狐の女中

斑猫

狐の女中:表

 大正末期。甲家と呼ばれる資産家の屋敷に、ゆきのと呼ばれる女中が働いていた。ゆきのは十八、九ばかりの小娘にしか見えなかったのだが、悩ましく艶やかな色香と奸計の持ち主であり、すぐさま甲家の若き当主を誑かし、当主の妾、それも一番の寵愛を受ける存在になってしまったのだ。

 良くも悪くもゆきのが賢い女だった事は、妾の身分でありながら、正妻である当主夫人と親しくなり、彼女の実子であり甲家の跡取り息子である寅坊の乳母代わりになっていた事からも明らかであろう。

 ゆきのはさも楽しそうに幼い寅坊の面倒を見ていたが、ゆきのが面倒を見るようになってから、寅坊はしばしば体調を崩すようになり、二月もしないうちに伏せがちになっていった。

 ゆきのは慌てたそぶりを見せ、やがて寅坊の父母や出入りの医者、他の使用人に寅坊の体調について相談するようになった。

 ゆきのは元々からして寅坊を幼い弟のように思って面倒を見ていたと皆が思っていたから、この時もゆきのが、妾の身分ながらもけなげに正妻の子供を看病していると信じていた。またゆきのは、夜などにこっそりと屋敷を抜け出し、供もつけずに一人で何処かへ出向くようにもなっていた。

 真相が判明したのは、本当に些細なきっかけであった。寅坊のいる部屋を通りかかった小間使いが、室内から聞こえる異様な物音と声に興味を惹かれ、隙間からこっそり中を覗いたのである。目の当たりにした光景に女中は驚きすぐには声が出なかったという。伏せって苦しんでいる寅坊を覗き込むのは、女中の衣装を身にまとった大きな化け狐だったのだ。金色の瞳と銀色の毛を妖しくぎらつかせ、三本もある尻尾をうねらせながら化け物が舌なめずりするさまを小間使いははっきりと見た。

 ゆきのは年数経たメス狐が化けたモノであり、当主の妾になった挙句、跡取り息子を取り殺そうとしているのだ――小間使いはぼんやりとそんな事を思った。

 ゆきのを殺す事はすぐに決まった。実を言えばゆきのを寵愛していた当主は戸惑いを見せていたのだが、名うての退魔師の説得により自分が女狐に誑かされていただけなのだと考えを改めた。

 ゆきのがこっそり出向いていた先が化け狐の巣窟であった事は件の退魔師の調査により明るみになった。仕事の速い退魔師は、ゆきのを尋問する前に、ゆきのの縁者と思われる巣窟の化け狐を皆殺しにし、ひときわ見事な男狐の遺骸の耳を切り落として尋問に備えて用意をしていたのだ。

 ゆきのは尻尾を三本も持つ、野良狐よりも力のある化け狐だったが、化け狐の巣窟を一掃した退魔師がいてくれたので、彼女への尋問と処刑はそう大変なものではなかった。ゆきのは最期まで寅坊に呪詛を掛けて弱らせた事を認めはしなかった。男狐から切り落とした耳を見せられた時は美しかったかんばせが憤怒に染まり、悍ましい畜生の本性を曝け出しただけだった。

 ゆきのの死後、寅坊の世話は口の重い大人しい女中が担ったが、寅坊は元気になる事は無く数か月後に夭逝してしまった。これもゆきのの呪いだったのか。退魔師は口をつぐむのみだった。

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