電脳世界の恋
RX-Y
電脳世界の恋
プロローグ
RXが大好きだった、PCさん。そして、僕自身が本当に愛してしまった、Mへ……
人が人を好きになるのに、今も昔も明確な理由なんていらない。
時として、自分自身が驚くような理由で誰かを好きになり、その人の事以外考えられなくなる事がある。例え、それが電脳世界、ゲームの中から始まる恋だとしても…
1. 電脳世界
2021年、新しい年が明けても、世界的に続くコロナ禍は終わる気配がなかった。
僕自身は……世界からコロナ対策を評価される某国に住んでいる為、外出時に日本のようなマスク着用義務も無ければ、生活に対するさまざまな制約等もなく、2020年前半とは比較できない程、生活面においては、穏やかな1月を迎えていた。
1つ違う事と言えば……新型コロナウイルスから国民を守る為、この国は経済の流れを全面的に止めていた。いつ解除されるかわからない国境封鎖、第三次産業に頼っているこの国では、国境が開かない限り経済が戻る事がない事を、誰もが理解していた。
中心地では、倒産、店舗撤退が相次ぎ、コロナ前の30%以上の店舗がもうすでになくなっていた……
そのような中、ビジネスを10年近く中心地でやっている僕自身も、先の見えない将来に対する漠然とした不安を毎日拭えずに生活を送っていた。
そのようなある日、いつも通りにSNSを眺めていると、面白そうな携帯ゲームの広告をみつけた。名前は、『P&S』。
僕自身、大人になりゲームなど何年もやっておらず、ましてや携帯電話でするゲームが面白いんだろうか?と最初は考えてしまった。
しかし……仕事と家族との生活だけを毎日何年も続けていた僕にとって、たまには良い息抜きになるかもしれない。そう思い、このゲームをダウンロードする事にした。
このゲームが、僕にとって初めての電脳世界の入口となった。実際に触れる事ができなくても、何もかも失っても後悔しない程に誰かを愛することができるという、恋の始まりだとは思いもせずに……
2. ギルド
初めての携帯ゲームは、全く意味がわからなかった。初めはチュートリアルがあり、チュートリアルに沿ってゲームを始めていたのだが、チュートリアルが終わる頃には、急に操作の全てが自由になり過ぎて、僕自身、今後このゲームをどう進めていけば良いのか? 何が目標なのか?そもそも、ギルド(同じ目標、ルールを持った仲間の集団)に入らなければいけないのか? 何もわからないまま、時間だけが過ぎていった……
当初の予定とは違い、簡単な息抜きの為にゲームを始めたのに意義を見いだせなくなっていた。数日に一度、ゲームにログインし、だらだらと適当な時間を過ごしていた。
そんなある日、自分が好きなグループ名のギルドを発見し、ギルドマスターの名前も現実に存在する好きなアーティスト名だったので、なんの迷いもなく、そのギルドのメンバーになった。
しかし、ギルドに入ったからといって何1つ変わることもなく、ログインするだけの不毛な時間だけが過ぎていった……
2月になり、そろそろゲームをアンインストール(ゲームを削除すること)するかな? と思っていた頃、1通のメールが届いていた。そこには、
「もし良かったら、一緒に楽しくゲームをしませんか?」
そう書かれていた。
僕自身、入っていたギルドになんの意味も感じなくなっていた事もあり、受けとったメールにまず返信することにした。
「なかなか、皆さんと同じようにログインする事はできませんが、それでも大丈夫ですか?」
これが僕にとって、電脳世界での初めての人とのやり取りになった。すると、驚く程早く返信が届いた。この電脳世界は、実際の距離や時差など関係なく、すぐに誰かとやり取りが出来る。それを改めて感じた。
僕は返信が届いてすぐに最初のギルドを抜け、メールをくれたKさんのギルド『S』に入った。
このギルドこそ、僕とM、RXとPCさんが一緒に最後までゲームをすることになる、僕にとって生涯忘れられない恋の始まりを作ることになる。
3. 恋の始まり
3月になり、現実では色々と変化が起こっていた……
新型コロナウイルスはもう収束したと思っていたのだか……2月、ロックダウンが2度発生していた…その為、自分の店舗を開ける事も禁止され、売り上げは再び落ち、今回のロックダウンについて政府からの保障を再度調べ、申請しなくてはならなくなっていた……。正直、僕自身、これから先も家族を養っていけるのか不安な気持ちが芽生え始めていた。しかし結局は、今現在できる事をできる範囲で、地道にやっていくしかないと思い毎日の仕事に打ち込んでいた。
電脳世界では……新しいギルド『S』に僕はなかなか馴染めないでいた。オープンチャットでは、初めから居るメンバー達がいつも楽しく会話をしていた。しかし、携帯ゲームを初めてやる僕にとって、オープンチャットの会話に入り込むのは、勇気がいる事であった。
ただ今までとは違い、ゲームを楽しく感じ始めていた。なかなかチャットに入り込む事はできなくても、書き込まれる内容は新鮮で面白かった。そして、このゲームの仕組みをようやく理解し、毎日普通にゲームにログインするようになっていた。
そんなある日、『S』に他の誰よりも強く、このゲームの知識を持っている人が入ってきた。彼女の名前は『PC』と言った。
彼女が入って来てから、ギルド全体の雰囲気は全く違うものになっていった。
誰にでも気さくに話しかけることで、このゲームを楽しく遊べるようにギルドメンバー全てに気を使ってくれていたのだ。今まで、なかなかギルドに馴染めていなかった僕自身も、彼女から直接声をかけてもらうようになり、徐々にオープンチャットに参加するようになっていた。
ただそのような中で、問題も起きていた。このゲームはPVP、所謂、プレイヤー同士の対戦も売りにしていた。そして、僕自身、少しずつゲームで強くなれたと喜ぶ度に、他プレイヤーからの攻撃を受け、ゲームをする気持ちを削がれ始めていた。もうゲームをアンインストールしようか……そんな気持ちすらあった。
