第65話 それでもノルンにとって一番大事な人は……


「おはよう」

「あっ、おはようございます……コーヒー入れますね」


 リゼルはそそくさと立ち上がると、キッチンへ向かって行った。


(やはり今日も元気がないか……)


 秋頃まではよく一緒に眠っていたが、めっきりその機会が減っていた。

 ここ最近、診療所での仕事が忙しいらしく、リゼルは浮かない顔をしていることが多い。

疲れが溜まっているのか……元気がないのは他の理由があるのかもしれない。


 ロト達が村へやって来て以来、リゼルは日に日に元気をなくしているような気がしてならなかった。

たしかにノルン自身も、仲間達の来訪が嬉しくて、ついリゼルよりも彼女達とのことを優先してしまっていた自覚はある。


(このままではいかんか)


 今のノルンにとって誰が一番大切か。

 そんなこと考えるまでもない。


「どうぞ」

「ありがとう……リゼル」


 ノルンはコーヒーを出してきたリゼルの手を取った。


「ノルン様……?」

「その、なんだ……申し訳なかった」

「えっ……?」

「ここ最近、ロト達ばかりのことを気にして、君を蔑ろにしてしまった。本当に済まなく思っている」

「……いえ……気にしないでください。ノルン様にとって、ロト様たちが大事な方々だというのは分かっていますから……」


 リゼルの切なげな声に、胸が詰まった。

心配をかけまいと、強がっているのが分かった。


 ノルンは椅子から立ち上がる。

そしてリゼルをそっと抱きしめた。


「あ、あの! えっと……ノルン様……?」


 腕の中に感じるリゼルの感触、そして匂いが胸へ喜びを呼び起こす。

 やはり今のノルンは、これが無くては生きては行けないと改めて感じた。


「ロト達は今でも大事な仲間だ。それは変わらない。アイツらとヨーツンヘイムで再会して改めてそう思ったところもある」


「……」


「だが、今の俺にとって一番大事なのは、君だ。君なんだリゼル!」


「……!」


「寂しい思いをさせて本当にすまなかった。反省している。これからは気をつける。君のことをもっと大事にする。君のことを一番に考える。約束する」


「ノルン様……」


 リゼルはより身を寄せてきた。

 久方ぶりに感じた、柔らかいリゼルの感触が心地よい。


「ごめんなさい……いつも面倒臭い女で……」

「構わん。そういうところも含めて、俺は君のことを愛している」

「ありがとうございます、ノルン様。私も、あなたのことが大好きですよ!」


 口付けを交わすのはどれぐらいぶりのことだったろうか。

 ノルンは強い幸福感と満足感を得た。

そして改めて、自分にとってリゼルこそが最も大事な人なのだと再認識する。


「今日は山へ冬支度のために、色々と採りに行こうと考えている。良かったら一緒に行かないか?」

「はい! 喜んでお供します! これって、久々の……デートってやつですよね?」

「ああ、そうだ。デートだ。今日は二人きりでたくさん楽しもう」

「はい!! 久々にノルン様と二人っきりだぁ! ふふっ……」


 やはりリゼルは、こうして明るく、元気でいるのがよく似合っている。


 あまりに嬉しくて、勢いでそういうことをしたくはなったが……今始めてしまっては出かけるどころではなくなってしまう。


「あの、ノルン様……」

「ん?」

「明日も私、お休みなので、今夜はその……」


 リゼルはしきりに身体を揺すりながら、真っ赤な顔をしてノルンを見上げて来る。

どうやら色々な意味で、心も身体も繋がってるらしい。

そんな相手が傍にいることが、どれだけ幸福なことか。


「俺も同じ気持ちだ。今夜は二人で野獣になろう」

「野獣って……はは……。でも……今夜は久々なので……楽しみにしてますねっ!」



……

……

……



「じゃあ、ゴッ君、お留守番よろしくね!」

「グゥー!」

「行くぞ」

「はいっ!」


 朝食を終え、ノルンはリゼルと手を繋いで、山小屋を出た。

 今日は春のように暖かく、山を歩き回るのにはもってこいの日だった。


「この間、オリバーの山奥で野苺を見つけたんです! 今年はそれでジャムを仕込んでみようかなと!」

「ほう、それは良い。楽しみにしている」

「楽しみって、ノルン様も一緒に作るんですよ?」

「そうか、わかった。指導をよろしく頼む」

「はい! あとは……」

「あっ! 兄さーんっ!!」


 突然、リゼルとの会話に、ロトの声が割り込んで来た。

 坂の向こうから、ロトが三姫士達を引き連れて、駆け寄って来ているのが見える。


「こんな時間にどうした?」

「今からみんなで冬支度のために山へ必要なものを採りに行くの! 兄さんも一緒にどうかなって思って!」


 ロトは一方的に、そう言って来た。

 同行していた三姫士たちはリゼルと手を繋いでいたリゼルを見て、苦笑いを浮かべている。


「もちろん、リゼルさんも一緒で大丈夫だから!」

「いや、しかし……」

「私は……大丈夫、です……」


 リゼルはノルンから手を解くと、笑顔でそう答える。

 リゼルの作り物のような笑顔に、ノルンの胸がざわついた。


