第2話 木や草や花
「ああ、もう!」
赤毛の娘は、店から出るなり聞こえてきたいつもの婦人らの笑い声が、癪に障るらしかった。
「こないだも、あのおばさん、いたんだもの」
今日は金平糖を匙ですくう役をしていた。
(気をつけなくちゃ)
「私が出ていくなり、笑うことないじゃない」
この間、友達が恋占いを頼みに行くのに付いて行ったせいだ。大人たちはどうして、いちいち面白がるんだろう。聞いていないふりで聞いているし!
「どうした」
手荷物の鞄から声がした。いつも画帳が入っている、大きな鞄だ。
「なんでもない」
「あれは、お前さんを笑ったのではないようだよ。どうせ、あの男が何か、調子っぱずれなことを言ったかしたんだろう。そんな奴だよ」
「そうかしら」
しかし、これではあてが外れてしまった。
魔女を頼ろうと考えていたのに、あちらも同じく訪れていたとは。
「あの人なのね」
「そうさ。あいつめ」
鞄の中身は、小声で毒づいた。
「いつもこうして、台無しにしてくれるんだ」
「それより、きゅうくつで、悪いわね」
娘はすまなそうに言う。
「出てきたら? もう、お店からは離れたわ」
「ありがとう。でも、姿を見られては、お前さまにまた迷惑をかけてしまうよ。このままでよい」
「そう?
じゃあ、今日のところはとりあえず、私の家に来ればいいわ。怪我の様子も、もう少し見たいし。
明日は学校も休みだし、面倒は見られるわよ」
* *
娘は今日の帰り、買い食いの誘いを断って、ひとり紙工場の裏門へ向かったのだ。
「はい。重たいよ」
裏門には、工場の親方がいて、画用紙の入った包みを持っていた。厚いもの、薄いものと入り混ざっている。端が少し折れて汚れているもの、裁断のあやまりがあるもの、売り物にはならないが、絵の稽古には充分だ。紐で綴って画帳とする。
「いつも、ありがとうございます」
娘は両手で受け取り、抱き抱えた。
「いえいえ。先生によろしくお伝えください」
画用紙は、町の画塾に届けられる。
年少の生徒からは、ほとんど教授料を受けとらぬので、画用紙工場の親方が、こうして反古を譲ったり、安く売ったり、何かと気にかけてくれていた。
「ありがとう」
昨年から小さな家をそのまま画塾としている若い教師は、今日は人物画の指導をしていた。
生徒はふたり一組で、互いの顔を描きあうのだが、真剣に描く組もあれば、おしゃべりをはじめ手が動かぬ組もあり、にぎやかである。
教師も絵の具で汚れた大きな優しい手で画帳を指しながら、あれやこれや話し、笑いあっていた。
「描いていかないのかい」
「ええ、」
娘はきまり悪そうに笑うと、
「また来ます」
「うん。今度は天気が良ければ、表に出て花を描くよ」
以前。
娘は、森にある木々や花の絵をこの教師に褒められた。
けれど今は、褒め言葉が素直に聞けない。
「緑がとてもきれいな時期だからね。皆にも逃さないで見てほしいんだ」
娘は毎年、町はずれの森を歩き、飽かずに見て、画帳いっぱいにそのみずみずしいさまを描いていた。
子供ひとりで森に入ってはいけないのだが、十二歳になれば、奥には行かず、植林の仕事のために造られた広い道のそばであれば、と、許されるのだ。彼女ももう十四である。
「ええ、ええ、」
けれど今年はなにもかもうまく描けなくなった。
「今年こそは、ぜひ君の絵を間近で見たい、と、そう言っている人もいるからね」
「……はい……」
嬉しいのだが、うまく嬉しい顔ができないのだ。
そして、
「また明日」
そう挨拶して、うつむき加減に画塾を立ち去るだけの日が、このところ続いていたのだった。
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