った。住み慣れたこの館とは、またしばらくお別れだ。

 これから先、どんなことが待っているのだろう。

 初めて旅に出た日のことを思い出す。なんだか懐かしいなと、思わず微笑んだ。


 僕の旅は終わらない。この先もずっと。


 僕は勢いよく、館の扉を開けた。

 清々しい朝の光が差し込む。


 そして、一歩踏み出した。


 さあ、行こうか。素晴らしい、外の世界へ……



                  END



 

 

 

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