第7話

 グレイが風呂から出てきたあと、芸を見せてくれることになった。テーブルと椅子を端に寄せて、場所を確保する。


「俺、ジャグリングの他にも、パントマイムとかもできるし、アコーディオンとかも弾けるんだぜ」


「すごい!」


 僕は感心した。まず、彼はパントマイムを披露してくれる。まるでそこに壁があるかのように振舞ったり、無いものをあるように扱って見せたり。表情も豊かでとても面白い。

 続いて彼はアコーディオンを手に取る。実物は初めて見た。蛇腹のふいごを伸縮させ空気を送り、鍵盤を押す。独特な音色に合わせて、グレイは歌を歌ってくれた。知らない曲であったが、自然と楽しくなってくる。

 僕は拍手をした。


「すごい! ねえ、僕もその楽器やってみたい!」


「いいぜ、ほら」


 僕はグレイからアコーディオンを受け取った。やり方を教わりながら、弾いてみる。

 ピアノならアルバートに習ったことがあるから、きっと弾けるはず。ちなみに、ダンスもだ。この二つは、半ば強制的に習わされた。


「おお! 結構上手いじゃん!」


「えへへ、ありがとう」


 褒められて嬉しくなる。


「それにしても、君はほんとに凄いね。こんなにたくさんのことができるなんて」


「ありがとう。でも、俺はまだまだだ。世界には、もっとすごい人達が沢山いるからね」


 グレイは苦笑いを浮かべた。


「それでも、僕はすごいと思った。僕は旅に出て間もなくて、知らないことばかりだったけど、君のような誰かを笑顔にするような人間がいることを知ってすごく感動したよ」


「褒めても何も出ないぜ?」


「知ってるよ」


 僕らは笑い合った。こんな楽しい時間が、ずっと続けばいいのに。僕は彼と出会って良かったと思っている。


「俺は人の笑った顔が好きだ。だから大道芸人をやってる。まあ、実際俺に出来ることはこれしかないから。行くあても無く色んな場所をさまよっているけど、俺にはこの暮らしが合ってると思うんだ。色々な人の笑顔が見れてとても嬉しい。泣いてる人には笑って欲しいし、辛い思いをしている人の心を晴れやかにしたい。だから、君みたいに率直な感想を言ってくれる人がいて、俺はすごく嬉しいよ」


 グレイの話を聞いていると、彼は本当に優しい人なんだなと思う。


「まあ、僕は正しくは人じゃないけどね」


「そうだった、お前は吸血鬼か!」


 再び僕らは笑った。


「君はこれからどうするの?」


 一通り余興を楽しんだあと、僕は尋ねた。


「昼寝してもいいか? その、早くベッドを堪能したくて……いつも外で寝てたから、ふかふかのベッドで寝たくて……」


 グレイが遠慮がちに言った。


「もちろん、いいとも。僕も昼寝しようかな。昼間はあんまり外に出たくないし」


「やったー! ありがと!」


 グレイはお礼を言うと、ベッドにダイブした。


「あー、でも、狭くないか? このベッドに二人だと……」


「あ、それなら気にしなくていいよ。僕はベッドは使わないから」


「え?」


 グレイが不思議そうな顔をするので、僕は荷物の中から、最近買った寝袋を取り出した。


「寝袋? 部屋の中だぜ?」


「僕は狭い場所じゃないと眠れないんだ。だから、いつでもどこでもこれで寝るんだ」


「なんだそれ」

 

 おかしそうに笑うグレイ。無邪気だなと微笑ましく思う。


「それじゃ、俺は寝るわ。今日はやけに眠たいんだよな……」


 グレイは欠伸をする。

 その後、僕たちはおやすみの挨拶を交し、眠りについた。



 目が覚めると、あたりはすっかり暗くなっていた。もう夜だ。随分と寝てしまっていたようだ。

 僕は背伸びをした。ベットではグレイが毛布にくるまって気持ちよさそうに眠っている。

 僕は窓に近づいた。今日は満月だ。見とれていると、グレイがゴソゴソと動く音がした。


「おや、起きたのかい?」


 グレイは体をゆっくりと起こした。


「ほら、今日は満月だよ。僕のように美しい吸血鬼にお似合いの夜だと思わないかい?」


 真ん丸な月を眺めながら、僕はグレイに声をかけた。しかし返事はない。


「おい、無視するなよ!」


 ふとグレイの方を見ると、彼はただぼーっと月を眺めていた。寝ぼけているのかなと、人差し指で頬っぺをつついてみる。だが、反応はない。動こうとしない。まるで、魂を吸い取られたかのように、心ここに在らずといったような感じだ。周りが見えなくなるほど、月が魅力的なのだろうか?


「グレイ?」


 様子がおかしい。僕の声が聞こえていないようだ。

 次の瞬間、僕は驚くべき光景を見た。グレイの体から、灰色の毛が生え始めたのだ。最初は腕、それから胴体や顔に広がっていく。頭にはふたつの犬のような耳。目は月明かりに照らされて鋭く光り、牙を剥き出しにしていく。手足には尖った爪。