「よろしくお願いします、ロト様、三姫士の皆様……。あまり邪魔にならないよう気をつけます」

「大丈夫ですよ! 私たち、この山を回るの初めてなんです! だから色々と教えてくださいね、リゼルさん!」


 リゼルとロトは肩を並べて歩き出す。

 ノルンは何故か空気が張り詰めているような気がして、息苦しさを覚える。


「顔色が悪いな。どうかしたか?」


 ジェスタが心配そうに覗き込んでくる。


「二日酔いだったら良い薬あるぜぇ!」

「辛かったら言う! 我、ノルンの分も採集頑張る!」


 アンクシャとデルタはいつもの調子でそう言ってきた。

 心配してもらえるのはありがたかった。

こうして一緒にいると楽しかった旅路を思い出し、胸が華やぐ。

しかし、今日の主役は彼女達ではない。


「心配ありがとう。しかし大丈夫だ。あまりリゼルと俺のことは気にしないでくれ」

「そ、そうか……済まなかった」

「いや、構わん。ここは意外に足元が悪い。お前達もくれぐれも気をつけてくれ」


 ノルンはジェスタを横切って、リゼルへ向かってゆく。


「……まっ、仕方ないさね……」


 アンクシャは帽子を深く被り直して顔を隠し、


「ガウゥ……」


 デルタはため息のような声を漏らす。


 かくして、ノルン達六人は、山の中へ入っていった。



⚫️⚫️⚫️



「皆、遅いぞ! 早く来ないかー!」


 ジェスタは険しい森の中を、ひょいひょいと進んでゆく。

 さすがは自然と共生する、妖精エルフである。


「おーい! ノルーン!! 登ってこないかぁ! 凄く良い眺めだぞぉ!!」


 一際高い針葉樹の枝の上からジェスタの声が降り注いでくる。


「すまない! 今の俺は、そこに登り出したら日が暮れてしまう! 絶景は君だけで楽しんでくれ!!」


 ノルンはそう叫ぶとジェスタから視線を外して後ろを振り返る。


「大丈夫か?」

「は、はい。すみません、のろまで……」

「気にするな。俺たちはゆっくり行こう」


 ノルンはリゼルの手をしっかりと握りしめる。

 リゼルは一瞬躊躇うように視線を泳がせる。


「ノルン様、やはり私のことなんて……」

「構わん。遠慮するな。俺は今日、君と山に来ているんだ。君が俺のパートナーなんだ」


 ノルンは少し強めに、リゼルの手を握った。

やがてリゼルからも、手を握り返してくる。


「ああ、そうか……そうだよな、やはり……ノルンは……」


 木の上にいたジェスタは空を仰いでいた。

 そしてノルンとリゼルから、逃げるように次の木へ向かって跳んでゆく。



……

……

……



「おい、ノルン! コイツ、火炎茸って物騒な名前なんだけどよ、めっちゃ美味い茸なんだぜ!」

「ほう」


 アンクシャが揺らめく炎のような形をした茸を指していた。


「もっと、奥へ行こうぜ……ありゃ?」


 ノルンの腕を掴もうとしていたアンクシャの手が空を掴む。


「リゼル、見てくれ! こいつは火炎茸という物騒な名前だが、美味いらしいぞ!」

「へぇ、こんなのもヨーツンヘイムにあるんですね。あっ、これも結構美味しくて、乾燥させて煎じればお薬にもなるんですよ?」

「ほう! なら、それをたくさん探そう! 行くぞ!」

「あっ、ちょっ!?」


 ノルンはリゼルの手を引き、木々の間へ入ってゆく。


「……あんな顔、僕もみたことねぇよ……もうメロメロじゃんか……はぁ……」


 アンクシャは、ノルンのリゼルの背中を見て、ため息まじりにそう呟いた。



……

……

……



「ガァァァ!!」


 森の中へデルタの勇ましい咆哮が響き渡る。

 彼女の鋭い爪が一発で木を薙ぎ倒す。


「相変わらずすごい力だな、デルタ」

「ガウッ! 我、すごい!」


 ノルンの賞賛に、デルタは子供のように顔を綻ばせる。


「さぁ、ノルン! 一緒に切り分け……ガウッ……」


 すでにデルタの側に、ノルンの姿は無かった。


「こんなに持てます?」

「案ずるな。これでも俺は元勇者だ。伊達に鍛えてはいない」

「そうでしたね。じゃあ、これも持ってくださいます?」

「任せろ!」


 沢山の火付け用の枝の束を背負ったノルンは、キノコなどがたくさん入った籠をリゼルから受け取る。


「皆! 俺とリゼルの採集は終わった! 先に戻らせてもらうぞ!」

「あっ! に、兄さん!?」


 背を向けたノルンは、ロトへ振り返ることなく手を振る。

そしてリゼルと手を繋いで、そそくさと、その場を跡にする。


「ガウッ……ノルン……」


 デルタはがっくりと肩を落として項垂れる。


「そう落ち込むなよ。別に……嫌われたわけじゃねぇんだからさ……」


 アンクシャはデルタの肩を叩きつつ、そう慰める。


「しかし、幸せそうだな。本当に……今の彼は……」


 ジェスタの呟きが、冷たい冬の空気に溶けて消えてゆく。


「兄さん……」


 ロトもまた、ノルンとリゼルの背中が見えなくなるまで、見つめ続けているのだった。

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