第50話
穏やかな木漏れ日がさす森の中を、僕たちはゆっくりと歩く。心地よい風が僕のマントを揺らす。
「いいところってどこなんですか? ブラッド様のことだから、どうせそんなにいいところではないのでしょう?」
と、ソフィアは文句を言った。
「失礼な。君に見せたい場所があるんだ」
ソフィアは一瞬怪しんだが、どうせ大したことないだろうと思ったのか、話題を変えた。
「それにしても、ブラッド様が村で人気者になるなんて、昔なら絶対ありえませんでしたよね」
「そうだね。あの頃じゃありえなかったよ」
と昔のことを思い出す。
アンデッドとの戦い以来、僕たち吸血鬼のような人外は、人間に受け入れられるようになった。
僕たちが命をかけてアンデッドの襲撃から国を守ったことが、全世界に広まったのだ。
『人間と仲良くなろうの会』の会員バッチは、信用していい人外の証となった。
もちろん、僕たち人外の中には、悪いやつだっている。だから、警戒心を完全に無くすというのは無理だ。このバッチが、人間と仲良くなりたいと思う人外にとって、重要なものとなったのだ。人間に危害を加えませんという、大事な証だ。
ちなみに、僕も会員になったよ。僕の胸元の、いつかの女の子にもらった赤色のブローチの横に、しっかりと会員バッチが輝いている。
「ところでさ、ソフィアは、結婚とかしなくて良かったの?」
「なんですか、急に」
「だってさ、ソフィアも女の子なんだから、一度はウエディングドレス着てみたいとか、思わなかったのかなって……」
彼女はずっとあの館で、メイドとして働いてくれた。もしかしたら、僕が彼女の自由を奪っていたのかもしれないと思うことも、たまにあった。
「別に、私は元々結婚するつもりなんてありませんでしたから。あなたがそんな心配をしなくていいんです」
「そうなの?」
「はい。私の人生は、ジョゼフ様がいなければ終わっていました。だから私は、ジョゼフ様のもとを離れようとは思いません。あの方が、私を救ってくださったのですから。高望みはいたしませんよ。私は生きていられるだけで、幸せなのです」
ソフィアはそう宣言した。ソフィアが決めたことならば、別にいいけど。
そんなことより、僕はずっと聞きたかったことがあるんだ。今なら聞けそうだと思い、僕は思い切って尋ねる。
ソフィアがたまに向けていた父さんへの表情。あれは絶対、恋する乙女の顔だった。今まで触れにくかったが、あれからもう何十年も経ったんだ。いいよね?
「あー、あとさ、その、ずっと聞きたかったんだけど……というか、聞きづらかったんだけど……ソフィアって、父さんのこと、その、好きだったの?」
「逆に、ジョゼフ様が嫌いだと言う愚かな人間って、いるんですか?」
「いやいや、そうじゃなくて。恋愛的な意味で」
すると、ソフィアに睨まれた。
「……女性に向かって、ズカズカとデリカシーのないことを言うのが、ブラッド様のモテない原因だと思います」
うるさいな……僕がモテないのは、まだ世界が僕の魅力に気づいていないだけだから。
「安心してください。ジョゼフ様に対するこの感情は、恋ではありませんよ。これは、憧れです」
ソフィアはそう言った。
「ジョゼフ様は、手の届かないくらい、尊くて偉大な存在なんです。私が一方的に、あの方に憧れているだけなのです。振り向いてくれなくていい。ただあの方が幸せならば、私はそれでいいのです」
そういうと、ソフィアは微笑んだ。
内心ほっとしている自分がいる。父さんとソフィアが結婚したら、ソフィアは僕のお義母さん……絶対嫌だ。
「……実は私、ジョゼフ様に、吸血鬼にして欲しいと頼んだんです」
驚いた。それは初耳だ。
「私が吸血鬼になれば、ずっと、あの館にいられると思って……だけど、ジョゼフ様には断られてしまいました」
「どうして?」
「あなたには、永遠という苦しみを味合わせたくないって」
母さんの時もそうだった。父さんは言っていた。愛しい人を、吸血鬼にはできないって。死にたくても簡単に死ねない、この苦しみを味合わせたくないと。今なら僕にも、その気持ちがわかるような気がした。
残念ながら、僕には人を吸血鬼にする能力はないけどね。でも、なくて良かったと思っている。
「ジョゼフ様は、私のことも、奥様と同じくらいとはいいませんが、大切に思っていてくれたのでしょう。私はそれだけで、十分です」
ソフィアは満たされたように上を見上げた。
「それに、私の周りには、私の夫になってくれるような物好きな人はいませんでしたからね」
と、冗談めかして言う。
「そうかな?」
それはさすがに過小評価だと思う。君は美人だったし、仕事もできたし、頭もいいし力も強い。ご主人様に対する失礼と、口の悪さは少し直した方がいいと思ったが。
ソフィアは十分、魅力的な女性だったと思うよ。
「もし僕が人間だったら、君をお嫁にしていたよ」
僕がそういうと、ソフィアは驚いたように、青い瞳で僕を見つめてきた。そして照れたようにそっぽを向く。
「馬鹿な冗談はやめてください。面白くなさすぎて、全世界が凍りつきます。凍え死んだらどうしてくれるんですか」
「ははっ。いいね、その顔」
ソフィアは怒ったのか、足を早めた。
今のはわりかた冗談ではないんだけどね。
吸血鬼の国の、人間と吸血鬼が結婚することは死刑に値するなどという掟はなくなった。それは、吸血鬼が人間に歩み寄ろうとしたからだ。急に仲良くしろというのは難しい。でも、少しずつ、分かり合おうとする努力しているのだ。
その掟の廃止は、吸血鬼にとって、命を脅かされる危険なことだと分かっている。だけど、人間も吸血鬼のことを、ただの野蛮な種族だとは思わなくなった。それはすごい進歩だと思う。例のアンデッド討伐も、いい影響を与えたひとつだ。
僕たちの関係は、不安定な信頼関係によって成り立っているのだ。この不安定なものが、いつかは安定することを願って。
でも、いくら関係が良くなっても、人間と吸血鬼の寿命の長さは違うから、結局傷つくのは僕たちだ。
いつも少しだけ想像してみるんだ。もし僕が、人間だったら……って。
ソフィアやグレイ、その他の旅で出会った人々と一緒に歳をとり、思い出話に花を咲かせながら、そして、緩やかな眠りにつく。それが叶えば、どれだけよかったか。
でも、僕は吸血鬼として産まれたんだ。みんなよりも長く生きることができる。それが僕の宿命だ。だから、みんながいなくなっても、その先を精一杯生きようと思う。
今は楽しいことを考えよう。残された時間は少ない。後悔をしないように、今を大切にしなければ。
「さあ、もう少しだ。とっておきの場所だから、楽しみにしててよ」
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