 そう、彼は一瞬にして狼へと姿を変えてしまったのだ。狼は月に向かって遠吠えをした。

 狼は暴れ出す。部屋のベッドや壁を引っ掻き、暴れ回る。棚は大きな音を立てて倒れ、机に置いてあったコップは床に落ちて割れる。

 僕は慌ててマントを羽織り、フードを被って窓から外に出た。そして、外側からソフィアの部屋へと向かう。窓を何度も叩いて事態を知らせる。

 やがて窓が開き、ソフィアが顔を出した。


「何事ですか? ブラッド様」


 どうやら大きな物音で、何となく大変なことになっていることに気づいているようだった。


「大変だ、グレイが!」


 僕とソフィアは急いで僕の部屋に行った。部屋は荒れていて、足の踏み場がないくらい色んなものが倒れていた。そしてそこに、狼の姿はなかった。

 僕は急いで窓に駆け寄り、下を覗いた。ここから狼は飛び降りたようだ。町を荒らしていく姿が見えた。急がないと、大変なことになる。

 僕らは急いで外に飛び出した。空を飛んで狼の目の前に降り立つ。

 狼は店の果物を貪り食い、陶器屋の食器を次々にわっていく。人々の悲鳴や逃げ惑う声が町中に響き渡る。

 騒ぎを聞きつけた、町の屈強な人たちは、様々な武器を持って狼を取り囲む。しかし、狼はそんなものお構い無しで人々に襲いかかった。

 そんな時、横で何かが風の速さで動いた。ソフィアが狼に近づいたのだ。手にはバタフライナイフが握られている。そんなものを持ち歩いていたのか? 彼女は慣れた手つきで狼のお腹を蹴りあげ、馬乗りになり、ナイフを突き立てようとした。強すぎるでしょ。まさか、殺す気だろうか?


「ソフィア! 殺してはいけない!」


 彼女はナイフが皮に触れるギリギリのところで手を止めた。


「そいつはグレイだ! 元は人間だ!」


 僕がそう言った瞬間、人々はざわめいた。


「グレイって、あの大道芸人だよな?」「あの人、狼男だったの?」「ああやって俺たちの気を引いて、町を襲う気だったんだ!」


 人々の表情が、困惑から怒りへと変わっていく。グレイは本当に、そんなことが目的だったのか? 人々を楽しませたあと、恐怖のどん底に陥れる。そんな残酷なことをする人なのか? 僕は信じたい。彼がそんな人ではないことを。実際僕は、彼に楽しませて貰った。彼のパフォーマンスを見て、感動した。彼はいつも笑顔で、人々を魅了してきたのだ。あの笑顔が嘘だとは思いない。だったらやることは一つだけだ。

 狼はソフィアを振り払い、遠吠えをする。あの狼に理性はない。きっと自分が人間だったことを忘れている。

 僕は狼の元へ走った。


「止まれ! 君は人間だ! 目を覚ませ!」


 そう叫ぶと、狼の動きが止まった。僕と狼は見つめ合う。狼は僕を疑うように、僕は狼を信じるように。

 しかしそれに効果はなかった。狼は僕に飛びついてきた。自分の顔が傷つくのだけは避けたかったので、咄嗟に腕で守る。狼は噛み付いてきた。僕の腕に……

 一瞬何が起こったのか分からなかった。目の前にある腕に、狼の尖った牙が食い込んでいる。そこから真っ赤な血がポトンと地面に滴り落ちた。後からじわじわと状況を理解する。


「やばいやばいやばいやばい痛い痛い痛い痛い僕の腕ぇぇぇぇぇぇ!」


 慌てふためいて間抜けな声を出している僕の横で、声が聞こえた。チラリとそちらを見ると、僕のメイドが両手で口を覆っていた。彼女は、笑うのを我慢するかのように肩を震わせている。ご主人様がピンチの状況で笑うメイドは最低だと思うのだが。正気かな?


「す、すみません、ブラッド様。つい……」


「そんなことより、助けてよ!」


 その拍子に、僕のフードがとれた。やばい、と思った瞬間にはもう遅かった。人々は僕を見ては、形相を浮かべた。


「き、吸血鬼だ!」


 フードの影になって隠れていたとんがった耳や肌の色が露になったことで、一瞬にして吸血鬼だとばれてしまった。

 僕は人々の敵になってしまった。



「町の危機だ! 災いが訪れたのだ!」「神様、私たちをお助け下さい!」「狼と吸血鬼、まとめて殺してやる!」


 ひどい。今現在、僕は狼に噛まれているのだが。それに、吸血鬼と分かった瞬間のこの態度の変えよう。偏見とは恐ろしいものだ。これが普通の反応なのだ。グレイが特別だっただけ。それにしても、僕はこの町で君たちに何か危害を加えたか? 何か悪いことでもしたか?

 理性を失った狼男と、人情のある吸血鬼。彼らにとってはどちらも敵なのだ。外見だけで、種別だけで判断する愚かな人間たち。もちろん、中にはいい人たちもいることは知っている。だけど、僕らが分かり合える日は、きっとものすごく先の話だろう。

 僕はため息をついた。この狼に噛まれているのだ現状と、人々に対して。そんな時、狼の噛む力が緩んだ。そして狼はその場に倒れる。前を見ると、ソフィアが木の棒を構えていた。これで狼の頭を殴ったのだ。どうやら気絶したようだ。

 僕の白い腕には、くっきりと歯型が残っている。まあ、吸血鬼は再生能力が高いため、しばらくすればどんな怪我だって治るからいいけど。


「ブラッド様、もうこの町にはいられませんよ。その狼を連れて、遠くへ逃げてください」


 ソフィアは僕に耳打ちした。


「君はどうするんだい?」


「私はこの場を収めてから、後を追います」


 僕はフードをかぶり、後のことはソフィアに任せ、狼をお姫様抱っこして、空へ飛び立った。人々のありとあらゆる暴言や非難が聞こえてくるが、ここは怒りをグッと抑えてとにかく逃げる。


 


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