一生分。

柊さんかく

一生分。

 これが一生分だったのか。 


 お金がない。一番お金がかかっているのはなんだ。もうこれ以上削れるものはない。

 大学を卒業して、社会人になって数年。中小のいわゆるブラック企業に勤めている俺は、一向に生活が良くならない現状に憂いでいた。

 大学生の頃は、社会人になればお金が稼げるようになると信じていたが、憧れていた世界はどこにもなかった。

 安月給とサービス残業の日々。時には、会社の経費にできない出費も自己負担。さらにはストレス発散のために酒やタバコを止められない日々。けれど、転職したり何か新しいことをする勇気もないことにもイライラが募る。


「あーあ。おれの人生ってしょうもないな。」


 いつも通りの土曜日。昼から1人で酒を飲むことぐらいでしか優越感を感じる方法はなかった。酔って忘れる。これがいつもの土曜日の目標だ。

 飲む以外にやることもないので、スマホで意味もなく色々なアプリを開いては閉じて、また開いては閉じる。ただそれだけの時間が過ぎていく。


「ん。一生分?」


 いつも使っているネットショッピングのアプリを目的もなく開いていた時だった。それはいつもと違う画面だった。

 来週の休日用に酒を購入しようとして、カートに商品を入れようとした時だった。数量を選択する画面で数字以外の選択肢があった。それが【一生分】。


「どんな、ミスだよ。スクショしてSNSに挙げよう。」


 カシャッ。スクショして保存すると、俺は画面を閉じる指を止めてしまった。


「面白そうだし、一生分買ってみるか。もっと話のネタになるっしょ。」


 気になったことがあった。それは、【一生分】を選択した画面だったが、合計の金額が1個分であったことだ。

 試しに数量を、2個や3個に変えてみる。すると、ちゃんと2倍、3倍になっている。しかし、この【一生分】だけは1個分の金額だった。出品者のミスだろうから、購入したって俺に不利益はないだろう。

 きっと慌てた出品者が謝罪のメールをしてくるに違いない。そう思って、面白半分でその酒を一生分購入したのだ。


 それから3日ほどが経過した。仕事から帰り、ダラダラと家でスマホをいじっていると、玄関のチャイムが鳴った。

 玄関を開けると信じられない光景が広がっていた。

 それは、ネットショッピングで購入した物を届けてくれるいつもの配達員の男性が立っていた。信じられなかったのは、その配達員の周りであった。

 そこには1つや2つではない大量のダンボールが積まれていた。


「あれ、どれが僕の荷物・・・ですか?」


 目の前の光景は信じられず、恐る恐る聞いてしまった。

 答えは、「はい、全部です。」というものだった。さらには、ここにある荷物はほんの一部でまだトラックに何箱もあるのだとか。

 

 配達員に聞いても何も話は進まないので、とりあえず荷物を全て受け取ることにした。時間を忘れるほど荷物の受け取りには時間がかかった。それはもはや業者が行う荷下ろしそのものだった。


「ありがとうございました・・・。」


 受領書にサインを済ませると配達員は疲れた表情を垂れ流しながら帰っていった。

 僕はゆっくりと扉を閉め、リビングを見る。そこには床から天井まで積み上げられた大量のダンボールが置かれていた。

 僕はハッとした。そうだ、一体いくら支払っているんだろう。

 部屋に残されていない狭いスペースでスマホを開いた。


「え、うそだろ・・・。」

 

 クレジットで引き落としされていたのは、なんと数量1個分の金額だけだったのだ。

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。でもすぐに冷静さを取り戻した。


「最高じゃん。これで、一生酒に困ることはないってことでしょ。」


 頭の中で出した結論は1つだった。仮に誰かのミスだったとしても俺にはなんら損害がないということだ。だって、出品者のミスであって、後から正しい個数分の請求はできないはずだ。

 

 この日から、俺の世界は変わった。


 実は、この一件だけではなく、他にも様々な商品で【一生分】が選択できたのだ。

 考えた俺は、まず初めに引っ越しをした。酒によって生活スペースが侵されていたので、広い部屋が必要だった。

 23区内の部屋から郊外の広さ重視の部屋に変えた。食費などの生活費が一気に減らせるという見込みでの引っ越しだったが、流石に引っ越し代金は想像以上の値を張った。この大量の重いダンボールのせいで。

 スペースさえあれば色々なものが【一生分】で買い放題だった。

 だが、面白いことに酒やタバコなどはすぐにポチることができたのだが、他に思い浮かぶ物はさほど多くなかった。

 転売することに抵抗があったので、自分にとって必要なもののみをコスパよく購入することが目的だったが、なかなかに思い浮かばない。お金持ちってこういう気分なのかとさえ考えた。人は、お金がないから物欲に塗れるのだろうか。

 それからも有効活用できた気がしなかった。切れ味の悪くなった包丁、使えなくなったハンドタオル、壊れた掛け時計など【一生分】を有効活用できた物は少なかったかもしれない。

 やはり、俺は庶民派だったのだなと実感させられたものだった。それでも、祝日のない6月はそもそも絶望する月だったので、こうしたワクワクがあるだけで十分すぎるものではあった。


