この世界は正常ですか?
ほしむらぷらす
本編
序章「SF世界」
#0001 SF世界は正常ですか?
#0001「旅立ち」
21XV年、7月――世界軸1216。
薄暗い空の下。
ネオン管のような光り方をする宙に浮いた広告が輝く『クズ
この電子街は年中天気が悪く、今夜も例に違わず雨が降り続いていた。
街中に響く雨音を聴きながら、細く狭い路地を走る小さな人影があった。
それは、黒いレインコートを
履いているスニーカーは、すでに雨で濡れていて、きっと靴下もびしょ濡れだ。
人影は路地から大通りに出て、傘を差した人混みの中を潜るように目的地へと突き進む。
その人影は通行人の大人達と比べて一回り小さく、少年か少女のような背丈だ。
そして、人影は足を止めた。
黒いレインコートのフードの中から青い瞳が建物の看板を見つめる。
そこには『イ
街灯が人影から影を消す。
レインコートを着たそれは、肩を上下に揺らしながら呼吸を整えて、建物へと入っていった。
自動ドアが開き、建物の天井から温風が吹き込む。
この温風は、一般的な店先に設置されている瞬間乾燥機と同じもので、濡れた衣服を一瞬で乾かす代物だ。
温風を浴びたレインコート・スニーカー・靴下から水気はなくなり、周囲との温度差からホカホカと湯気が出ているようだった。
レインコートを脱ぎ捨てる。
その少女は、銀のように輝く白い長髪。
灰色のドレスシャツに黒のスカートを着こなす。
顔はかわいらしい童顔だが、どこか冷酷な目つきに冷たい印象を与える青の瞳が輝いていた。
そして、雨が乾いたはずの頬には、一粒の涙が流れていた。
少女は、研究所の廊下を進み、所長室と書かれた扉を開ける。
部屋の中は、照明がついておらず、廊下からの明かりだけが差し込む。
少女が入り口から部屋の中を見渡すと、初老の男が白い壁を背に座っているのが見えた。
この初老の男が、この研究所の所長である。
その名は――
「ナルカ博士……」
少女が声を掛けたが、返事はない。
ナルカ博士と呼ばれた男の周りには、赤黒い血だまりが広がっていた。
ナルカ博士に近づく少女は、その様子を見て、博士の心拍停止を再確認した。
博士のバイタルサインに異常事態が発生すると、その情報が少女に送信される仕組みだ。
博士が寄りかかる壁の対面に大型のモニターがあった。
それが起動し、映像が流れ始める。
起動音に気づいた少女は、振り返り、モニターを見た。
そこにはナルカ博士が映っていた。
少女は、ナルカ博士の言葉を静かに待つ。
「ワシのバイタルサインを観測して、駆けつけてくれたのだろう?」
おそらく、少女の声帯なのか、何かしらの情報を感知して、この動画は流れているのだろう。
少女は問いかけに答えることなく、モニターを見つめ続ける。
博士は、少し悲しそうな眼をしてカメラを見つめていた。
「ついに、ワシは肉体を失ってしまったようだ。だが、悲しむ必要はない。いずれこうなることは分かりきっていた。だからこそ、準備は怠っていない!」
博士は力強く言葉を残す。
しかし、また悲しい眼をした。
「……謝らせてほしい。これから巻き起こる世界の危機に、キミ一人で対峙させてしまうことを。だが、時は来た。来てしまったのだ。多字元宇宙を救うのは、ワシの最高傑作であるキミだ。ワシは、キミの……マナの活躍に期待する」
そこまで聞くと、マナと呼ばれた少女は動き始めた。
所長室を飛び出して、実験室へと向かっていく。
実験室には、様々な計測センサーやボタンスイッチ、直径3メートルほどのリング状をした機器――マルチヴァースゲートが立っていた。
マナはいくつかのスイッチを操作して、マルチヴァースゲートを起動させる。
赤白い火花のような光が、リングの中央を渦巻くように流れていく。
赤白い光はやがて薄緑に変わって、起動が上手くいっていることを伝えているようだった。
マナは、スカートのポケットから5センチほどの正立方体を取り出した。
