世界を巡るヴァンパイア

秋月未希

第一章 吸血鬼、旅に出る

第1話

 世界の一番西にあるエアスト国の、深い深い森の奥には、ひっそりと佇む古びた大きな洋館があった。

 とんがった屋根。クモの巣が張った外壁。黒い門を超えたその先にある、不気味な雰囲気を漂わせるこの場所には、誰も近づこうとしなかった。

 この館には吸血鬼が住んでいるという噂がある。その姿をハッキリと見たものはいない。あくまでただの噂だ。

 次第に、若い女性をさらって館に連れ帰り血を吸うだの、吸血鬼に出会ったてしまったら切り殺されるだの、ありもしない噂まで流れ出した。

 だから村の人たちはみんな怖がって、夜に森に入ることを禁止しているのだ。


 そんな噂をされているとはつゆ知らず、一人の吸血鬼はこの館で、呑気に暮らしているのであった。



 気持ちよく寝ている時に起こされるのが1番嫌いだ。


「おはようございます、ブラッド様」


 僕の部屋の入口に立って、そう声をかけているのは、僕のメイド、ソフィアだ。


「……もうちょっとだけ……むにゃむにゃ」


「もう一度起こしに来るのがダルいので、さっさと起きてください」


 メイドが、そう言いながら広い部屋のカーテンを勢いよく開ける音が聞こえる。

 そして、棺の蓋を開けられた。朝の光が眩しい。せっかく真っ暗闇の中で居心地が良かったのに。


「そんな狭いところで寝て、窮屈ではないのですか? お部屋はこんなに広いのに、もったいないです」


 ソフィアは僕の寝室を見渡しながら言った。

 正面には大きな古時計。端の方には小さな棚。窓にはレースのついた薄い白いカーテンの上に、太陽の光を完全に遮る分厚い黒のカーテンという二重構造。そしてこの部屋のちょうど真ん中に、僕の棺がポツンと置いてある。他には何も無い。何も無さすぎて少し寂しい気もするが、それでいい。この広い部屋に棺を置いて、その狭い空間だけを使い、あとは無駄にするというこの部屋のもったいなさがたまらないのだ。

 棺の中は人ひとりがすっぽりと入るくらいの大きさしかない。もちろん寝返りをうつのは困難だ。だけどそれがまたいい。すごく落ち着く。


「僕はこの棺の中が、この世で最高の場所だと思っているよ」


「そうですか。なら一生そこにいてくれて構いませんよ。なんなら私があなたを一生棺から出られないようにしても」


「もう、ソフィアったら、冗談がきついよ」


「あはは、そうですね。それはすみませんでした。つい本音が」


 メイドはブロンドの長い髪を揺らしながら微笑んだが、透き通る青い瞳は、明らかに笑っていなかった。


「それでは、食堂で朝食を用意して待っていますので、さっさと顔を洗って、着替えて来てくださいね」


 着こなされた丈の長いメイド服のスカートを翻し、ソフィアは部屋を出ていった。

 その後、僕は再び棺の蓋を閉じて、眠りにつくのであった。



 ソフィアに再び叩き起されたところで、僕の朝(現在はほぼ昼に近い)のルーティンを紹介しよう。

 僕は部屋を出て、まず洗面所に行く。そして目の前にある大きな鏡で自分の顔をじっくりと眺める。寝癖のついた黒い髪に、まだ眠そうな赤い瞳。透明感のある白い肌。とんがった耳。鋭くとがった2本の牙。

 寝起きの僕も素敵だ。

 そして顔を洗い、さっぱりとした後、また鏡を見て自分の顔の美しさに惚れる。

 寝癖を直して、衣装室へ向かう。ここにはたくさんの服やマントがある。全部僕のものだ。

 その中から洋服を選んでいく。今日は白のシャツに黒のスラックス。そしてグレーのベスト。胸に青色のリボンを結んだ。最後にフードのついた黒いマントを羽織れば完成だ。立ち鏡に向かってポーズを決める。