それから、数日後……ある事件が起きた。皆が楽しくオープンチャットで会話している時に、突然、他プレイヤーがギルドメンバーに攻撃をしてきたのである。そのプレイヤーには、正直誰も勝てるレベルの強さではなかった。メンバー全員が攻撃されるメンバーを実質的には見捨てていた時、PCさんだけが、メンバーを助けに向かったのである。ギルドマスターのKさんは、彼女に諦めるようにチャットで何度も呼びかけた。しかし彼女は一切聞かず、一言
「嫌です。絶対に引き返しません」
そう答えた。結局、攻撃を仕掛けてきたプレイヤーは撤退し、メンバーは攻撃から守られ、被害を生じる事はなかった。
僕は、彼女のその行動に、現実ではないとわかっていても感動した。そして、僕もいつかゲームのなかで彼女のようになりたいと憧れ、『彼女のようになれるまではゲームを続けてみよう』、そう思うようになっていた。
そんなある日、僕は始めてギャザー(ギルドメンバーと共同で敵を倒す行動)を自分自身で発案する事にした。これには、PCさんも協力してくれ、僕の始めてのギャザーは成功した。しかし、僕のギャザーが成功したあと、彼女は忽然とギルドを辞めた。この時、僕はゲームにも関わらず凄くショックを受けていた。
何で? どうして? 理由がわからない! そんな気持ちのまま、どうにかして彼女にギルドに戻ってきてもらいたくて、初めて僕自身から彼女にメールをした。そして、僕が思っていた気持ちを彼女に伝えた。彼女の同じギルドのメンバーを、何があっても守りたいというプレイスタイルが僕の理想になり、彼女がいたから、今でもゲームを辞めていないと。少しの時間の後、彼女から、メールが返信されてきた。
「ありがとうございます。何だか泣けてきました。もう一度、ギルドに戻りますね」
『この時からだ』と今でもはっきり覚えている。僕がPCさん、そして、後にPCさんから教えてもらう現実での彼女の名前、Mの事を意識しだし、恋が始まったその時を。
4. RXとPCさん
PCさんがギルドに戻ってからは、僕(RX)は以前よりも彼女とメールをするようになっていた。
ゲームについてや、普段の話、本当に色々と話をした。
彼女は、本当にギルドメンバーの事を大事に考えていた。どうやったらメンバーが楽しくゲームをできるのか?新しく入ってきたメンバーは、楽しくゲームが出来ているのか? そんな事ばかり考えていた。彼女は、とにかく全てにおいて優しかった。彼女の優しさは、ギブアンドテイクでもなく、何かを考えてから行動する訳でもなく、あらゆることを自然体で行っていた。そんな彼女を僕は、徐々に意識しだしていた。どうしてそんなに全てを自然体でできるのだろうか?この人は、きっと現実でも、こうやって生活しているんだろうな……そんな、気持ちが芽生え始めていた。
ある日、オープンチャットでメンバー同士の言い合いが起きた。原因は、些細な事だった。PCさんに興味を持っていた僕には、PCさんがメンバーの発言で傷ついている事が痛い程理解できていた。それを裏付けるように、PCさんがチャットで一切の発言をしなくなっていたのだ。
僕は、PCさんが傷つく事が嫌だった。どうして、いつもこんなにメンバーの為に行動している人が、一人で傷つかなきゃいけないのか?理解できなかった。僕はいてもたってもいられなくなり、PCさんにすぐにメールを送った。
「何も悪くないPCさんが、メンバーに謝罪する事や、PCさんだけが嫌な思いをする事はおかしい」
そう伝えた……。彼女から返信があり、『なぜここのギルドにきたのか』、『本当はどうしたかったのか』そんなPCさんの気持ちが初めてわかった……今まで僕は、本当の意味で彼女の考えや気持ちを知ろうともせず、考えてもいなかった。
僕は、ギルドメンバーにオープンチャットで語り掛けた。PCさんが一人で傷つくのは、おかしい。今まで彼女がどれだけメンバーに気を使っていたのか、それだけを理解してもらいたかった。
勿論、わかってくれる人もいれば、何を言っているんだ?と言う感じの人もいた。そして、この僕の発言がきっかけとなり、ギルドのメンバー内での関係が少しおかしくなってしまった……
しかし結局、この騒動はPCさんが我慢する事で何事もなく元に戻ってしまった……僕は、それが嫌だった……結局何も変わることもなく、これから先もPCさん一人が傷つき、我慢しながらゲームをするのはおかしいと思った。彼女だって、普通にゲームを楽しんでも良いのに……僕は、自分自身が出来る事を考えた。どうしたらこの状態を変える事ができるのか……結局、できる事は……僕自身の気持ちを全てオープンチャットに書き、僕自身が、ギルドを去ることだった。
僕自身が本心を伝えてギルドを去れば、少しは何かが変わると思った。そして、僕は「誰か1人の優しさに頼るのではなく、ギルド皆さんの優しさで、これからも楽しくゲームをしてください」
そう書き残し、ギルドを辞めた……
ギルドを辞めたその日、僕は全く現実の仕事が手につかなかった。PCさんは、どうなったのか?少しは、楽しくゲームができるようになったのか?そのようなことばかりが、頭をよぎっていた。そして
この時、初めて僕は気がついた。僕は、ゲームのなかの『PCさん』と言うキャラクター、そして、それを使っている人の事が好きなんだと……。ゲームのなかの恋愛感情など、今まで一度も考えた事などなかった。しかし、現実の世界に支障をきたしてしまう程、僕はPCさんの事を考えていた……
次の日になり、ゲームにログインした時メールが入っていた。それは、ギルドマスターのKさん、そして、PCさんからだった。Kさんから、
「PCさんが、現実の世界で会社を休む程にショックを受けています。もう一度、楽しくゲームしませんか?」
そのメールを読んだ時に僕は慌てて、PCさんのメールを開き返信していた。PCさんに僕は謝った。そして彼女から
「いきなりいなくならないでください。悲しくなります。」
そう返信があった。
5. YとM
僕は、KさんとPCさんからの説得もありギルドに戻った。一度離れ、戻ったギルドは今までと違っていた。メンバー全員が、それぞれ出来る事を考え、誰にでも分け隔てなくオープンチャットが進んでいた。PCさんから聞いたのだが、僕がギルドを抜けた後メンバー全員で、僕のメッセージと辞めた理由について話あってくれたようだった……僕のとった行動は、きちんとメンバーに伝わっていた。
