じゃあ、ここから始めよう


階段を降りてサロンを覗く。



アデルの姿はない。



だったらサンルームかな。



そう思って午後の日差しが柔らかく降り注ぐ部屋を見れば、予想通りそこにアデラインがいた。



一針、一針、相変わらずの真剣な表情で白い布地に針を刺す。



日だまりの中、椅子に座って静かに針を動かす姿はとても穏やかで、見ていて神聖な気持ちにさえさせられる。



アデラインの艶やかな黒髪が日射しを浴びてキラキラと輝く。


目を伏せているせいか、長い睫毛がくっきりと影を落として、肌の白さをより際立たせていて。



ああ、君はこんなに素敵なのに。


どうしてそんなに自信がないのかな。



侯爵の義父が君のことをどう思っているかは分からない。


何故、あるとき突然に君を突き放したのかも。



君はそれを、自分は邪魔な存在だ、自分には価値がない、と思ったのかもしれないけど。



でもね、アデライン。


君の婚約者候補に選ばれた事を、僕が邪魔に思う筈なんてない。


それが僕の幸せに繋がらない筈がない。



それをどうやって伝えたらいいだろう。


どうしたら伝わるんだろう。



僕がこの屋敷に来てもう5年半は経つけれど、それでもまだ数えられる程度にしか会えない義父が、過去に君に落とした大きな陰。


僕はそれをどうしたら振り払えるのだろうか。



君はただ愛に臆病なだけ、と思い込んでごめんね。


何度も好意を告げさえすれば、それでいつか気持ちは伝わるなんて、今思えば浅い考えだったね。



君に好きだと言う前に、まず言わなきゃいけない言葉があったんだ。



「・・・アデル」



その声に顔を上げ、僕の姿を認めたアデルは、こてんと首を傾げた。



「セス? どうしたの? 本はもう読み終わったの?」



ああ、そうだった。


読書したいって言って、部屋に戻ったんだっけ。



「うん。終わったよ。アデルは? 今度は何を刺しているの?」


「薔薇の花よ。エウセビアさまに差し上げたくて」


「へえ。見てもいい?」


「ええ勿論」



そう言って差し出してくれたハンカチには、エウセビアのイメージにぴったりの深紅の薔薇が描き出されていた。



「素敵だね。きっと喜ぶよ」



その言葉に、アデラインは嬉しそうに笑う。



「良い友達が出来て良かったね」



そしたらアデラインは「セスこそ」と言って悪戯っぽく微笑んだ。



「アンドレさまと、すっかり仲が良くなったみたいね」



半年前だったら、とんでもないと答えていただろう。


だけど今は。



「本当だね。思ってたよりもずっと良い奴だったみたい」



そう素直に答えられる。



クセがあって、一筋縄ではいかなくて、意地っ張りで、アンドレ語っていう独特の言語を使う男だけれど。



君の味方という一点においては、きっとあいつと僕は仲間同士だ。



今、これから君に伝えようとする事も、そう。



アンドレとエウセビアが僕に教えに来てくれた。


僕に気づかせてくれたから。



だから言うよ。



もし信じられないのなら、何度でも言葉を重ねるから。



だからお願い、アデライン。



そっと僕から離れて行こうとしないでほしい。



「アデライン」


「なあに? セス」


「・・・僕はね」



どうか忘れないで。



「僕は、君に出会えて幸せだと思ってる」



そして、僕の気づかないところで、独りで傷つかないで。



「・・・え?」


「僕はね、君がいるから毎日笑って過ごせるんだよ」



君がいない世界で、僕が幸せでいられる筈がないんだから。



「アデライン。僕の側にいてくれてありがとう」



そして。



「大好きだ」



君の幸せが、僕の幸せ。



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