良いもの
結局、ランジェロはアデラインの肖像画を四日で仕上げ、五日目の朝には、また放浪するのだと屋敷を出て行った。
「次はセス君とアデルちゃんの新婚ツーショットを描かせてくれよな」
なんて言葉を言い残して。
赤面する僕を見て、「親子の肖像でもいいぞ」とさらに言ってくる。
それなら直ぐにでも、と答えたら呆れ顔をされた。
首を傾げたら、セス君たちの子どもが生まれたらの話に決まってるだろ、と返され、僕は再び赤面。
どうもランジェロに気に入られたらしく、彼の滞在最後の二日間、僕は散々からかわれたのである。
余談だけど、ランジェロが描いてくれた僕のスケッチ画は、どれもこれも顔がニヤけていて見るに耐えなかった。
ランジェロは「柔らかい表情」なんて言ってくれたけど、はっきり言ってそんな可愛らしいものじゃない。
ただデレデレしているだけの、頬が緩みきった、締まりのない顔だ。
捨てるなよと言われて、捨てませんよと返したから出来ないけれど、正直、全部ゴミ箱にぶち込んでしまいたい。
恥ずかしすぎる。
あんなの誰かに見られたら、恥ずかしさだけで死ねるレベルだ。
まあ、描いたものを全部僕に渡してくれたからいいけどさ。
なんて安心してたのはランジェロが馬車に乗り込む直前までだった。
五日目の朝遅く。
旅支度をしてエントランスに立ち馬車を待つランジェロに、僕とアデライン、後ろにはショーンたち使用人が見送りで控えていた。
義父は仕事があるからと先に挨拶を済ませたらしい。
でもきっと仕事ってのは嘘だろう。
アデラインも見送りに出るから、鉢合わせを避けるための方便だったに違いない。
ランジェロの前で目を瞑って歩く訳にもいかないものね。
よろけながら、あちこちにぶつかる様は、見てるだけなら面白いけれど。
あんなのランジェロに見られたら、きっと義父は未来永劫からかわれること必至だ。
「じゃあ元気でな。アデルちゃんにセス君」
「はい。どうかお気をつけて」
「お世話になりました。ありがとう、ランジェロさん」
「お、ちょっとだけ、敬語外してくれた? 嬉しいな」
僕は曖昧に笑みを浮かべるだけに留めた。
これもトル兄情報だけど、ランジェロの平民タメ口は客を選定する一つの方法なんだって。
平民如きが、と怒り出すような客はその場で依頼を断ってしまうらしい。
でも、僕の場合は、もうノッガー家の仕事を受けた後の話だから、ランジェロがタメ口で話し続けたのには別の思惑があったんだろうとは思うけど。
それはともかく、つい五日前に知り合ったばかりの有名な肖像画家は、実は遠く知らない場所からずっとアデラインを心配していてくれたって事を知って、僕の心は今とても穏やかで。
見上げれば、浅黒く日焼けした肌に爽やかな笑顔を浮かべたワイルドマッチョが僕たちを見下ろしていた。
その眼には優しさがたたえられている。
「何だろうな。妹って言うには年が離れすぎてるし、娘とは全然違うし・・・あ、姪っ子って感じかな、アデルちゃんは」
「そう言っていただけて光栄ですわ」
「じゃあ、僕は甥っ子って事で」
僕が笑ってそう答えると、ランジェロも嬉しそうにニカッと笑った。
そして、何かを思いついた様にフッと悪戯っぽい笑みを浮かべ、鞄を開けるとスケッチブックを取り出した。
「アデルちゃんに良いものをあげるよ」
「え?」
そう言って、紙を破く音が聞こえたかと思うと、アデルの掌の上には一枚の。
「え? なんで?」
一枚のスケッチ画。
僕は思い切り目を見開いた状態でランジェロを見上げた。
恥ずか死ぬアレが、いったい何故まだここに?
だって、あの時に全部、ぜんぶ。
ぜんぶ僕がもらった、筈。
「あ~、セス君。ごめん。あとでスケッチブックを開いてみたら一枚渡しそびれてたみたいでさ」
「な、な、な・・・」
「いいだろ? だってほら、アデルちゃん。もの凄く嬉しそうだもんな」
「え?」
言われて隣のアデラインに目を走らせれば、満面の笑みを浮かべ、スケッチ画をじっと見つめるアデラインの姿が僕の眼に映り込む。
「あ、あの、アデライン。その絵は、ちょっとアレだから、だから、僕が預かっとくから・・・」
と手を伸ばすも。
「・・・ううん」
僕の願いは、あっさりと覆される。
「わたくしが持っているわ・・・持っていたいの」
「・・・っ」
そうして、蕩けそうな笑みを浮かべたアデラインを見たとき、僕はこの世の絶望と希望を同時に味わうという貴重な経験をしたのだった。
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