第2章 猜疑・固執・狂気
6. I'm Hungry, Mom.
ママはいつも輝いていた。
文字通り、輝いていたのだ。ママの服はいつもキラキラしていて、眩しかった。ちょっと眩しすぎるくらいに。毛皮のコートだったかもしれない。いつでも化粧は厚くて、いつも酒の臭いがした。
その日の夜も、いつものように押し入れで過ごしていた。襖の外ではママが甲高い声で誰か男の人と話すのが聞こえていた。私は少しの音も漏れないように、動かないことに気を遣っていた。埃と汗とカビの臭いのする空間で、私はむずむずする髪を掻いた。襖から少しだけ差す光が、舞い散る白い粉を映しだした。私はまた頭にうごめくようなものを感じた。最後に風呂に入ったのはいつだったかな? そういえば、とても空腹で、喉も乾いている。
しばらくして、男の人はどこかに帰ってしまったようだった。私は心にざわつくものを感じた。ママは、さっきとは打って変わって一言も発さなくなった。それから足音がして、それはこっちに近づいていた。ふいに襖が開いた。その日初めてママの表情が見えた。眉間に皺を寄せ、険しい表情をしていた。すぐにママの手からビスケットが現れた。ママはそれを私の前に置いた。そして襖を閉めようとした。
「ねえ」
私はママに話しかけた。
「……お腹空いたよ」
そう言った瞬間、ママは鬼のような形相になり私を睨みつけた。そして叫んだ。
「うるせえよ! 今あげてやっただろうが!」
その声が襖に響き渡ると同時に、私は頬に鋭い痛みを感じた。ママは私を叩き、殴りつけ、リモコンを投げつけた。
「あんたさえいなければ……!」
私は怖くて怖くて、ただ震えるしかなかった。目の前が涙で見えなくなり、もうママがどんな顔しているかもわからなくなった。荒い息が聞こえた。
襖が激しく音を立てて閉まった。そして再び世界は闇に染まった。
痛い。痛いよ。
*
二つの息遣いが聞こえた。一つは自分のだ。もう一つは……早くて、必死で、今にも消えそうな呼吸だった。押し入れの中には、私だけじゃなくて、もう一人いた。妹だ。私よりいくつ下なのか、誕生日なんて祝ったことないから、もう忘れちゃったけど、妹なのは確かだ。ずっと同じ押し入れにいたけど、妹の顔は暗くてほとんど見たことがなかった。それでもその息遣い、時には脈の打つのさえ近くに感じられていた。
妹はずいぶん前から弱っていた。なのに誰も気に掛ける様子はなかった。ママは妹に対して何もしなかった。私と同じように、たまに襖を開けて食べ物と水を少しくれるだけだった。そして、私も妹に対して何もしなかった。
でも今日は様子が少しおかしかった。静かすぎた。それになんだか、いつもと違う臭いもした。私はそろそろもう眠くなってきたけど、この違和感のせいでよく眠れなかった。元からあまり眠れなかったけど。
次に起きたとき、私は強烈な臭いで目が覚めた。
もはや呼吸も脈も感じられなかった。背筋が凍った。いつもと違うのは確かだった。何が起こったのか? 私は幼いながらに、何かを悟った。
そして私は自ら襖を開けて、光を取り込み、久々に自分の妹の姿を見た。
*
ビニール袋の音がした。ママはひどく焦っているようだった。家のあちこちを駆け回り、何かを準備しているようだった。しばらくして、ビニール袋のガサガサという音とともに、玄関のドアが嫌にゆっくりと開く音がした。それから、遠くで車のエンジン音が聞こえた。
私は一人になった押し入れからすべてを聴いていた。ママがいなくなった途端、私は強烈な不安と恐怖に襲われた。
このままじゃ……。
私は、ゆっくりと襖を開けた。今しかない。
痩せ衰えた身体では、家の中を進むのもやっとだった。
急げ。
私は必死に玄関に向かった。ほとんど這っていった。畳が膝に擦れて痛い。でもこれまでの痛みに比べれば、どうということはなかった。こぎれいなリビングを通り過ぎ、ゴミが散乱したキッチンを抜け、私はようやく玄関にたどり着いた。
ドアは、閉まりきっていなかった。少し押すだけで、簡単に開いた。
それから私は這いずりながら、コンクリートの階段を一段一段降り、そして薄汚れた灰色のマンションの外に出た。
それは、ちょうど陽が東の空に昇る頃だった。
私はその時初めて、本物の眩しい光を見た。
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