現実では、もうすぐ3月も終わろうとしていた。仕事自体は、売り上げが以前よりも安定しはじめていた。また、以前より話があった新ビジネスがようやくオープンし、僕自身の仕事量が増え始めていた。しかし、この頃から僕がずっと守ってきた家族との生活は、少しずつずれ始めていた。妻は、『疲れた』が口癖になり、2人で1番大事にしていたはずの子供への愛情に変化が起こってきていた。僕が、毎日の子供のお風呂、寝かしつけ、妻と子供の夕飯作りから、翌日のお弁当の準備をするようになり、休みは全て子供との時間に費やしていた。以前のように、少しゆっくり寝たら?とか、少し1人で出かけてきたら?などと言う妻からの優しさはなくなっていた。また妻は、1人で主寝室を使うようになり、僕は毎晩子供と寝るようになった。子供が何よりも大切な僕にとって、そのような生活でも子供の為、家族の為に、出来る事を精一杯やっていた。しかし、コロナ禍がここまで続くなど予想していなかった僕たち家族は、少しずつお互いに優しくなれなくなっていっている気がしていた。
それとは、反比例して電脳世界では、PCさんとの距離が縮まっていっていた。僕は毎日のように、PCさんと連絡するようになり、あくまでRXとしてだが、『好きだ』と言う気持ちを伝えていた。僕自身が現実世界では、既婚者であった為、これ以上、彼女に望めるものはなかった……しかし、僕にとって、PCさんの分け隔てない優しさは、現実世界で日々疲れていく僕に必要になっていた。
この頃から僕とPCさんは、ゲーム以外の話が増え始めていた。僕の仕事の話や、PCさんが好きな音楽の事、日本と僕がいる国の違いなど、さまざまな事を話していた。そして、ゲームのキャラクターであるPCさんを通し、PCさんを使っている本人の性格、自然体から溢れでる、人への優しさ、気配り、自分自身が悪役になってでも、誰かの為に行動する自己犠牲のような考え方、そして、いつも強がって見せているけど、本当は誰よりも傷つきやすい弱さ、ガラスのような繊細さ、そのような現実での彼女の本来の姿がPCさんを通して分かるようになってきていた。彼女自身を理解すれば、理解する程、既婚者でありながら、彼女に惹かれていっている自分がいた……そんなある日、突然PCさんから、
「LINEやってますか? 良かったら、これからLINEで話しませんか?」
と連絡がきた。
僕自身、ずっと自分自身の気持ちを隠してこれまでやってきていた。しかし、このPCさんからのメールで、もう自分自身の気持ちを自分自身に対し隠し通す事はできなかった。現実としての僕は、彼女がどうしようもなく好きだった。これが、間違っていた気持ちだとしても、彼女の全てを、僕の心と頭のなかから切り離す事はできなくなっていた。今までのような『現実の出会い』ではないとわかっていても、僕は、どうしようもなく、彼女の事が好きになっていた。僕は、彼女との連絡の為に仕事専用の携帯電話を初期化し、深夜にも関わらずコンビニエンスストアに新しいSIMカードを買いに行き、彼女とのLINEアカウントを作った。
彼女のLINEアカウントは、本名で登録されていた。名前はM。
「えっ?PCさん、本名大丈夫ですか?」
僕は彼女に思わず尋ねていた。
「大丈夫、Mです。Mって呼んでね」
僕も、
「Yです。僕もYって呼んでもらいたいです」
こうして僕たちは、お互い恥ずかしがりながらも、YとM、本名で呼び合う事になっていった……Mを知れば知るほどに、僕は彼女に惹かれていった。彼女の本質に触れ、PCさんから見えていた以上に、彼女の優しさ、強さ、弱さ、さまざまな事を心から大事にしたいと思ってしまっていた。僕は、もう自分自身の気持ちを彼女に隠せなくなっていた。そして、LINEで始めてMに
「きっかけは、確かにゲームでした。でも、僕は、PCさんではなく、現実世界にいるMの事が好きです。PCさんを通してでもわかる、現実のMの優しさ、自分よりも相手の気持ちを優先する所、強がっていても本当は誰よりも傷ついてしまう所、そして、ガラスのように繊細なのに、それを隠そうといつも頑張ってしまう所、何もかもが大好きです」
Mに告白をした。Mの全てが好きだった。生まれて初めて、何もかもなくしてでもこの人といたい。そう思った。M からは、
「私もYの事が好きだよ」
そう答えが返ってきた。
この時の事を、僕は今でもはっきり覚えている。どれだけこの時間が楽しく、これから先もずっと、Mと一緒にいられると夢のように思っていた事を……
6. 曖昧な関係
僕のMに対する告白から、僕たちの関係は変わっていった。僕たちはまず、ルールを作ることにした。
ギルド内では、今まで通りにRXとPCさんとして接する事。
お互い他のメンバーからLINEに誘われてもやらない事。
ゲームはゲーム。現実は現実で区別する事。
以上の3点を守っていこう。そう2人で決めた。
4月になり、現実の生活はいっそう難しくなっていた。僕は、精一杯、家族の為に出来る事を毎日していた。僕と妻にとって、子供がなによりも大事だった。しかし、僕の頑張りとは裏腹に妻との距離は開き始めた……仕事での肉体的な疲れ、そして、お互いに優しくなれなくなってきたことによる、精神的な疲れは募る一方だった。
僕とMには、距離や時差といった問題が確かにあった。現実世界では、僕自身がM にどれだけ会いたくても会えることはなかった。海外と日本…コロナ禍のなか、入国も帰国も隔離期間なしではできない僕にとっては、このもどかしいまでの距離が心をざわつかせていた。しかし、電脳世界で僕たちは、距離や時差も超えて、お互いの気持ちを確かめ合う事はできていた。それだけで僕は幸せだった。Mの優しさが、毎日の生活で疲れ、精神的に荒んでいく僕を毎日癒やしてくれていた。
僕は、以前からMに、現実世界では既婚者である事を伝えていた。ある日Mが、
「これって、浮気や不倫になるのかな?」
