9・ちょっと待って

 その帰り道、俺は疑問に思っていたことを聞く。

「なあ、吉祥院さんはなんで腐女子になったんだ?」

「そうですね。きっかけはやはりアレだったと思います」

「アレ?」

「はい。六年以上前のことなのですが、わたくし 父とケンカして、近所の公園で泣いていたんです。

 お友達と遊ぶ約束をしていたのに、ピアノのお稽古のせいでダメになってしまって。

 わたくしには その時が、お友達に家に遊びに誘ってもらったのが初めてで、すごく楽しみにしていましたの。それなのに突然 海外から特別講師が来るから、遊びに行くのを断ってきなさいと。

 でも わたくしは友達とどうしても遊びたくて、それで父とケンカになって、家を飛び出して、誰もいない公園で一人でしくしくと泣いていましたわ。

 そんな時です。あの人が声をかけてくださったのは」

 思い出すように、吉祥院さんはどこか遠くを見るような目になった。

「その方は泣いているわたくしを、とても一生懸命に慰めてくれました。

 あの時のことは今でも忘れられません。

 そして、その時に その方が偶然 持っていて、わたくしに読ませてくれたのが、この作者の同人誌でしたわ」

「ちょっと待って」

 俺は思わず制止した。

「どうされました?」

「その女の人、何歳なの?」

 年齢によっては通報しなくてはならない。

 時効とかそんなことは関係ない。

 十歳の女の子に薄い本を見せるとはいったい何事か。

「あの人は、当時のわたくしと同じ年だったと思いますわ。それに女性ではありません。男の子です」

「ますます ちょっと待って」

「ますます どうされました?」

「その男の子は十歳くらいなのにBLの薄い本を持ってたの?」

「その通りです。

 その方は内容が美少年同士であることを理解されていなかったようですが、姉に頼まれたとかと言って、アニメショップで購入されたそうです。

 そして、その方と一緒にその本を読んだ時、わたくしは衝撃を受けました。

 美少年同士の恋愛がこんなにも素敵なものだとは。

 そして、すぐ側にいる男の子が、美少年同士だと全く気付かずに読んでいるというシチュエーションにも。

 ああ、あの方はもう気付いてしまったのでしょうか? 気付いたのなら目覚めたのでしょか? お目覚めになられてしまったのでしょうか!?

 わたくしはそう考えるだけで もう……もうっ! ぐへへへへへ……」

 思い出しただけで言葉を失うほど感極まっている吉祥院さん。

 吉祥院さんのダメ人間な要素が次々と見えてくる。

「ともかく、あの時のことがきっかけでわたくしはBLにはまったのですわ」

「……そ、そうなんだ」

 なんか 頭痛が痛い。



「わたくし、貴方にこの趣味を知られた時、もうおしまいだと思いましたわ」

「おしまい?」

「きっとドン引きするだろう。馬鹿にするだろう。みんなに言いふらすだろう。そう思ったのです」

「ヒドッ。俺をそんな風に思ってたんだ」

 ちょっと怒った風に言ってみる。

 吉祥院さんは笑って、

「ごめんなさい。あの時はまだ貴方のことをよく知らなかったので。同じクラスですが、お話ししたこともありませんでしたから。

 というより、男の人とお話をしたこと自体あまりなくて。貴方のことも少し怖かったのです」

「男と話をしたことがない?」

 吉祥院さんが?

 学校中の男子たちが吉祥院さんとお話ししたくてウズウズしているのに。

「男子はわたくしに対してよそよそしくて。女子のようには積極的に話をしてくれないのです。

 貴方もそうでした。

 いつもわたくしのことを見ているのに、話しかけることはありませんでしたわ」

「あ、いや、それは」

 乙女ゲームの悪役令嬢だから気になっていたとは言えない。

 それに話しかけようにも、高貴で優雅で完璧な令嬢だから、気後れしたというか。

 ……他の男子も、気後れしてたのか?

 吉祥院さんが続ける。

「そういうわけで、あの時はもう本当におしまいだと思ったのですわ。

 BL本と共に逃避行に走ろうかと思ったくらいで。

 ですが、わたくしの認識は間違っておりました。

 貴方は約束通り沈黙を守ってくださいましたし、わたくしの趣味をバカにすることもなく、普通に接してくださいました。

 それどころか何度も助けていただいて。

 今も貴方がいなければどうなっていたことか。

 貴方を信じることができなかった自分が恥ずかしいですわ。

 わたくし、貴方には本当に感謝しております」

 そして吉祥院さんは俺に、

「貴方に心からの感謝を」

 スカートの裾を指でつまんで頭を下げた。

 それはまさしく貴族の令嬢がするポーズで、吉祥院さんがすると物凄く様になった。



 校門を出たところで、吉祥院さんはもう一度頭を下げた。

「今日は本当にありがとうございます。

 貴方のおかげで本当に助かりました。

 それに不穏当かもしれませんが、少し楽しかったです」

 楽しかった。

 確かにその表現は不穏当かもしれないけれど、不適当ではないと思う。

 だから俺も笑顔でこう返した。

「どういたしまして。俺も楽しかったよ、吉祥院さん」

「あの……セルニアと」

 恥ずかしそうに、改まって吉祥院さんが言った。

「わたくしの呼び名のことなのですけれども、吉祥院さん、というのはとても他人行儀ではありませんか。

 自習する幽霊に共に立ち向かい、死線を乗り越えた仲ですわ。

 戦友として、名前で呼んで欲しいのです」

 吉祥院さんの表情は真剣だった。

 真実は墓の中まで持って行こう。

 俺はそう決心し、その申し出を受け入れることにした。

「わかった。セルニア」



 彼女はすごく嬉しそうな心からの笑顔になった。

 悪役令嬢だとは思えないほど明るい笑顔だった。



 こうして、俺と吉祥院・セルニア・麗華の奇妙な関係が始まった。

 なお、俺は家に帰った後、セルニアが抱きついてきた時の感触を思い出してしまい、またオッキして寝付けず、学校の時の妄想で三回も抜いてしまった。

 賢者タイムに入った後、自己嫌悪でしばらく眠れず、枕を涙で濡らした。

 ごめんなさい、吉祥院さん。

 君を心の中で汚してしまったよ。

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