闇夜の狩人
柊ハク
第1話 着任
深夜、その車は今は使われなくなった公道を悠然と爆走していた。一昔前までは煌々と夜道を照らしていた街道沿いの街灯は一様に沈黙している。運転席にてハンドルを握る妙齢の女性はタバコをふかしながら、不機嫌そうにしていた。これからこれが僕の上司かと思うとなんとも先行きは不安である。初対面からこうまで感情をあらわに、それもネガティブな方向に露出させているとなれば印象は最悪だ。人間は出会って1秒で相手の印象を大まかに決め、後の1分でその人の印象を確定するという。僕の中で既にこの人はダメ上司だ。だが印象は印象だ。もしかすると後の仕事で見直す事があるかもしれない。期待はしないが。期待はしただけ後悔もデカくなる。ならばやはり期待は低めに設定するのがデフォルト安定。心の安寧を管理するのは自分にしか出来ないのだから。
「おい」
ぶっきらぼうな言い方にややムッとしながら言葉を返す。
「なんですか?」
「おまえ、名前は?」
「ユウです。香月ユウ」
「ユウは何ができる?」
「聞いてないんですか?」
意外だった。これから取り掛かる魔物退治(正確には魔物じゃないが)は命に関わる大変なお仕事だ。少なくとも養成所ではそう聞いている。パーティ間での情報共有は勿論の事、事前に互いの能力を知っている事は必須だ。残念な事に僕には守秘義務の観点から教えられないと、この上司の情報はなにも与えられなかったがしかし、上司の方もなにも聞かされていなかったとは。
チッ、と舌打ちすると人差し指でコツコツとハンドルを叩きながら言葉を紡ぐ。
「ウチの部署の嫌な所だ。人を人と思っていやがらねぇ」
「…それは、なんとも」
「どうせあと10分以上かかるんだ。今のうちに自己紹介しておこう」
「わかりました」
不機嫌の理由はどうやら会社のやり方に不満があるから、らしい。もっとも、着任した新入社員が僕みたいな小童なのも彼女の機嫌を損ねる一因にはなってるかもしれない。気を緩めずにいよう。
香月ユウ、15歳。両親は既に他界し、施設で育つ。戦闘適正から傭兵養成所に預けられ、戦闘技術を磨く。剣戟から銃撃戦に至るまで基礎は人並み、特殊技能としては召喚魔法がある。
「獣でも召喚するのか?」
「いえ、そういうのは人同士の連携が難しくなるので履行していません」
「そうか、確かにな」
「僕が召喚するのは専ら武器です」
「剣とか銃とかか?」
「はい、とりあえず手元になんでも召喚出来るように訓練しました。省略術式で剣を1ダース、銃は拳銃、サブマシンガン、ショットガン、スナイパーライフルを一丁ずつ召喚出来ます。本部に連絡すれば時間はかかりますが戦車も呼べますよ」
部分的に嘘はあるが、まぁこれからの付き合いで必要になったら明かす事にしようじゃないか。手札は必要程度に晒す。本当に大事な事は隠す。人生の教訓だ。誰の言葉だったかは忘れたが。
「そういえば名前を伺ってませんでした」
僕は今やっと気がついたというフリで上司に質問する。本当は自分が名乗った時点でてめえも名乗り返せよ気が効かないな、と思っていた事は内緒だ。部署的にも人柄的にもお世辞にもコミュニケーションが得意そうには見えない。こういった事は後々も自分がリードする事になるのだろう。
漏れそうになるため息を噛み殺しながら、愛想笑いを向けると、苦笑しながら彼女は答える。
「古城レイだ」
「レイさんですね」
「古城さんと呼べ」
「わかりました。古城さんですね」
名前呼びして少しでも親しみを、と思ったが向こうから拒絶された。別に良いもん、こんな愛想の無い人と仲良くしたいとか全然思ってないし。でも仲悪いのも仕事やりにくくなるよなぁ。
「古城さんはこの仕事を始めて長いんですか?」
「そう見えるか?」
「えーっと…」
なんだろう、女の人に年齢を聞くな的なノリだろうか。こんな質問でいちいちキレられてはたまったものではないが。
「雰囲気が熟練そうに見えます。落ち着いてるし」
適当に言葉濁す。
「…5年になる」