そう質問してきた。正直、僕自身答えはわからなかった。僕は間違いなく、Mの事が好きだった。Mの事で頭がいっぱいになっていた。浮気や不倫の定義を、『誰かに心を奪われた時点で』と言うなら、もう僕たちは、浮気や不倫になるだろう。しかし、僕もMも現実世界では、一度も会えてもいなし、手を繋ぐことすらできていなかった。結局の所、どれだけ月日が流れようが、時代が変わろうが、僕たちがしている事は、昔から何一つ変わらずに、お互いの好きだという気持ちを文字や言葉で伝え合うだけの曖昧な関係だった。それが、現実世界と電脳世界の間で行われる事以外は……
果たして、僕たちの関係は、浮気や不倫と言えるのだろうか?または、僕たちは、付き合っていると言えるのだろうか?そのような気持ちのまま、何日も時間だけが過ぎ去っていった。
7. Yとして、RXとして
4月も半ばになる頃、ある出来事が起きた。いつも通り、僕はメンバーに就寝の挨拶をしゲームを止めた。僕とMの関係はいつも僕が先にゲームを止め、少し仮眠し、1~2時間後Mがゲームを終えてから、僕にLINEで連絡や電話をしてくると言う関係だった。週末の金曜日だった事もあり、今日は、Mからの電話がある日だった。僕はいつも通り、電話を受け取り、Mが大事にしている愛犬の話や、Mの仕事の話、僕が訪れたMを連れていきたい場所、そんな他愛もない話をし、そして、いつしか会話の内容はゲームの話になっていった。しかし、今日の内容はいつもとは違っていた。どうやら僕がゲームを終えてから、メンバーに攻撃があったようだった。Mは、毎回、メンバーに攻撃がある度、攻撃をしてきている相手に攻撃をやめてもらうように直接交渉をしていた。今までならMが交渉をする事で、被害を最小限に抑える事ができていた。しかし、今回の相手は違っていた。交渉のなかで、M本人に、メンバーのなかの攻撃対象者を選ばせようとしたのだ。この話を僕にした時に、始めてMが
「ゲームが怖くなり、手が震えた」
と弱音を言った。僕は、この時、なぜ、僕がその場にいなかなったのか…と酷く後悔した。なぜ、Mが楽しくゲームを遊んでいる時に、そんな思いをしなければならないのか? これからも、Mは、そんな思いをしながらゲームをしなくてはいけないのか?そのような思いのなか、僕はゲームの話から話題を替え、Mとの電話を終えた。それから、僕自身のゲームでの弱さや知識のなさを後悔した。何時までMは、このゲームを嫌な思いをしながら1人で頑張り続けるのだろうか?どうにかして、ゲームのなかでも、Mの力になりたい。僕は心から強く願うようになっていた。そして、以前別のギルドに誘ってもらっていた、トッププレイヤーの方に直接連絡をとる事にした。
「このままでは、僕が守りたいものが守れません。どうしても強くなりたいです。強くなる方法を教えてください」
そう伝えると、すぐにdiscord(ボイスチャット用アプリ)で連絡を取る事を提案され、何も知らない僕に、discordの登録方法や、自分のページまでの行き方を教えてくれた。そして、彼女から始めてこのゲームの詳細、戦闘方法や、パズルの効率的なやり方、今までわからなかった全てをわかりやすく丁寧に教えてもらう事ができた。また、僕自身RXの今後の成長戦略等まで事細かに教わることができた。僕はこの時ようやくゲームのなかで、Yとして、またRXとして、MとPCさんを守り続けていく事ができる、そう信じていた。
8. 境界
4月も終わりをつげようとしていた。MとPCさんをゲームの中の嫌な事から守りたい。そう強く願うようになってから、僕は、今まで以上にゲームに没頭するようになっていた。実際、この時期からRXは強くなり、ギルド内でも活躍できる場所が増え始めていた。しかし、この頃の僕は、僕自身YがRXとしてゲームをやっているのか、RXが僕自身なのか、現実と電脳世界の境界が曖昧になっていた……ゲームをする理由全てが、『M』になっていた。
ほんの数週間前までは、現実とゲームの時間を明確に区別していた。しかし、この頃の僕は、毎日ゲームが終わると、Mと夜中まで連絡を取りあい、朝7時前から家族が起きる前まで、そして、仕事の合間、全ての時間をゲームに使うようになっていた。
現実世界では、出来る事を毎日地道にやってきた結果、売り上げが伸び始めていた。しかし、売り上げが伸びるにつれ、あたりまえのように、僕自身の仕事量は日に日に増え続け、帰宅時間も比例して遅くなっていった。
また、この頃から妻は、頻繁に子供に怒鳴るようになっていた。僕も妻も子供を何よりも大事にしていたにも関わらず。実際、コロナ禍で売り上げが不安定になったことで妻を働かせてしまった以上、責任は、僕自身にあるのだが、忙しくなるにつれ自宅での会話もなくなっていた。また、この頃から、何度も妻と子供に対する接し方について、口論するようになっていた。僕は、妻に働く時間を減らすか、以前までのように、働かなくて良いと何度も説得していた。しかし、コロナ禍の中、将来が見えない不安が妻の中では何よりも大きく、僕の意見を聞いてくれはしなかった……
僕も妻も何よりも子供が大切だった。しかし、妻に怒鳴られ、泣きじゃくり、僕の所にくる子供を何度も見る度、このままでは、大切な子供が僕たちのせいで、いつか壊れてしまうのではないか?そのように感じていた。妻は、家族、子供を本当に大事にしてくれていた。しかし、将来が見えない不安は、僕や妻が今まで持っていた優しさを、少なくさせていっていた。僕は、家族の関係性を含めた全てを白紙に戻した方が良いのではないか? そう考えだしていた……
また、僕自身Mに対して、誰よりも愛してると気持ちを伝えている分、きちんとケジメをつける必要もあった。いつまでも、彼女に対して、中途半端な態度で接する事は嫌だった。彼女からもらっていた、屈託のない笑顔の写真を見る度に、彼女に対する、僕の言葉一つ一つを裏切りたくなかった。そして、妻と離婚に向けて話し合いを持つ事にした。
しかし、実際、離婚と言っても日本の法律とは違い、お互いが離婚をすると決め、正式に証明できる文章等を作成してから、離婚成立まで2年間の猶予期間が設けられていた……