 やっぱり僕って素敵だ。

 わりときちんとした格好だが、特にどこかへ出かけるというわけではない。常にこの格好だ。

 その後、僕は食堂へと向かった。


「おはよう。今日のブレックファーストは何かな?」


 僕は長テーブルの端っこの席に座った。


「あら、ブラッド様。何の用ですか?」


 ソフィアが厨房からすまし顔で出てきた。


「え? 何って、朝食を食べに来たんだけど」


「今更何ですか? ほら、ご自身で時計を見てみてください。もう十時をまわっておりますよ。朝食ならもう片付けてしまいました」


「お腹すいたんだけど」


「だから……なんです?」


「僕は君のご主人様だよ?」


「そうなんですね、初耳です」


「嘘だ! 僕はお腹を空かせたまま、昼まで待たなければならないのかい?」


「よくお分かりで」


 ソフィアは勝ち誇ったように微笑んだ。


「何か食べたければ、ご自身で用意してください。それでは、私はお庭の手入れがあるので」


 僕のメイドは嬉しそうに去っていく。僕をいじめて楽しんでいるんだ。

 僕はそのままテーブルに伏せた。お腹の虫が鳴く。


「坊っちゃま、お可哀想に……」


 一部始終を見ていた年寄りの執事、アルバートが近づいてきた。


「アルバートぉ、僕に朝食を恵んでくれぇ」


「すみません、坊っちゃま。私はジョゼフ様に、あまり甘やかすなと命じられておりますので……」


 アルバートは申し訳なさそうに言った。ジョゼフというのは僕の父さんだ。くそ、父さんめ、余計なことを言って。


 父さんは今、世界中を旅している。昔から旅好きで、母さんと出会ったのも旅先らしい。

 母さんは僕が小さい頃に死んでしまったから、ほとんど記憶にない。

 吸血鬼には、寿命がない。そして不老だ。だから、心臓に杭を打ち付けられない限り、死なない。あと、太陽の光を長時間浴び過ぎれば灰になる。

 ということは、母さんは誰かにそうやって殺されてしまったのではないかと、僕は勝手に思っている。その辺のことは、いくら尋ねても教えてもらえなかった。


「坊っちゃま、ジョゼフ様から手紙が届いておりましたよ」


 アルバートは、封蝋で閉じられた白い封筒を手渡した。僕はワクワクしながら封を開ける。中には、見慣れたきれいな字で書かれた便箋が二枚ほど入っていた。


『ブラッドへ

 お久しぶりです。元気にしていますか? 私は超がつくほど元気です。ソフィアやアルバートに迷惑をかけていませんか? 

 私は今、北の国にいます。と言っても、あなたがこの手紙を読んでいる頃には、私はとっくに出発していますね。北の国はとても寒いです。でも、楽しいです。ものすごく大きな氷河を見たり、オオカミが引くソリに乗ったり。雪男にも会いました。彼は見かけによらず、優しくて愉快な方でしたよ。ぜひブラッドにも会わせてあげたい。

 息子を一人屋敷に残して、私ばかり楽しんでいるのは悪く思います。でも、どうしてもやめられないのです。若い頃から世界を駆け回っていたため、どうやらひとつの場所に留まり続けることのできない体になってしまったようです……

 旅は楽しいですよ。ぜひブラッドにも、この楽しさを味あわせてあげたい。色々な出会いがあって、色々な経験をして、すごく成長できると思います。あなたももう二十五歳、大人ですから、少し、外の世界を見てみてはいかがですか? 時には世界の残酷な部分が見えてしまう時がありますが、それでも世界は美しくて、輝いています。

 あ、もし本当に旅に出る気があるのなら、ソフィアに着いてきて貰いなさいね。あなたは少々世間知らずなところがありますから(私の責任でもありますが……)。

 きっと良い経験になりますよ。そしたら、もしかしたら、どこかで出会うかも知れませんね。

 それでは、無事を祈って。

             ジョゼフより』


 度々、父さんからはこのような手紙が届く。僕を残して楽しいことばかりしている父さんには、少し苛立ちを覚えるが、こんな話を聞いていると、少し羨ましいと思う。

 父さんが帰ってくるのは年に一度。酷い時は三年帰ってこなかった。本当に自由人だ。でも、帰ってきた時は、お土産をたくさん買ってきてくれて、旅先での話も聞かせてくれる。それを聞いていると、自然と僕の旅への憧れが強くなっていった。

 僕はもう二十五歳。十分大人(なはず)だ。だから、旅に出てみてもいいのではないだろうか。


「私も若い頃は、ジョゼフ様と一緒に旅をしていたんですよ。あの頃は楽しかったです。今はもう、足腰が悪くて旅など出来ませんがね。本当に、ジョゼフ様はお元気すぎて……やはり、人間と吸血鬼の体力は、本当に違うのだと実感しました」


 アルバートは懐かしそうに語る。ちなみに、アルバートとソフィアは人間だ。こんな吸血鬼たちに仕えてくれているとか、どれだけ物好きなのだろう。


「それでは坊っちゃま、今から私はここを掃除するので、少しは外に出て散歩をしてきてはどうですか? ソフィアが手入れをしているバラの花が、綺麗に咲いていましたよ」


「ほう、それは見てみたいものだ。少し外へ出てくるよ」


 僕は、アルバートに言われるがまま、玄関から外へ出るのであった。……これはもしや、遠回しに邪魔だと言われているのかな? 


         

 










         

 



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