第82話生粋のお姫様
「や、やぁ、ノルンおはよう……!」
「この惨事はいったいなんなんだ?」
身につけているエプロンも、床も水でビショビショ。
水差しは粉々砕け、ひっくり返った器から雑に千切った葉物野菜がそこら中に散乱していた。
「あはは、みっともないところを見せて申し訳ない。ちょっとなんだ……転んでしまってね。はは!」
「そ、そうか。大丈夫か?」
ノルンがそっと手を差し伸べると、ジェスタは元気よく「ありがとう!」といって手を握り返してくる。
そんな彼女がいやに魅力的に見えてしまい、胸が自然と高鳴る。
(俺はこんなに綺麗な娘と一年以上も平然と旅をしていたのか……)
一時期、人から欲の概念を奪い去る聖剣を恨んだことがあった。
しかしこうした状況になって改めて、あれはやはり聖剣から勇者へ与えられた重要な”加護"だったのだと思い返すのだった。
ふとそんな中香ってきた、焦げ臭い。
「なんだこの臭いは……?」
「ぎゃー! パン忘れてたぁー!!」
ジェスタはバタバタと台所へ飛び込んでゆく。
バシャンと水音がしたと思うと、モクモクと白い湯気が台所から湧き上がる。
「よ、良かった! 火事にならず! よくやったぞ! ナイス判断だぞ、私!」
水桶を持ったジェスタは誇らしげに竈門の前でふんぞり返っている。
竈門の中には石にように黒い物体が、湯気を上げながら鎮座している。
そしてノルンは更なる惨状を目の当たりにする。
(これは酷い……)
そこら中に白い粉の跡が飛び散っていた。
棚の中もグチャグチャ、テーブルの上も酷い状態である。
「もう少し待っていてくれ! すぐに朝食を用意するからな!」
そういえば旅をしていたこと、ロトはしきりにジェスタには何もさせないようにしていたと思い出す。
(こういうことか……やはりジェスタは生粋の姫君という……)
ジェスタの魔力の回復のために同棲を始めて最初の朝から、この先が思いやられるノルンなのだった。
「ノ、ノルン? そんな怖い顔してどうかしたかい?」
「いや、その……むぅ……」
ジェスタは不安げな視線を寄せてくる。
これで本人は至って真剣なのだから、怒鳴るわけにも行かない。
「こんな惨状を見せつけられたら、流石のノルン殿でも険しい表情をされるのは当たり前だと思いますが?」
「ひっ!」
いつの間にかシェザールが、ジェスタの背後をとっていた。
「シェザール! もしかしてずっと見てたの!?」
「もちろんでございます」
「だったら手伝ってくれたって良いじゃん!」
「手を出してしまえば面白くない……こほん! 姫さまのためにはならないと思いまして」
「今、面白がってるっていったでしょ!?」
「そ・れ・よ・り・も! ノルン殿の家をこんなにめちゃくちゃにして、恥を知りなさい!」
シェザールは激昂をし、ジェスタはピーんと背筋を伸ばした。
同時にノルンも。
「まずは片付けなさい! こんなのではノルン殿からすぐに見放されてしまいますよ!?」
「えっ!? やだ! それはやだやだ!!」
「ならばきちんとなさい!」
「ううっ……」
ジェスタはノルンヘ救いの視線を寄せてくる。
「ま、まぁ、失敗ぐらい誰でもする。次からは気をつけてくれよ?」
「あ、ああ! 任せてくれ! さぁて、もう一回朝食の準備を……」
この惨状を片付けて、更にここからまた支度となると……ブランチどころか、ランチを覚悟しなければならないのかもしれない。
と、その時、誰かが管理人小屋の扉を叩いていた。
「お、おはようございます! 朝早くすみません!」
扉を開けるとそこには、先日ジェスタが道端で救ったという"ハンマ診療所のリゼルさん“がいた。
彼女は何故か、大きなバスケットを手にしている。
「おはようリゼルさん。こんな朝早くなにかようか?」
「け、今朝パンを焼きまして! 良かったら如何かと……」
