それに名前をつけてはいけない
セスからの思いがけないプレゼントに、私は一瞬、息をするのも忘れた。
美しく細やかな細工の銀の台座に嵌め込まれているのはカットされた大きな黒曜石。
それは、自惚れでなければ私の髪と瞳の色だ。
そして、黒曜石を囲むようにして散りばめてあるのは美しく煌めく小粒のトパーズで。
それは、間違いなくセスの優しい瞳の色なのだ。
そのせい、なのだろうか。
ブローチを見ていると、近ごろ私を悩ませ続ける感情が、また胸の奥から込み上げて来るのを感じた。
まだ名前をつけていないその感情は一体どういうものなのか、その答えを無視したままじっとそのブローチを見つめていた。
答えはもう知っているのに、はっきりと認めるのが怖くてずっと見ないふりをしていた。
だって私は、その感情の恐ろしさを知っている。
それは父を狂わせた原因そのものだ。
私は父のようにはなりたくなかった。
そんな事を思いながら、それでもブローチからは目を離せない。
そんな私の頭上から、セスの声が降り注ぐ。
--- 注文して周りにトパーズを入れてもらったんだ。だから同じ品は他にないんだよ ---
--- 僕たちは、いつも一緒だからさ。今までも、これからも。だから、そんな願いを込めてみたんだ ---
いつも一緒。
世界に一つだけの。
その言葉を聞いて再び込み上げて来たあの感情が、胸をきゅっと締め付ける。
嬉しくて、苦しい言葉。
聞きたくて堪らなくて、でも呪いのようにセスを縛る言葉。
なのに自然とこんな言葉が溢れそうになった自分に驚いた。
「ありがとう、セス。とても綺麗ね。それにこの・・・」
『この』?
慌てて口を噤む。
何を言うつもり?
このトパーズが黒曜石の周りを囲むように、守るように散りばめられていて、まるで。
まるでセスのようね。
セスに守られている自分が、これからもずっとそうだったらいいと、そう思ってしまって。
そんなことを望んだら、セスはますます自由を失うと知っているのに。
そうでなくても、セスは私への責任でがんじがらめになっているのだから。
「・・・ううん」
だから、この先は言ってはいけない。
だけど、この一言だけ。
「とても・・・気に入ったわ」
プローチの入った箱をぎゅっと抱きしめる。
安心して、甘えすぎていた。
いつのまにか、期待していた。
私までセスを縛りつけようとしてどうするの。
「・・・でも」
弁えなさい、アデライン。
「これではわたくしの刺繍したハンカチなんかじゃお返しにならないわ。プレゼントが素敵すぎるもの。わたくしも何かセスに買って・・・」
自己満足でしかない手ずからの品などやめよう。
義姉として、ふさわしい距離と態度を保たなくては。
そうしたらセスが私の言葉を遮った。
「ううん、刺繍したのが欲しい」
それは、とてもセスらしい優しさで溢れた言葉だった。
「すごく欲しいよ、アデルが刺繍したやつ。出来ることなら何枚でも」
セスは、今日もどこまでも優しかった。
「遠慮してる訳じゃないんだ。本当にそれがいいんだよ。実を言うと、その練習中のやつだって欲しいくらいなんだから」
「え?」
それでも、まさかそこまで言ってくれるとは思わなかったから、つい聞き返した。
「練習したものでも・・・?」
「・・・う、うん」
そう答えるセスの目が泳いでいる。
もう。
自分で言って、自分で困ってるじゃないの。
セスったら。
本当に、いつでも、どこまでもセスらしい。
いつだって、私の気を軽くしようと心配してばかり。
私のために、心を砕いてばかり。
それは会った時からずっと、何年経っても変わらないままだ。
「ふっ、ふふっ。セスったらもう・・・」
気付けば、笑っていた。
その気遣いが嬉しくて、変わらない優しさが懐かしくて。
目にはうっすらと涙が滲む。
ずっと大事だった。
セスはいつも、私にとって特別だった。
そんな気持ちを、自分でも気付かないまま育てていた。
そして漸く気づいた頃には、既にこんなにも大きくなっていた。
もう無視することも出来ないほど大きくなったこの気持ちを、この先どうやって抑えたらいいのだろう。
これが恋だなんて認めたくない。認めてはいけない。
あの日の父の姿が、私を拒絶する父の視線が今でも頭から離れなくて苦しい。
いつか、私も父のようになってしまうのかもしれない、そう思うから。それが怖いから。
セス、貴方が変わらなくても、きっと私が変わってしまう。
そうなったら、優しい貴方でも呆れてしまうかもしれない。
貴方を傷つけるかもしれない。
それだけは嫌なの。
私は改めて姿勢を正した。
ありがとう、セス。
いつも大事にしてくれて。
優しく笑いかけてくれて。
ぬくもりを思い出させてくれて。
そんな貴方だから、せめてこれくらいの感謝はさせてね。
義姉としてで構わないから。
「毎年、貴方のために刺繍を入れたものをプレゼントとして贈るわ。・・・感謝を込めて」
--- 僕たちはいつも一緒だから ---
その言葉を貰えただけで十分だ。
決して認めてはいけない。
この気持ちが、きっと恋なのだということを。
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