現実で心身ともに疲れ切っている僕に、Mは、いつも優しく接してくれていた。この頃から、
「Y、ちゃんと寝て欲しい。毎日大丈夫?」
と心配し始められた。僕が彼女の気持ちに不安になる度、
「大丈夫だよ、Yの事、ちゃんと好きだから。どうしたら、不安にならなくなるのかな?」
何度も僕の不安を取り除くように好きだと言う気持ちを優しく伝えてくれていた。そして、毎日ゲームが終わってからも、連絡をし続けてくれていた。そんな日々を送るなか、一度だけ彼女との電話で、
「Y、好きだよ。愛してる。Yは?」
初めて彼女の口から愛してると言われた。僕自身は、彼女に何度も好きだと電話で伝え、Mの事をどうしようもない位に愛してると伝えていた。それに対し彼女は、
「愛してるって言葉の意味が、よくわからないんだ。ただ、凄く大事にしている言葉なのはわかる」
毎回僕が彼女に気持ちを伝えてる度に言われていた。しかし、この時だけは、彼女から愛していると言われたのだ……彼女は、だんだんと精神的にも肉体的にも追い詰められてきている僕自身の変化に気づき、本当に心配してくれていたのだ……ただ、このときの僕は、本当の彼女の気持ちに気づきもせず、ただ単に、現実世界でも、電脳世界でも、彼女の優しさのみに甘え、彼女の優しさなしではいられなくなっていた。
彼女の気持ちなど一切考えもせず、自分自身の事しか考えていなかった……
9. ジレンマ
5月に入り、仕事はますます忙しくなっていった。実際、売り上げはコロナ以前の8~9割まで戻ってきていた。この頃から、僕と妻は、毎日、離婚にむけて話し合いを始めていた。実際、何が子供にとって1番良い方法なのか? そればかり口論するようになっていた……自分自身が決めた事とは言え、朝から晩までほとんど休憩もせずに、働いている僕にとって、この妻との話し合いは、精神的な負担を大きくしていた。
電脳世界では、Mと喧嘩をしてしまうようになっていた。理由は、至って簡単だった。僕自身が、現実の疲れから、Mに優しくなれないでいたからである。普段なら、何でもないようなゲームでの些細な事が気になりだし、Mに何度もあたってしまっていた……Mは、そんな僕にいつも優しかった。最後はいつもMが折れてくれ、僕を許してくれていた。Mの全てを許してくれる優しさ、そして、僕自身に対する気遣いは、毎日の生活に疲れていく僕にとって、唯一の癒やしになっていた。この頃になると、MとのLINEが日課になっていた僕にとって、忘れられない出来事がある……
普段通りにMとのLINEをしているとMが突然、「今日は、父の誕生日だったんだ」と言った。僕は「えっ?ゴメン!!LINEまた今度にしよう!お父さんの誕生日をちゃんと祝って来て」とMに謝った。
僕は父を社会人になる前に亡くしていた。その為、生前、父に親孝行らしい事を何一つできないでいた……だからこそ、僕が大好きな人には、僕ができなかった分まで、きちんと親孝行をしてもらいたかった。そうMに伝えると「だったら、私は天国にいるYのお父さんに感謝しなくちゃ。Yと出会わせてくれてありがとうございますって。」彼女から出た言葉を、僕はこれからも忘れる事ができない。色々な女性と出会ってきた中で初めてだった。自分の他界した父に対して、感謝の言葉をかけてくれて人は……
この彼女の言葉からだと、今でもはっきりと覚えている。彼女の自然体からでる優しさ全てを誰よりも大切にしたいと思い、これから先もずっと一緒にいたいと思ったのは……
ゲームにログインする理由が、『M』になってしまっていた僕にとって、少しの時間だけでも、Mに会いたい、話しをしたい、電話をしたい、そんな思いばかり毎日募っていた。そんな思いが膨らみ過ぎたある日、僕はMに対して口を滑らしてしまった。
「Mになら、いつでも僕が住んでいる国の永住権をわたせるから、将来を考えてほしい」
こう言ってしまった。実際、まだ僕自身、この時は、離婚が決定していなかった。Mからは、
「愛人にでもなれって事?」
そう返事が返ってきた。僕は、心底後悔した。僕自身の離婚が決定していない状態で、何を伝えてしまったんだろう。今の状態で、Mに離婚の話をだしたら、間違いなく彼女は、自分のせいだと思うのに。僕は、すぐに彼女に謝罪をした。彼女は、
「正直なぜこのタイミングで言われたのか、戸惑っている。」
と言った。僕は、まだ彼女に離婚の話をするわけにはいかなかった。正式に離婚が決まり、離婚同意書にサインが終わってから、全ての経緯を彼女に伝えよう、そう心に決めていた。彼女にこれ以上余計な思いをしてほしくなかった……僕は
「もし、このまま、コロナが落ち着いて、年末に日本に帰国できたら、僕と一度会ってほしい。そこで、僕と言う人間を見てもらいたい。そして、これからの事を考えてほしい」
そう最後にお願いした。Mは、
「わかった。ちゃんと会う。でも、これ会ったら浮気になっちゃうかな?」
そう答えた……僕は、(大丈夫だよ。今、Mが不安にならないようにしてるから)そう答えられない自分自身に強いジレンマを抱えていた。もし、この時に、Mに離婚の話し合いが始まっていた事を伝えていたら、これから先の僕たちの関係は変わっていたのだろうか……
そんなある日、Mを酷く傷つけしまう出来事が起こった。いつものようにゲームをし、その後、2人でLINEをしていた。もう、そろそろ寝ようかと思っていた頃、急にMから、「Y、ワガママ言っていい?今、電話しちゃ駄目?」
そう訪ねられた。僕は、
「大丈夫だよ? ちょっと待ってね?」
そう言って、いつものようにイヤホンを取りに向かった。普段なら、こうして2人で他愛もない話をするはずだった。しかし、この時、1人で寝ている妻が起きてきた。妻は、僕と離婚について話し合いをしたいと言った……Mに、
「ゴメン! 電話できなくなった……」
僕は、そう連絡をした。Mから
「わかった、おやすみ、Y」
それだけが返ってきた。僕はもういてもたってもいられなくなった。Mを傷つけた。この事だけが、僕の心を締めつけた。妻に話し合いは、今日ではなく明日にしてほしい、そうお願いし、僕は子供が寝ている部屋に戻り、MにLINEをした。Mからは、