「それはベテ…、いえ経験豊富で僕としては心強いです」
ベテランという言葉に「年増」というニュアンスを敏感に感じ取る面倒くさい種族がいる事を寸でのところで思い出し言葉を改める。意味同じだろうが、と突っ込みたくもなるが経験豊富と言うとなぜか怒られにくい事は知っている。
「新人を預かるのはこれで8回目だ」
「…そうですか」
彼女の部隊には彼女の他に戦闘メンバーはいない。それは暗に、彼女以外の面子が死去している事を差していた。運が良くて部署替えの可能性が無いではない。しかし、そういう事は稀だと聞く。彼女は過去7回新人を預かり、7回部下を失ったのだ。
それきり会話は途切れ、目的の場所へ辿り着く。
高速道路のように舗装された道を降りて、山道へ。古き良き村といった風情の集落。しかし人の気配は無い。代わりに悍ましい化け物と血の匂い、そして至る所に暴れた跡があった。
「私が先行する」
付いてこい、とジェスチャーを送られ、小声でラジャーと返し、僕らは荒れ果てた民家へと歩を進めた。
砂利道にはいくつかのなにかが引き摺られた跡があった。それらは、恐らく人の跡なんだろう。もしこれが対人戦であれば、民家をひとつひとつ虱潰しに暴いて、中が安全である事を確認しながら進んだ事だろう。今回は人を襲う化け物相手。それらは大抵獲物を1箇所に集めてそこに巣食う。だから確認は必要ない。例外もあるにはあるが、そういうタイプは扉や家屋の中に罠を仕掛ける。一連の処理が終わった後に焼き払うのが最も効率的だとされているのだ。
「近いぞ」
「はい」
僕は拳銃を構えて古城さんの後に続く。そういえば古城さんはどんな武器で戦うのだろうか?お互いの情報交換をしようという話のはずだったのに、車内では僕ばかり喋ってしまった。古城さんのデータは僕にはない。
「おまえは見てるだけで良い」
尋ねようとすると、古城さんは振り返らずにそう言った。…なんだろう、思考でも読まれているのだろうか?
「いた」
指信号で待機の指示が出る。僕はその場に、すぐ動けるよう片膝を立てて動きを止める。万が一の時には迎撃ないし逃走するために。僕の動きを一瞥した後、古城さんは身の丈ほどの戦斧を取り出した。召喚魔法だ。そして僅かに腰を落とすと、化け物らに突進した。
集落の開けた場所。本来なら田畑であったであろうそこにはうず高く山が出来上がっており、その頂上に一際デカいのが1匹、周囲に小柄なのが数匹散見される。
古城さんの動きは速かった。飛び出して、山の頂上へ一気に加速し、振り上げた戦斧を力任せに叩き込んだ。悲鳴を上げる間もなく化け物は両断され、驚いた周囲の小柄なのは逃げるか戦うか、逡巡しているようだった。戦斧を担ぎ直し、古城さんは近場にいた化け物を横薙ぎに割く。抵抗を全く感じさせないフルスイングに、ようやく周りの小物らはそれぞれ腹を決めたようだ。その多くが逃げる選択をしたらしい。数匹の向かってきた小物を、あっさりと片付けると、古城さんは戦斧を放って1匹を葬った。残るは3匹。三者三様の方向へ逃げるが、古城さんは慌てた様子を見せなかった。ブツブツと数秒何事かを唱えたかと思うと右手を空へ掲げて魔法を行使した。
「雷撃」
パンッと乾いた音がして、化け物らは全滅した。
「香月」
「はい、なんでしょう」
「荼毘に付すぞ」
「…はい」
化け物らが築いていた山はこの集落の住人たちだった。化け物らの習性の一つである。
暗闇で、わけもわからず殺され、引き摺られ、この人たちはさぞ無念だっただろう。僕は着火剤を取り出して、死体の山に火を付けた。本来なら、遺体をひとつずつ調べて、清めて、親類縁者の元へ返すべきなんだろう。僕らはそれをしない。死体は他の化物を集めるからだ。運ぶ手が無いわけではない。しかし、それが出来ない事情があった。