 そんな中、気になることが起こった。それは、コンタクトレンズが足りなくなって【一生分】を購入した時のこと。届いたのは約8ヶ月分ほどだったのだ。

 確かに、時計やほとんど使用しない包丁が1つしか届かなかったことには【一生分】の説明はつくが、コンタクトレンズは今後一生消費するものであるはずだから、戸惑った。

 だが、そんな出来事も悩んだのは一瞬だけであった。俺は次の2つのパターンを思い描いた。


1. 【一生分】自体が不明確で、量が正確ではないこと。

 つまり、正確に一生分の量が届くわけではない可能性だ。まあ、たとえ一生分でなくても安く大量に手に入れているので、正確に一生分でなくても文句は言えないだろう。


2. 8ヶ月後に、コンタクトの度数を変えたり、手術でコンタクトが必要なくなる可能性。

 そもそも、この商品が一生続かない可能性もあるのだろう。


 いずれにしても、俺が困ることはないという結論に達した。このコンタクトは、取りあえず8ヶ月分として普通に使っていこう。


 それから、しばらく【一生分】生活が続いたが、日に日に俺は弱っていった。

 もともと考え込みやすい性格なのだが、だんだんと鬱の症状が増えていった。きっかけは、この【一生分】であった。これまで、お金や物が足りないことに憂いでいたが、それが解決できた今でも満ち足りないということだ。

 もちろん、勤めている会社も生活も大きく変わってはいない。それでも、【一生分】という最強の武器を手に入れられたのに、幸せになっていないのだ。

 俺はどうしたら幸せになるのだろうか。その答えが見つからなくて虚無感に襲われるのだ。その虚無感と戦うために酒やタバコのペースは一段と早くなった。病院に行けばアル中と診断され、タバコの吸いすぎで身体も悪くなっているようだ。

 それでも、この虚無感と戦う術はなく酒やタバコに頼る日々。

 あの、なんでもない日々。普通にお金や物を欲していた日々に戻りたい。足りないものを実感できない人間は生きることが困難になるのか。


 俺はもう限界だった。

 1ヶ月ほど前にあるサイトを見つけた。それは、同じくアルコール中毒で悩んでいる人たちの掲示板だった。

 そこで話しているだけで少し楽にはなった。同じように虚無感と戦っている人がいるというのが何よりも嬉しかった。

 すると、いつも話しているメンバーの1人がある提案をした。それは、文字どおり「死ぬまで飲みませんか?」というものだった。飲むことも辛い、辞めるのも辛い。だったら一層死ぬまで飲もうという提案だった。


 そして、今日を迎えることになった。


 掲示板で話していたメンバーは俺を含めて7人。土曜日、6人はうちに集まり昼から酒を飲み始めることにした。

 初対面なのに初めてじゃない気がした。同じように20代の男性は俺含めて2人。40代以上であろう男性は3人いて、あとは年齢が読めない女性が2人だった。

 こんなに楽しい飲み会は生まれて初めてだった。だって、部屋には一生分の酒がある。そして、同じ境遇のメンバーがいる。このまま死ぬまで飲み続けても良いと本気で思った。


 俺はハッと目を見開いた。どうやら、眠ってしまったみたいだ。

 周りを見渡すと他の6人も倒れている。誰に声をかけても起きることはなかった。


「あれ、みんなどうしたの?まだ死んでないよね・・・?」


 俺の小さな声はきっと誰にも届かなかったのであろう。さっきまで幸せな時間が流れていたのに、急に虚無感に襲われた。


「なぁ、一人にしないでくれよ。誰か一緒に飲んでくれよ。」


 俺は一人一人肩を揺らしながら、叫び続けた。泣きながら必死に叫んだ。しかし、誰も返事をくれない。俺はまた一人になってしまった。

 みんなの生死を確認すると、生きていそうなも者と死んでいる者とまちまちだった。もちろん、酔っ払った人間の確認なんて正確なものではないのだろうが。

 

「もう、無理だ。助けて。」


 この虚無感と戦う力はなかった。俺は暴れた。棚に置いてあるものを吹き飛ばし、テレビを殴りつけ、掛け時計を壁に投げつけた。

 それでもこの虚無感は消えてくれない。俺を救ってくれるのは酒だけだ。冷蔵庫を覗くとゾッとした。一生分あるはずの酒は、缶ビール1本でそこを尽きるようだった。

 俺は泣きながら、手を震わせながら最後の一本を一気に飲み干した。その一瞬だけは虚無感を忘れられた。しかし、そんなの一瞬だった。


「もう限界。」


 泣きながら、周りを見渡してみる。すると、一切表情を変えない仲間たちがいた。

 そうだ、みんなで楽になるんだ。このまま生き続けるのは辛すぎる。まずはみんなを楽にしてあげなきゃ。

 俺は、キッチンへ行き包丁を手に取った。そして、勢いよく斬りかかる。想像以上に血しぶきを浴び、恐ろしくなってしまった。俺は急いで棚から全てのハンドタオルを取り出し、自分にかかった返り血と、床の血を拭いた。

 けれど、俺はやると決めたんだ。

 集まってくれた仲間の命を奪い、最後に自分の腹に包丁を突き刺した。

 痛みはなかった。これがアルコールの力だろうか。やっと楽になれた気がした。他のみんなも楽になれていたら良いな。

 ああ、俺の人生ってしょうもないな。

 

 8月の暑い日。近所の住人の通報で駆けつけた警官が目にした光景は想像を絶するものだった。

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一生分。 柊さんかく @machinonaka

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