『WONDERFUL WONDER WORLD』短編集

隅田 天美

第1話 老眼鏡

「……ですから、今回の改築では……」

 平野平家の広い居間に男が二人座っている。

 巨大な一本杉を板にして脚を付けただけの卓に複数枚の紙が置かれている。

 この家の設計書だ。

 設計書には間違えないが、年代が様々に違う。

 古くは旧仮名遣いで絵筆で書かれている。

 最新のものはパソコンから印刷機で印刷されたものだ。

 大小さまざまだが、今二人の真ん中にあるのは紙ではない。

 タブレット端末である。

 その上を一人の男が指先で操作する。

 画面上の3Dモデルがぐるぐる回り大きさが変わり、可視化もできる。

 それをもう一人の男、平野平秋水は気難しそうな顔で見ていた。

 大男が沈黙を守れば、それは恐ろしい圧になる。

――普段の秋水の旦那なら「ねぇねぇ、これは何?」なんて聞いてくるのに……

 不振がりながらも営業の男はネクタイを緩めつつ熱心に説明する。

 不意に、秋水が言った。

「……目がしょぼしょぼする……」

「は?」


 数日後。


「おやっさんが眼鏡?」

 その言葉を聞いて酔いの勢いもあって石動肇は大笑いした。

 石動肇は、秋水の親友であり武道の弟子である。

 賑わっている居酒屋。

 その端のテーブルで石動はビール片手にひーひー言っている。

 笑いをおさめ、目の前にある魚のあらから身をほじくりだし口に運ぶ。

 金目鯛が美味い。

 その身を刺身にしたのを秋水の息子である正行は飯と一緒に食べていた。

 バイクで来ているためだ。

 二人は街で偶然会った。

 もとより、裏仕事を協力(秋水が強引に手引き)しているせいで旧知の仲だ。

「いよいよ、あのおやっさんも眼鏡をかける年齢になったか……すいません、タイノエの素揚げ下さい」

 石動が手を挙げて店員を呼んだ。

 

 かつて、戦場で『霧の巨人』と呼ばれ、半ば伝説と化した傭兵。

 暗殺専門の忍びの子孫であり、技量と武器を受け継いだ社会の闇に潜む一族の末裔。

 それが平野平秋水。

 もっとも、普段は善良な市民として(本人談)多角経営をしているビジネスマンである。

 普段着はアロハシャツと短パンである。


 石動の普段着は黒のスリーピースである。

 本来なら、バーなどが似合うが、石動の人柄のせいもあり居酒屋にも馴染んでいる。

「普段や仕事の時は別に異常はないのですが、止まった細かい字がぼやけるみたいですね」

 正行がじゃこ天の味噌汁を啜る。

 

 久々に石動は深酒をした。

 珍しいことだ。

「これじゃあ、グリフィスに乗れませんね」

 居酒屋が店を閉め、出た時、石動は正行の背負われていた。

 商店街のシャッターは閉じていた。

 でも、まだ、今日が明日にはなっていない。

「まだ、飲みますか?」

 誰もいない商店街を歩きながら背中の石動に正行は聞いた。

「うー……ん、今日はお前んちに泊まりたいな」

「奥さん、どうすんです?」

「……ちょっと、情緒が不安定だから今日は一人にさせようと思う。さっき、お前がお会計をしている間に電話しておいた」

「なら、よかった」

 正行の足は近くの有料駐車場に向かった。


 約一時間後。

 平野平家の家のある山の入り口で、石動は目を回していた。

「よく吐きませんねぇ」

 ここまで正行のバイクで来た。

 正行の運転は過激であった。

 もちろん、街中などでは交通安全法を守り健全な走りをしていたが、人目のない郊外に出た時、正行はスロットルを全開にした。

 シービー400アールという金属でできた野獣は吠えた。

 家に着きフルフェイスのヘルメットを取った時、正行の顔は充実に満ちていた。

 対して先にヘルメットを取った石動は道の端にしゃがみ込み眉間を摘まんでいた。

――頭の芯まで酔うな

 酒の飲み方まで教えてくれた師の言葉を守ったおかげで嘔吐と言う醜態はさらさない。

 全力で正行の体にしがみついた。

 少しでも力を抜いたら後方に吹っ飛ばさ雑木林やコンクリートに当たり大怪我をする。。

 誰しも怪我のは嫌だ。

 生半可なジェットコースターよりスリルがあった。

「石動さんだってノリノリでグリフィスに乗ると、俺以上にスゴイですよ」

「……自動車にはシートベルトがある」

 立ち上がった石動は頭を振った。

 酔いも大分醒めた。

 月が明るく、周りが少し白く見える奇妙な夜だ。

「おやっさん、泊めてくれるかな?」

「大丈夫です。最悪、俺の寝袋を貸します」

「汗臭そうだな……」


 そんな半分ふざけた会話をしながら門をくぐり古いガラス戸の玄関に入ろうとしたとき、不意に石動の足が止まった。

「石動さん?」

 声をかけるが石動は硬直していた。

「どうしました?」

 目が驚いているのが分かる。

 その視線を辿る。

 先には、まさに奇跡があった。


 一人の男が煙管を口に咥えていた。

 着流しの男が縁側で腰を下ろし口に煙管を咥え煙草を吹かす。

 明るい月の言葉のない話を聞くように、過ぎ去った過去を懐かしむように静かに男は煙草をむ。

 眼鏡をかけた、その男を見た時。

 正行は思わず、呟いた。

「じいちゃん!?」


 数か月前に他界した正行の祖父であり師匠である平野平春平。

 祖父がいる。

 正行も驚く。

 だが、数分もするとだいぶ落ち着く。

 髪型が違う。

 大きさも違う。

 色々違う。

 でも、間違えた。

「おやっさん?」

 石動の声掛けに男は反応した。

 男は思案の海から現実に戻ってきた。

「あれ? 石動クンに正行……どっした?」

 下駄……ではなくクロックスを履いてやって来た。

 身長百八十センチの石動が見上げるほどの筋肉質の大男。

 ほぼ、筋肉の動く山である。

 ニカッと笑うとなぜか安心する。

 そんな不思議な魅力がある。

 自称『永遠の二十八歳』または『心は純粋な十歳』

 これが現在の、かつて『霧の巨人』と恐れられた男だ。

「親父、眼鏡をかけるとじいちゃんみたいだね」

 正行が言った。

「うん、親父の形見を使わないのも悪いかなぁって思ってさ」

 石動は話し合う平野平親子を見て、ある羨望の中にいた。

 亡父を思い出したのだ。

 いや、秋水は父親代わりであり兄の様であった。

 家に帰って形見のパイプを吸いたいと思った。

「あれ? 石動クン。酔っている?」

「いえ……俺、帰ります」

 居心地が悪かった。

「あれ? 奥さんが……」

「夜も遅いよ。爺さんの亡霊が出るかもしれないが部屋空いているぞ……それに今の家に泊まれる最後のチャンスだぞ」

「は?」

「チャンス?」

 不明な言葉が出た。

「俺の家、解体修理するの。昨日、決まった」

 秋水は笑った。

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