第50話 マインドフルネス

 東京都千代田区にある私立マルクス高等学校は今時珍しい革新系の学校で、在学生には(後略)



「もう終わり……鬱だ死のう……」

「わー待って待って! そんな細い木にロープ吊っても死ねませんよ!!」


 ある日の下校中、私は公園にあるものすごく細いケヤキの木にロープを吊って自殺しようとしていた女子高生を慌てて制止した。


 女子高生は私が突撃してきたことで姿勢を崩して砂地に倒れ、私の顔を見上げるとその正体に気づいた。


「あら、マルクス高校の人じゃないですか……ええと名前は……」

「硬式テニス部1年生の野掘真奈です。やっぱり宇津田うつださんだったんですね」


 黒髪貞子さだこヘアの彼女は私立ケインズ女子高校硬式テニス部2年生の宇津田うつだ志乃しのさんで、以前からメンタルがやられやすい人だとは聞いていた。



「で、今日は何で死のうと思ったんですか?」

「朝に体温を測ったら37.1度もあって、無理して登校しようとしたら玄関の柱に小指をぶつけたんです。家の外に出たら子犬に吠えられて、学校では調理実習で指を切るしトイレで紙がなくて死にかけました。これはもう私は重い病気にかかってるに違いないと……」

「全部どうでもいい事件ですけど少なくとも子犬とトイレは関係ないのでは……」


 自らを重い病気と思い込んでしまう症状は心気しんき妄想と呼ばれるらしいが、宇津田さんの場合は妄想にしても根拠がなさすぎると思った。


「最近本当に辛いことばかりなんです。ソシャゲのステップアップガチャで3周分石を貯めておいたのに目当てのSSRは手に入らないし、大好きなパスタ屋はリニューアルオープンに備えて閉まっちゃうし、彼氏は予備校に通い出したからってデートをよく断るんです。こんな私生きてても仕方ないの……」

「全然不幸じゃないじゃないですか! 何考えてるんです!」


 どれも不幸どころかむしろ幸せな話題だが、宇津田さんがあらゆることをネガティブに考えてしまうのは確かに深刻な問題だと思った。



「いきなり病院に行ってみてはとは言いませんけど、宇津田さんもうちょっと前向きに生きてみましょうよ。世の中にはもっと不幸な人が沢山いますし、自分で自分のメンタルを向上させるマインドフルネスの心構えが大事なんじゃないですか?」

「そうですね……分かりました。今日からなるべくネガティブな言葉は使わず、あえてポジティブな言葉を使っていきたいと思います。そうだ、私と同じような悩みを抱えている人とも連帯してみます。今日はありがとうございました……」


 宇津田さんはそう言うとよろめきながらその場を立ち去り、私はこれで本当に大丈夫なのだろうかと不安になった。



 その翌週……


「生きろ生きろ! 生きろ生きろ!」

「私たち『生きろ生きろ団』は世の中にポジティブシンキングを訴えて参ります! さあ皆様もご一緒に、生きろ生きろ!」


 街中でメガホンを使って騒いでいる集団を興味本位で見に行くと、そこでは宇津田さんにひきいられた目つきの危ない人々が騒いでいた。


「宇津田さん、これは一体……」

「野掘さんの助言を受けて、私たちは世界の人々に『生きろ!』という強いメッセージを投げかけていくことにしました。これが私たちなりのマインドフルネスのやり方なんです。もちろん警察の許可を得た街宣活動ですよ」

「ええ……」


 いきなり極端な方に行きすぎな気がしたが、警察の許可は得ているらしいし問題のある主張をしている訳でもないので私はまあ大丈夫かなと思った。


 その時……



「ふう、今日も先生にじっくり話を聞いて貰えたぞ……ん?」

「あなた、こちらに通われているんですね。私たちと一緒にマインドフルネスの街宣活動をしませんか」


 近くのビルに入居している精神科クリニックから出てきた中年男性に、宇津田さんは嬉々として声をかけた。



「いや、僕は休職中の身なので……」

「休職!? それはいけません、もっと自分の人生を前向きに生きなくては! 生きろ生きろ! 頑張れ頑張れ頑張れ!!」

「そうだ、頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ!!」

「うわあああ、勘弁してくれええええええええええ」

「診療所への営業妨害と迷惑防止条例違反で逮捕する!!」

「え、そんな私たちは許可を取って嫌あああああああ」


 駆け付けたお巡りさんに連行されていく宇津田さんと仲間たちを見ながら、私はしばらく留置所で反省して欲しいと思った。



 (続く)

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