「パンだってぇー!!」
ジェスタがすっ飛んできた。
そしてがっしりリゼルさんの肩を掴む。
「ナイスタイミングだ! 最高だ! さすがはリゼルさんだっ!」
「あ、あの……えっ?」
「さぁ、ノルン! せっかくリゼルさんがパンをご馳走してくれるんだ! 一緒に食そうじゃないか! 私はジャムとバターを持ってくるぞぉ!」
ジェスタは意気揚々と台所へ向かってゆく。
「と、とりあえずそういうことになった。上がってくれ」
「はい。でもぉ……」
「ん?」
「先にお片づけをしましょうか?」
リゼルさんは足に絡まったブランケットを見て苦笑いを浮かべているのだった。
⚫️⚫️⚫️
「おー! 美味い! やはりパンは焼きたてに限るな!」
「ありがとうございます。コーヒーは如何ですか?」
上機嫌そうにパンを頬張るジェスタへ、リゼルさんはコーヒーのおかわりを注ぐ。
「ノルンさんは?」
「ありがとう。しかし気を使わなくても良いんだぞ? 君はゲストなわけであるからして」
「気にしないでください。こういうこと好きなんで」
リゼルさんはニコニコ笑顔を振りまきながら、ノルンにもコーヒーを注ぐ。
そのほかにも、テキパキ食器を片付けたり、色々と出したり……まるで勝手知ったるや、である。
「ふーむ……ブラックばかりではさすがに飽きるな」
「あっ、お砂糖いれます?」
ジェスタの呟きをリゼルさんは瞬時に拾い上げ、戸棚から角砂糖入りのポットを手に取る。
「よくそれが砂糖だと分かったな?」
「えっ……あ、ああ! な、なんとなく? うちでも同じ入れ物にお砂糖を入れるんで、これかなぁと……」
「随分とこの家に慣れているようだが、もしや君は……」
「あの、えっと!」
「俺が赴任する以前にこの小屋を片付けてくれた恩人とみた!」
ノルンはグスタフから、山林管理人の山小屋は長らく放置されていて、酷い状態だと聞いていた。
しかし実際はそんなことはなく、綺麗にされていたし、生活感さえあったのだった。
「そ、そうです! そうそう! 新しい管理人さんがいらっしゃるって伺って、せめてお住まいくらいは綺麗にしておかないと、と思いまして……」
「なるほど。何から何まですまない。このお礼はいずれ必ず!」
「あ、い、良いですよ! お礼なんて! 好きでやってたことですし……」
「そういうわけにもいかん! だな、ジェスタ?」
「ああ! こんなにも美味しいパンをご馳走になったのだからな」
「よし! では早速作戦会議だな」
「ならば私に良い策があるぞ!」
ふとリゼルさんが微笑ましそうに笑っていることに気がついた。
「む? どうかしたか?」
「いえ、ノルンさんとジェスタさん、すっごく仲良しなんだなぁって思って。もしかして一緒に住んでるんですか?」
「あ、ああ、まぁ……といっても、昨日からだが……」
「まるで新婚さんのようですね?」
リゼルさんの発言にノルンとジェスタは仲良く、息ぴったりで息をのむ。
「し、新婚ではない! これはその事情が! なぁ、ジェスタ!」
「そ、そうなんだ! 彼は私のために仕方なくだな!」
「はいはい、わかりましたわかりました。それじゃあおじゃま虫はこの辺でお暇しますね」
リゼルさんはそう言って、そそくさと山小屋を出て行った。
そうして2人っきりになると、どうにも気まずいような、恥ずかしいような空気が垂れ込める。
「そ、そろそろ仕事にでようかと思う」
「そ、そうか。頑張ってくれ。なにかしておいた方が良いことはあるか?」
「だったら後で買い物を頼みたい。リストは用意する!」
「心得た!」
ジェスタは自信満々に返事をする。
(しかし大丈夫か、ジェスタに任せて本当に……?)
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