第64話この世でたった二人きりの兄妹


「すっごい行列ですねぇ……」


 買い物途中にリゼルは、酒場の前の長蛇の列を見て、そう呟いた。

 相変わらずの盛況ぶりである。


「おや……? ノルン! リゼルさん、こんにちは!」


 振り返ると盆にグラスを乗せたジェスタが駆け寄ってくる。


「ジェスタか。そんな格好をしてどうした?」


 珍しいエプロン姿のジェスタは、少し恥ずかしそうに頬を掻く仕草をする。


「ワインの試飲提供をしているんだ。ロトに誘われてな。せっかくの機会だし、ジャハナムのワインを皆に知ってもらおうと思って……アンクシャとデルタも居るんだぞ」

「ふぃー……疲れたぁー……飯、飯っと……あむ! んー!! やっぱロトちゃんのジャムサンドは最高だなぁ!」


 酒場の傍にある扉から、アンクシャがサンドイッチを齧りながら現れる。

 彼女もまたエプロン姿だった。


「お前は料理か、アンクシャ?」

「おっ! ノルンじゃん! そうさ! ロトちゃんに天麩羅の調理頼まれてねー。今日のロトちゃん弁当は、このアンクシャ様とのコラボ! 特製イシイタケ天麩羅弁当なんだぜ!」

「アンクシャ、邪魔!」


 声と共に、複数の竜人の影が落ちてくる。


 大きくて重そうな木箱を軽々と持って飛ぶ、デルタとオッゴだった。

 今日のオッゴは非番なのだが、またデルタに引っ張り回されているらしい。

 

「ノルン! ノルン! ガァァァ!!」

「お、お前達も何か手伝っているのか?」

「デルタ様、ロト様に食材の輸送を頼まれてましてね。なんか、俺も一緒に、やれ! ということでして……」


 相変わらずオッゴは色々と大変そうだった。

 近いうちに必ず飲みに誘ってやろうと、ノルンは硬く決意する。


「煮物一気に行きまーす!! 女将さん! ライスの追加を! あっ、マスター! お釣りのストックは、後ろにありますよ!!」


 厨房を預かるロトは、かなり忙しそうな様子だった。

更に、マスターと女将さんのフォローもしている。

どこからどうみても修羅場らしい。


「さぁて! んじゃま、戦場に戻りますかねぇ! ノルン、リゼルさんまったねー!」


 いつの間にサンドイッチを食べて終えていたアンクシャは厨房へ戻ってゆく。


「では私もこれで。よかったらあとでワインの試飲もしてくれ!」


 ジェスタは足早に表通りへ戻ってゆき、


「また! オッゴ、行く!」

「ま、まだあるんですかぁ!?」

「竜人はこの程度でへこたれてはダメ!」

「わぁーん!」


 デルタはオッゴを引き連れて、空へと戻ってゆく。

 ふと、再び視線が、厨房で忙しくしているロトへ向かう。


 大変そうだが、生き生きとした表情をしていて楽しそうだった。


「一気に仕上げちゃいますよ、アンクシャさん!」

「おう! やったるぜぇー!」


 やはりロトには戦いよりも、こうして普通に働くのが、とても似合っていると思う。


「あっち行きたいですか?」

「ん?」


 リゼルがそう声をかけてきた。


「良いですよ?」

「しかし……」

「これでも割と長くノルン様のお側にいるんですからわかります。手伝いたいんですよね?」

「……だが……」

「もう! ほぅら!」


 リゼルはポンとノルンの背中を押した。


「いってらっしゃい。頑張ってくださいね」

「リゼル……すまん! ありがとう!」


 ノルンは笑顔のリゼルに見送られて、進んでいった。

 雑嚢からエプロンを取り出し、装備して、準備完了!


「ロト! 救援に来たぞ!」

「はぇ!? に、兄さん!? なんで!?」


 ロトは驚きつつも、嬉しそうに顔を綻ばせている。


「早く指示を! 今はお前がリーダーだ、ロト!」

「分かった! じゃあ兄さんは岩塩を砕いて!」

「承知した!!」


……

……

……



「ぐがー……すぴぃ……イ、イシイタケが……イシイタケが、僕を……うわぁぁー! すぅー……」


 すっかり客足の引いた酒場にアンクシャの寝言が響き渡る。

 疲れ切った上に、火酒を煽ったのだから、眠ってしまうのは仕方がない。


「お疲れ様だ、アンクシャ」


 ノルンはそっとブランケットをかけてやると、コーヒーを片手に厨房の裏口へ向かってゆく。


「今日はよく頑張ったな、ロト」

「あっ、兄さん! 兄さんこそ!」


 ロトへコーヒーを渡し、二人並んで座り込んだ。


「今日は本当にありがとね。凄く助かったよ」

「妹が必死で頑張っていたんだ。黙って見過ごす兄などを居ないだろう」

「そう? 旅の中で結構いろんな兄妹に出会ったけど、兄さん結構甘々な方だと思うよ?」

「そうか?」

「そうだよ」

「そうか……」

「あっ! でも、控えて欲しいとかそういうのじゃないから! むしろすっごく嬉しいから!!」


 ロトは本当に嬉しそうな顔をして、そう言う。

 

 ロト達がヨーツンヘイムへやって来て、ノルンは自分がどれだけ仲間達に必要とされ、愛されていたと思い知った。

とても辛い思いをさせてしまっていたのだと痛切に感じた。


(やはり、俺はあの時、どうしてもっと……)


「兄さん?」

「ロト……本当に済まなかった。何も言わず姿を消してしまって……今更、お前達がどれだけ、俺のことを必要としてくれていたかわかった……なのに俺は……」


 ふと、暖かを身近に感じる。

 気がつくと、ロトが身を寄せていた。


「仕方ないよ……幾ら兄さんが頑張ったって、きっと真実は伝わらなかったと思うもん。だから兄さんが悔やむ必要はないんだよ?」

「……」

「それにまたこうして会えたんだから、良いって。今があればそれで……」

「ロト……ありがとう」


 二人は揃ってコーヒーを口へ運び、空を見上げる。

 穏やかな夜空が到来しつつある。


 ノルンもまた、このような穏やかな時間が、続いて欲しいと願う。

しかし同時に、この優しい時間にいつまでも甘えていてはいけないのとも思うのだった。

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