燃え盛る炎の前で、古城さんは静かに手を合わせていた。手を合わせ、目を閉じ、俯いていた。あるいは、泣いていたかもしれない。それほど彼女は落ち込んでいるように見えた。僕も古城さんに倣い、手を合わせる。救えなかった、という後悔の念は湧かない。救える方が稀なのだ。この化け物らが出現したら高確率で全滅する。そういう定めだ。だからせめて、安らかに眠ってくれと思う。同情だろう、これは。
「ママ?」
背後から幼い声がして振り返る。
「…は?」
女の子がいた。クマのぬいぐるみを抱きかかえた、寝巻き姿の少女、いや幼女と呼ぶべきだろう。生存者だ。僕は咄嗟にしゃがみ、目線を合わせる。
「こんばんわ」
「…ん」
幼女はやや警戒したように一歩後退りする。そんな、今は同期にも評判の営業スマイルを浮かべているのに。
「…」
ザッと足音が聞こえて振り返ると、古城さんが何事かを決意した表情で、とは言っても背後の火の光で影になってよく見えないんだけど、ズカズカと歩いてきた。えっ、この人なんでこんな口をへの字にしてんの?子供嫌いなの?なんとなく幼女に危害を加えそうな気配を感じて間に入るように動くが、予想は外れ、彼女はやや幼女とは違う方向へ歩き出し…通り過ぎた所で振り返った。
満面の笑みだ。
僕は背筋にゾッとするものを感じ、口元を押さえる。出会ってからこれまで、ピクリとも笑わなかった女性が、笑っている…不気味だ。彼女は僕と同じようにしゃがんで幼女と視線を合わせると、猫撫で声で言った。
「あたしはレイちゃんだよぉ。可愛いクマちゃんだね。お名前はなんていうの?」
絶句している僕とは対照的に、幼女は嬉々として答えた。
「あのね、グーさん」
「そっか、グーさんかぁ」
「グーさんはね、あのね、ジャムが大好きなんだよ。ジャムたくさん食べるの」
「そうなんだぁ可愛いねぇ」
「うん!」
相好を崩した古城レイという人間は先程までの剣呑な雰囲気はなんだったのかと思わせるほど喋ったしよく笑った。なんなんだこれは。
「あなたの名前はなぁに?」
「千登勢コハル!」
「コハルちゃんかぁ良い名前ね」
「いひひ」
あっという間に仲良くなり自己紹介も終えると、諸々の諸手続きを全部僕に丸投げして、古城さんはコハルちゃんに手を引かれ、家へと案内されていった。いや、後処理もやろうよ…
「私は幼女が大好きなのだ」
「あ、はい、そうですか」
帰りの道すがら、ぶっきらぼうに彼女は宣言した。
「私がこの仕事を始めたのは、コハルのようなあどけない幼女を救うためなのだ」
「…そうですか」
もはや返事をするのも億劫になってきていた。僕も別に、正当な理由あって勤務しているわけではないが、彼女ほど己の性癖に忠実なつもりもない。
千登勢コハルは後部座席で寝息を立てていた。
僕らが赴いた集落は調査の結果、コハルを除く全ての住民が全滅。奇跡的に生き残っていた彼女は保護する運びとなった。本部に報告している時の古城さんのニヤついた顔と、上擦った声に僕はドン引きしていた。人が死んでんねんで!!
「彼女は保護施設で育つ事になるんですよね」
孤児院に送られ、然るべき教育と訓練を受け、適性があれば戦闘員に、あるいは補助員として、あるいは全く関係ない普通の人間として生きる事になるんだろう。しかし、こうして保護された人間の大半は戦闘員になる。僕のように。
「いや、彼女は私が育てる」
「は!?」
このロリコンババア…‼︎そこまで性根が腐ってやがるのか…‼︎
バッと顔を見ると、しかし、そこに想像したようなニヤけた顔は無かった。代わりにあったのは、毅然とした顔だ。見方によっては、泣きそうにも見えた。ともかく、真面目腐った顔をして、彼女は再び口にした。
「私が育てる」
「…」
ギロリと横目で睨まれれば、僕から言える事は何も無かった。万が一こいつが間違いを犯せば(この様子を見るにそうはならないような気もするが)、その時は僕が責任をもって然るべき機関に連絡しよう。そして空いた席に僕が座るのだ。期せずして昇進の機会を得てしまった!なんつって。僕も大概不謹慎だった。
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