そして立方体を握りしめる。
立方体はクシャリと歪み、そしてゲート同様に、薄緑の光を放ち始めた。
マナは手を開き、その光を確認すると、ゲートへと歩き出す。
ゲートの先は壁になっているが、構わず、手に持つ歪んだ立方体をかざして進んでいく。
ゲートの中の光に、少しの変化が現れた。
それはどこか別の世界の景色が映っていた。
そしてゲートは、どこか別の世界へと繋がっている。
だが、マナには、どこへ繋がっているのか分からない。
マナの手は光の渦の中へと入っていく。
やがてゲートの光はマナの全身を包み、空間は揺らぎ、そしてマナは光の中に消えていく。
光が収まり、マナの姿はもう見えない。
既に別の世界へ遷移したのだった。
#0003「見送るヒト」
マナがマルチヴァースゲートを通り抜けるところを、見届ける者がいた。
肉体を失ったナルカ博士だ。
彼は、天井に設置された監視カメラを通してマナの動きを見ていた。
所長室のモニターに映った映像も、マナは録画したものだと思ったようだが、返事をすればナルカ博士も応答したことだろう。
ナルカ博士はマナからの返事が欲しかったわけではない。
マルチヴァースゲートの起動、ゲートを使って別世界へ旅立つことを、マナに期待していた。
そして、マナは期待通りに旅立った。
ナルカ博士は満足したように、カメラを傾ける。
だが、屋根から屋外・上空を観測するカメラに異常を感知した。
その異常は、研究所の屋根を踏み抜き、天井を崩していく。
3メートルほどの高さの戦闘兵器だ。
ナルカ博士はデータと照合させる。
(二足歩行逆関節式無人戦闘機、通称スキテア。そしてこの男は――)
スキテアの肩から降り立つスーツ姿の若い男。
穴の開いた天井から雨が降り注ぐ研究所内部だが、男の短い黒髪は濡れていない。
ナルカ博士は、男の顔を観た。
それはデータを照合させるまでもない。
紛れもなくあの男だ。
博士は慌てて音声回路を研究所内放送マイクへと接続させて、声を出す。
『イフリ、遅かったな。マナはすでに旅立ったぞ!』
名前を呼ばれたイフリという男は、天井に付いたスピーカーを見上げる。
そしてその声を耳にして理解した。
「私の名前を知っているという事は、ナルカ博士か。すでに
『どんな姿になろうとも、ワシはまだ人間だ。お前と違ってな!』
「私とは違うと、言いたいわけだな」
イフリという男は、右手を挙げて、振り下ろす。
命令を受けたスキテアが駆動し、跳躍する。
装備された武装の銃口を、クズ龍電子街に向けて、見下ろす。
「スキテア、破壊しろ!」
銃口から細長い青い光が放たれた。
光は、まさしく光速でイ塚研究所に着弾する。
その瞬間、光の輪が広がり、雨粒をはじき、地面を揺らす。
研究所は高温に焼かれ、姿を消した。
光からしばらく遅れて熱も広がり、街全体を焼いていく。
電子街は轟音を挙げ、赤い炎と黒い煙に包まれた。
年中天気が悪いクズ龍電子街の最期は、兵器の衝撃波などで雨雲がなくなり、晴れ晴れとしたモノとなった。
#0002「SF世界は正常ですか?」
マルチヴァースゲートの中は、
黄色や水色、薄紅色に光り輝いている。
その中を、マナは身体を丸めながら浮遊し、漂う。
そして、流されていく。
大きな黒い黒い穴に向かって。
穴を抜けると、そこは星々が輝く宇宙空間。
マナにとっては知らない宇宙――世界軸だ。
持っていた立方体が、掌から離れていく。
5センチほどの大きさだったそれは、歪みは無くなり、膨張して形を変えていく。
その形は
そして、正八胞体はマナを包み込んでいく。
マナが旅立ったSF世界は正常ですか?
その問いができる者も、答える者も、今はまだ誰もいない。
誰もが正しいと思う世界に導こうとしているのだ。
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