「Yがいつも不安になっているから、電話で気持ちを伝えて、安心してもらおうと思ったのに……急に駄目って言われて……私の気持ちは? どうなの? 悲しくなる」
そう言われた。僕は、(もう少しだけ待ってほしい、これからの為にも今話し合いをしているんだ)、そう、Mに真実を伝えられないこと、そして、僕自身がMを苦しめしまっている現実に、ただただ謝る事しかできなかった。それでもMは、最後には、
「しょうがないよね、Yに家族があるの知ってるし…」
そういつも答えるのだった……僕は、子供、妻、M、3人の為にも、一刻も早く結論をださなくてはいけない、そう感じていた。
10. 後悔
Mと一緒にずっといられると信じていた……僕にとっては奇跡のような時間に終わりの足音が聞こえ始めていた……この時、現実においても、電脳世界においても、さまざまな事が重なり過ぎていた。どうして、僕は全てにおいて冷静になれなかったのか、愛してるMの全てを信じ続けられなかったのか……誰よりも、そして、何よりも大切だったMを失ってしまった後悔だけが今でも僕を縛り続けている……
現実世界では、離婚の話がなかなかまとまらずにいた。子供の為に、僕たちはどうしたら良いのか?この結論がでないまま、毎日の口論は続いていた。しかし、妻も、離婚自体については納得をしていた。子供を理不尽に傷つけない、そして子供の前では、絶対に喧嘩をしない。そうお互いに約束していた。僕も妻も、子供が大切だった。お互いに優しくする事ができなくなっていても……子供が悲しまない方法はきっとある。そう確信していたからだ。日本とは違い、子供のクラスの友人の半分近くは両親が離婚していた。しかし、子供の友人、また、親は、いつも楽しそうに過ごしていた。実際、僕たち自身も子供の友人の親、そして離婚してできた、それぞれ別のパートナーとも親しくしていた。この先の見えない状況において、お互いに優しくなれないならば、離婚は必ずしも悪い判断ではない。そう思っていた。
仕事は相変わらず忙しく、休憩をとる時間すらなくなっていた。現実世界で、毎日忙しくなる仕事、そして結論がでない話し合い、この2つは、確実に僕自身のゲームにも影響を与えていた。Mを酷く傷つけてしまったと言う現実から、僕は徐々に精神的に追い詰められていた。Mを傷つけてしまった、またもう一度でも傷つけてしまったら、Mは僕の前からいなくなってしまうのではないか?そう感じ始めていた。Mを失ってしまう恐怖は、今の僕には耐えられなかった……。
そんな僕に追い打ちをかけるように電脳世界では、今でまとまっていたギルドに亀裂が入っていた。原因は、同じ国(フィールド)にいる、英語圏のトップギルド達が、日本人ギルドに対し嫌がらせのような行為を始めた為だった。こうして、この国にいる日本人プレイヤー、ギルドの半分近くが、この国自体に嫌気をさし、別の国に移民(フィールド移動)する事になった。僕たちのギルドも、この余波をうけ、メンバー同士で言い合いになっていった。こうして、Mとずっと一緒にいれると夢をみていた僕にとって、何もかもをなくしてしまう出来事が始まった……
11. 弱さ
移民問題が始まってから、ギルドは壊れてしまった。もともといたメンバーと、ギルドマスターのKさんの間で、修復不可能な確執ができていた。そのような中、Mにメンバー数名から直接LINEの誘いが来た。
最初は、メンバー1人からのインスタグラムへの誘いだった。彼女の性格上、インスタグラムの誘いを断る事は出来ずに交流が始まり、そして、そのまま、他のメンバーも交えたLINEへの誘いに変わっていった……ギルドの事を考え、メンバーの為に常に動いていたMにとっては、当たり前の誘いだった。ゲームでのこれから先の事を考えるなら、誰にとってもMは、必要不可欠な頼れる存在だった。
僕もMを通してLINEのメンバーに誘われたのだが、僕はそれを断った。Mから、「ワガママかもしれないけど、他のメンバーとは余りLINEをしないでもらいたい。YとのLINEは、私だけにしてもらいたい」
そう、言われたからだ。また、最初のMとの約束もあり、他のメンバーとLINEをする気は初めから僕にはなかった。この新しく出来たLINEグループの内容は、いつもMが教えてくれていた。
しかし、僕の知らない所で、Mが他のメンバーとLINEをし、知らない内容を相談している、そう考えてしまうと余計な事を考えてしまう自分がいた……
現実では、仕事が余りに忙しくなり過ぎていた。ずっと一緒に働いてくれていた親友が、日本への永久帰国をする日が迫りお店を辞めることになったのだ。その為、僕は1人で全ての仕事をしなければいけなかった。毎日、朝から晩まで仕事をし、子供の世話、そして、離婚にむけての結論をださなければいけない、僕は、徐々に精神的に余裕がなくなっていっていた。Mとこれから先も、現実もゲームもずっと一緒にいたい。Mが側にいてくれればそれだけで良い。そんな思いにだけ囚われていた。そして、終わりは唐突に訪れた……
火曜日、お店は、オープンと同時に忙しくなり一向に落ち着つく気配はなかった。僕自身、休憩する時間もなくひたすら仕事を続けていた。普段なら、MにLINEで他愛もない連絡をしていた時間になっても、携帯電話を見る余裕すらなかった。そして、やっと一段落ついた頃、MからのLINEに気がついた。そのLINEをみて、僕はパニックになった。
「もう、ギルドを辞める事にしました。Y、今まで守ってくれてありがとう」
そう書かれていた。Mがいなくなってしまうかもしれない。その不安から、仕事を全て放り出し、彼女に必死に何通も連絡をした。僕にとって、現実のMも、電脳世界のMも一緒だった。どちらかを失う事は、結局、何よりも大切なM自身を失ってしまう、そう思い込んでいた。
しかし、この日に限って仕事が鳴り止まず、連絡を取り続ける事は難しくなっていた。仕事が落ち着き、ゲームにすぐにログインした頃、Mはもうギルドにはいなかった……僕は
(誰がまたMを追い詰めたのか!?)
