上司と部下として
俺は走馬灯のように過去の記憶が蘇る。
2人で作った楽しい思い出。
時に喧嘩して絶交した思い出。
だけど、やっぱりしきれなくて不器用ながらに仲直りして2人で笑った思い出。
恋人でなく、友達以上という曖昧な関係だったが、俺はコイツと色々な思い出を作った。
楽しい事は2人で共有して。辛い事は2人で支えて。ずっと一緒だった。
いつの間にかずっと一緒に居る事が当たり前で、2人で歩む未来に疑う事すらなかった。
…………だが。
『私もこうちゃんの事、大切に思ってるよ。多分、友達の中で一番大事だと思う……けど、ごめん。私ね。付き合ってる人がいるんだ』
それは俺の身勝手な自惚れだった。
俺、古坂康太と昔に行方不明になった幼馴染の田邊凛と何年振りの再会だろうか。
1……6年ぐらいか。
凛の妊娠が発覚後にコイツは失踪して、それ以来俺はコイツと会ってない。
最後に会話……と言うよりも交流はコイツの失踪する前日のメール。
『ごめんなさい』
短絡で意味も内容も逸れられてない一言。
そのメールに俺は返答が出来ずに、今は携帯も替えてデータは残っていない。
どういう事だよ神様よ……こんな非情な運命の悪戯を俺にするんだ。
俺は立ち眩みをして足元が覚束なくなり、手汗もオイルを塗った様にぬるっとする。
相手が過去の失恋相手だとしても、今は互いに社会人、過去の私情を持ちだす訳にはいかない。
それは分かっているはずなのに、唐突過ぎる事で、俺は凛の顔を直視することが出来なかった。
「おいどうしたんだ古坂。なんか顔色が悪いぞ……? 田邊も……。お前ら、もしかして知り合いか?」
無言で顔を逸らし合う俺達を不信に思い投げかける白雪部長だが、俺は袖で額の汗を拭い。
「スミマセン部長……少し席を外します。直ぐに戻って来ますので待っていてください」
「ちょっと待て古坂。こんな時に席を外す理由を—————」
「察してください! 今—————滅茶苦茶腹が痛くて御手洗いに行きたいんですよ! 男でも恥ずかしいんですから分かってください!」
「…………そうか。悪かった」
俺に圧倒されて引き気味に謝罪する部長の許可を貰った所で、凛を尻目に俺は部屋を出る。
行先は宣言した通りにトイレだが、目的はお手洗いそのものではない。
トイレに辿り着いた俺は手洗い場で顔を洗う。
予想だにしなかった出来事を受け入れる為に水で濡れた自分の顔と向き合う。
なんで
何にせよ。あいつの意図を確かめる必要はない。
今は俺たちは大人だ。ガキのままじゃない。
切り替えよう。仕事に私情を持ち込むな。俺は上司なんだからよ。
俺は自己暗示で自分の気持ちを落ち着かせてトイレを後にする。
濡れた顔と髪をハンカチで拭き、威儀を正すと部長たちが待つ部屋に入る。
俺が部屋に入ると腕を組んだ部長が迎える。
「帰って来たか。お腹の調子は良いのか?」
「はい。もう大丈夫です。朝食べたパンが腐ってたのかもしれません。帰ったら賞味期限を見てみます」
あっけらかんに俺が答えると呆れてため息を吐く白雪部長。
「もっと自分の体調管理はしっかりしろ」
本当は嘘なんだけど……帰ったら朝食を用意してくれた鈴音に謝ろう。
俺の嘘の腹痛で中断していた本題を戻し、ここまで一切表情を崩していない凛に部長が俺を紹介する。
「紹介するぞ、田邊。こいつは古坂康太。我が営業課の課長を務める人物だ。課長の役職だが、お前の教育係を兼任する。もし分からない事や困った事があったらこいつを頼ってくれていい。なに安心しろ。こいつは優秀だから力になると思うぞ」
「あ、はい……分かりました」
白雪部長の紹介に頷く凛は気まずげな表情で俺と目を合わせる。
まるで凛は口を糸で縫われた様に口籠る。
多分、幼馴染の俺に何か言いたいのだろう。改めての紹介か、それとも再会への言葉か。
この際それはどうでもいい。これ以上、部長に時間を取らせる訳にはいかない。
俺は表情切り替えに目を閉じると、開き営業で鍛えた外面の営業スマイルを浮かべて。
「改めて、初めまして田邊。俺は古坂康太。営業課の課長でお前の教育係を務める。これから同僚として宜しくな」
俺が手を出すと凛は困惑した感じに目をハッとする。
そして唇と目を震わし、暫し沈黙した後、ハイと笑顔を浮かばせ、俺と握手を交わす。
「此方こそ宜しくお願いします」
これで紹介は一段落終え、俺達の紹介を終始見ていた白雪部長は数度頷き。
「よし。これで互いの紹介が終わったな。古坂には後で他の新人にも顔見せするつもりだから、1時間後ぐらいにもう一度呼ぶ。それまでは営業の基礎やデータ入力などの雑用を教えといてくれ」
「分かりました白雪部長」
ふっ、と白雪部長は微笑した後に俺達を残して退出する。
2人だけになった部屋で無言の時間が流れる。
まるで居合の勝負みたいにどちらが先に動くのかだったが、耐え切れなくなったのか凛の方から口を開く。
「こ、こーちゃん………なんだよね」
そのあだ名、最近ずっと年下の女から言われ続けて来たからなんか違和感を感じるな……。
だが、そのあだ名を呼ぶ本家はお前だったよな。
「そうだ。まず初めに言っておく。久しぶりだな凛。お前がこの会社に来るなんて思わなかったよ」
「…………私も、まさか中途採用された会社にこーちゃんがいるなんて……思いもしなかった」
上辺の表情からこいつは嘘を言っている感じではない。
だが、こいつの表情を素直には信じられない自分がいた。
「まあ、なんだ。正直まだ現実を受け止めきれてないが、入って来てしまったからにはしょうがない。だがな、一つだけ言っとくぞ凛。俺をガキの頃のあだ名で呼ぶな」
「…………え」
戸惑いを見せる凛に俺はその理由を述べる。
「お前さっき、部長の前で俺の事をこーちゃんって呼ぼうとしたよな。お前、社会人の自覚があるのか? 俺達はもうガキじゃねえんだ。それに、俺は課長、お前は俺の部下で立場ってのがあるんだ。なのに、部下から馴れ馴れしくあだ名で呼ばれると他の奴らに示しが付かないんだよ」
「ご、ごめん……少し驚いて遂言っちゃって……」
凛の気持ちは分かる。
昔振った相手と予想外の再会に思わず口が出てしまったのだろう。
だが、ここでハッキリしておかないと昔の感覚で思わずポロッと出かけない。
だから俺もコイツの事は名前ではなく苗字で呼ぶ事にする。
「けど、今みたいな2人キリの場合は不問にしてやる。言葉使いも別にいい。だが、仕事の間は俺は課長でお前は部下だ。言葉使いも社会人らしく礼儀を弁えろよ」
俺が釘を刺すとその言葉が身に染みたのか、凛は真面目な表情で頷き。
「はい。わかりました、古坂課長」
言いたいことを言い終えた俺は、ふぅ……と緊張の糸を解し、後ろ首を揉み。
「だが、俺もお前に言いたい事や聞きたい事が沢山あるからな。仕事の間は上司と部下だが……。仕事が終わったら奢ってやるから飲みに行くぞ。昔馴染みとして」
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