ゲームでの出来事にも関わらず、メンバー全員に怒りを感じていた。
「ふざけるな!」
そうオープンチャットに書き残し、ギルドを抜けて、Mを広大なゲームのフィールドから探し始めた。Mを失う怖さから、パニックになっていた僕は、彼女をLINEグループに誘った相手に協力を求めていた……
現実世界での疲れから冷静さを失っていた僕自身、この時に間違いを犯していた事に気づきもしなかった。結局Mは、僕にちゃんと居場所を教えてくれ、Mが作った新しいギルドに僕が入り、この日は何事もなく終わりを迎えた。僕は、Mとこれからも一緒にいられるという安心感しかなかった。
水曜日になり、事態は悪化した。僕がMを探す為に協力をお願いしたメンバーが、他のメンバーに僕のメールを見せていたのだ。パニックにおちいっていた僕は、ゲームにも関わらず、MをPCさんではなく、いつものようにMと書いていた……実際、LINEグループには、本名で全員参加していたのをMから聞いていたので、僕自身、各自の呼び方については、安心しきっていた。ところが、それは、最初に決めたMとの約束、「現実とゲームの区別」を破る事になっていた。
LINEグループから、その話を聞き、冷やかされたMは酷く怒っていた。
「私は、ゲームではPCだよ?Mじゃない」
そう責められた。僕は、自分自身の認識の甘さを後悔し、Mに謝った。
そして夜になり、なかなか許してくれないMについて、違うMのLINEメンバー、Nさんにアドバイスを求めていた。
Nさんは、僕がMのギルドに入ったその晩に、合流し、今日、一足先に移民する予定だった。Nさんが移民するまでの少しの時間、Mの事を相談し、Nさんからアドバイスをもらった。しかし、そのアドバイスの中には、僕に『Mに対する疑惑』を植え付けてしまう内容が含まれていた……無事に、彼女の移民をMと見送った後、僕たちは、ゲームで他愛もない会話した。そして、今日はお互いに少しゆっくりしようと言う事になり、日課になっていたLINEは明日になった。
しかし、僕の中にくすぶってしまった疑惑を拭い去る事はできなかった……Mからくる毎日のおやすみなさいのLINEから、僕はMに対し初めて罵詈雑言を書いてしまった。
そして、Mと口論になり、口論は、木曜日になっても続いていた。結局全ては、僕自身の誤解とMを信じられなくなっていた僕の弱さが原因だった。
今までなら、何て事のない普通の会話に、僕は疑惑を持ち、常に僕の事を考えてくれ、一度たりとも嘘など言ったことのないMに対し、僕は酷い事を言ってしまっていた。全てがわかった時、僕は何度もMに謝った。許してほしかった。どうしても一緒にいたかった。もう少しだった、どんなに現実で仕事が忙しかろうが、疲れていようが、話を進めていた離婚について、この時、ようやく話がまとまっていた。しかし、Mを嘘つき呼ばわりし、Mがあくまでも『ゲームの延長』としてやっているLINEグループを巻き込んでしまった僕に対し、Mはいつも違い本当に怒っていた。僕は、何度も謝ってもなかなか許してくれないMから、この時、初めて逃げ出してしまった……耐えられなくなっていた。
こんなにもMの事を考えて、Mしかいらない程愛しているのに何で僕の事をわかってくれないんだ??仕事が忙しいなか、こんなにも無理やり時間を作って、連絡しているのに。どうして? そんな、気持ちだけが僕を支配していた……それは、Mの気持ちを全く考えていない自分勝手な思いでしかなかった。
12. M
Mから逃げだしてしまった僕は、後悔しかなかった。何をしてしまったんだろう?どうしよう?許してくれるのか?もう、さまざまな感情が心をざわつかせていた。とにかく謝ろう、Mならきっと許してくれる、そう思い何度も連絡をしたが、返信が返ってくる事はなかった……僕は、全く仕事が手につかなくなり、開業以来初めて、全ての仕事をストップし、店を営業終了前に閉めた。
その後、何度も連絡や電話をしても繋がりもしないLINEに、僕は絶望した。Mから拒絶された、そう実感した。そして、Mは、ゲーム内でも名前を変更し、僕との連絡を完全に断っていた……僕は、ずっと誤解していた。僕がMとゲームでも一緒にいたいから側にいたと思っていた。しかし実際は、ゲーム内での繋がりだけではなく、『M』自身を僕が何よりも必要としていた。Mがいないと現実の仕事も何もかも、全てが駄目だった。
金曜日になり、全ての連絡手段を失った僕は、どうにかして、Mに許してもらいたかった。Mがいなくなる事に、どうしても耐えられなかった。仕事は、朝から手につかず、Mを失ってしまった不安や恐怖から、仕事中にも関わらず涙すら流していた。今の僕は、かっこ悪くても、情けなくても、何と思われても良い、Mにどうにかして許してもらえるなら、恥も外聞も何もなかった。
仕事が落ち着いてすぐに、僕はMのLINEメンバーの1人に再度連絡をした。どうしても、Mと直接連絡を取りたかった。取れなくても、どうにかして、Mに連絡を取れるように手を貸してもらいたかった。しかし、メンバーからの返信は、僕の心を砕くものだった。
「Mちゃん、どうしてこうなったか教えてくれないの。何があったの?」
彼女との会話は、こうして始まった。僕は、火曜日からの一部始終を話した。そして、「Mちゃんから、聞いて良いって言われたから聞くけど、RXさんは、Mちゃんに恋愛感情はあったの?」
そう質問された…僕は、
「PCさんではなく、現実のMさんの事が好きです」
そう答えた。
「でも、あなたは、Mちゃんから好きって言われたの?あなたの一方的な感情を彼女に押し付けていない?」
僕はだんだんと訳がわからなくなってきていた。この人は、何を聞いているんだ?僕たちの今までを何も知らないくせに、そう思い始めていた。
「Mさんからは、特別だとは言われました」
そう、僕は答えた。
「あなた、現実の彼女や奥さんはいないのよね?」
そして、この質問がきた。実際、この時点で、僕と妻はお互いに離婚に同意はしていた。後は、詳細を決めるだけだった。しかし、正式な書面としてはまだサインをしていなかった……僕は、
「妻がいます」
そう答えた。その答えから、彼女の僕に対する全否定が始まった。『実際にあった事もない人を、本気で好きになるはずがない』『家族も大切に出来ない人間が、適当な事を言うな』『既婚者が、Mの優しさを利用するな』『Mは、優しいから僕にだまされたんだ』『2度とMに連絡もさせないように伝えるし、連絡をするな』『いい加減、Mが僕を拒絶している事を理解しろ』本当に酷いものだった……僕は、始めて携帯電話を持ちながら泣いた。貴方に何が分かる。Mと僕の今までの関係を何も知りもせず。僕は、誰よりも家族を、子供を大事にしていた。それでも、どうしようもない事だってある。大事にしているからこそ、子供の為に離婚する事だってある。現実で、出会える事ができなくても、M自身の本質に触れ、僕は誰よりもMを大切に思い一緒にいたいと願った。だからこそ、離婚をしてでも、Mに対して僕の今までの気持ち、言葉を信じてもらいたかった。現実だろうが、始まりがゲームだろうが、人が人を好きになる理由は関係ない。そう僕は彼女に伝えたかった……しかし、彼女の『Mが僕を拒絶している』この言葉が僕の反論を妨げた……
Mは、僕ではなくこれからはこの人達とLINEを続けていく、これ以上Mが迷惑になるような事は言えない。僕は泣きながら、
「僕もMさんの優しさは、皆さん以上にわかっています」
そう答えるのが精一杯だった。彼女からの返信は、
「それ、誤解だから」
僕はもう何もかもわからなくなった。
「皆さんには、これ以上連絡をする事もありません。色々とありがとうございました」そう返信をし、チャットを閉じた……そして、ボロボロに打ち砕かれた状態でMに最後のメールを書いた。内容は、自分勝手で、情けなくて、Mの気持ちを全く考えていない、どうしようもないものだった事を今でも覚えている。それでも、僕は、Mが好きで一緒にいてほしいと願っていた。距離が離れている分、普通の人が出来るような事が出来ない代わりに、Mが好きなゲームを一緒にして、会えない時間も一緒にいたかった。
しかし、Mからは何の返信もなかった。僕はゲームをアンインストールした……
アンインストールしてから数日経ち、僕と妻は、離婚同意書にサインをした。サインをしたからと言っても、実際は、今まで通りの生活と変わることはなかった。ただ、僕も妻もこれからは、少しだけお互いに気持ちが楽になれる、そんな気はしていた……僕自身は、何よりも大切なMを失った事で、毎日の生活に何の意味もみいだせないでいた。その時間の中で、僕はどれだけMを傷つけてしまったのか、Mの気持ちを考えていなかったのか、そのような事ばかりが頭に浮かんでいた。今まで自分自身の気持ちしか考えていなかった。Mとの最初の約束を僕は果たせていなかった。もし、Mの気持ちをちゃんと考えていれば、このような事は起こらなかったのではないか?毎日、僕は後悔していた。
1週間が過ぎた頃、僕は最後の勇気を振り絞り、もう一度ゲームにログインする事にした。Mに、この1週間思った事を伝え謝ろう、そして、もう一度Mにやり直せないかお願いしよう。そう思っていた。ゲームにログインし、Mに最後のメールを書いた。そしてメールを書いて少したった頃、Mのゲーム名が『PC』に戻っていた。僕は、最後の望みをかけてメールした。
「PCさん、もう一度、初めからゲームを一緒に出来ませんか?」
そして、今まで返信がなかったMから返信がきた。
「ごめんなさい。無理です。」
こうして、ようやく僕は全て失った事を理解した。最後のMからの返信が、彼女の僕にとっての最後の優しさだった。
エピローグ
現実でも、電脳世界でも、星の数程人がいて、数え切れないほどゲームが存在する。そのなかで、僕は『P&S』を選び、200以上ある別々のステージの中、RXとして、PCさんと出会い、YとしてMの優しさに触れ、何もかも考えられないくらいな恋をした。
2021年、この年を僕は生涯忘れることないだろう。人生の転機になる出来事のなかで、僕にとって、Mとの出会いそのものが本当に奇跡のよう時間だった。仕事面、生活面の疲れから、毎日荒んでいく僕の心に、彼女の嘘偽りない優しさが、僕自身を癒やし続けてくれていた……
人が人を好きになるのに、今も昔も明確な理由なんていらない。
僕は改めて感じている。現実で出会えなくても、Mの本質に触れた時、僕のどうしようもないほどの恋は始まった。例え、それが現実世界ではなく、電脳世界、ゲームの中から始まった恋だとしても……実際に触れる事ができなくても、誰よりも彼女を大切にしたいと思い、愛し、そして、涙を流す事が出来ると言う事を僕に教えてくれた。僕はこれからも彼女を忘れることない。僕にくれたMの優しさ全ては、心の中に、彼女の笑顔と共に永遠に残り続けていく。何よりも切なくて、暖かな思い出として……
電脳世界の恋 RX-Y @RX93-Y
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