第52話ワインは彼と彼女の思い出の証。


「知ってるか? 一夜御殿には美人な人間と、妖精と、鉱人と、竜人が四人で住んでるらしいぜ?」

「それじゃあまるで勇者一行みたいじゃん?」

「んな、まさか! こんな田舎に、勇者一行が来る訳ねぇっての」

「それもそうだな! がははは!!」


 そんな噂話が村の色んなところで囁かれていた。

 実は大正解なのだが、真実を知る者は少ない……というか一人だけ。


(釘を刺したとはいえ、やはり気にはなる……)


 真実が露見してしまえば、どんな混乱が生じるか全く予想ができない。

念には念を入れておくべき。


 そういうわけで、ノルンは村に突然建てられた、巨大で豪華な屋敷――【一夜御殿】を訪れる。


ちなみに、一夜御殿とは、村人達が勝手に言い出した屋敷の仇名だった。

確かにこの屋敷は、一夜で建てられたとはやや言い過ぎだが、それに近い速度で建てられているので、あながち間違っているとはいえない。


「おや、管理人さん。ごきげんよう。当家に何か御用ですか?」

「あなたは確か……?」


 傍から声をかけてきた妖精の女性には見覚えがあった。

むしろ、直近で言葉を交わしている。


「ジェスタ様の侍女を務めております【シェザール】と申します。改めまして、よろしくお願いいたします、ノルン山林管理人様」

「こ、こちらこそ。しかし貴方は司祭だったのでは……?」

「あれは副業でして。こちらが本業なのですよ。ふふ……」


 給仕メイド服を着ているシェザールを見てようやく思い出す。

 たしかこの妖精の女性は幽閉時代のジェスタの身の回りの世話をしていたはずだったと。

それに魔貴族ビュルネイとの決戦では、疾風のごとく、戦場を駆け回っていたような……


「さぁ、中へどうぞ」

「あ、ああ……」


 シェザールに招かれるまま、頑丈そうな門扉を潜る。

そこを抜ければ、まるで異世界だった。


 立派な噴水を中心に、綺麗な庭園が形作られていた。

こんなに豪奢な庭は、王都でもみたことがない。


「姫さまー! ただいま帰還いたしましたぁ! ノルン管理人様もご一緒ですよー!」

「ん……あ、あわわわ! ノ、ノルンだと!? うわっ!? ぎゃぁー!!」


 テラスにいたジェスタは、突然慌て出し、手にしていたグラスをひっくり返した。

 皺ひとつないテーブルクロスへ、中身の液体が盛大にぶちまけられる。


「だ、大丈夫か……?」

「あ、いや! これは、違うんだ!! 決して休みだからと油断して、昼から酒を楽しんでいたのではなく!!」


 ぐっしょり濡れたテーブルクロスからは、果物のような匂いが上っている。

 柑橘系ともいえるし、甘いバニラのような香りもある。


「ワインか?」

「そ、そうなんだ! そうそう! 今朝早く、ジャハナムから届いたもので! 今の醸造長から試飲ティスティングして欲しいと頼まれて!」

「ほう」

「それにこのワインはあの時、貴方と仕込んだものだし、大事なものだから、すぐにでも試そうと思って! だからこんな時間だけど、仕方ないと判断してだな!!」


 あの時とはおそらく、ジェスタを三姫士へスカウトするために葡萄栽培とワイン醸造を手伝った時のことだろう。

 ワインは通常、仕込んでから少なくとも一年は樽で寝かせ、瓶詰めがされる。

 ジェスタと出会ってから、もうそんなに時間が経ったのかと、感慨深いものがあった。


「試しても良いか?」

「はぇっ!?」

「俺も、君と仕込んだワインを試してみたいのだが……」

「試すって……あっ……そうか……。今の貴方は分かるのだったな!」


 突然、ジェスタの顔が明るんだ。まるで三姫士になる前の、葡萄栽培とワイン醸造に取り組んでいた時の彼女のようだった。

 酔いの影響が少しあるのかもしれない。

 普段は冷静で、真剣な表情をしていることの多いジェスタの、貴重な笑顔がみられて得をした気分だった。


「こんなところではアレだ! せっかくだから上がっていってくれ!」


 ジェスタに促され、ノルンは噂の一夜御殿へ、踏み込んでゆく。


「管理人様。どうぞ姫様とごゆるりとお寛ぎください。もし眠くなりましたら、2階の客間をご利用くださいね?」

「あ、ああ。しかしあまり厄介にはならないよう心がける」

「いえいえ、ご遠慮なさらず。それでは私はこれで……うふふ……」


 シェザールは妖艶な笑みを残して、音もなく消えてゆく。

やはり、彼女は只者では無い。


 吹き抜けの高い天井は住居内だということを忘れさせるほど爽快だった。

 真新しいピカピカの石の床は、大きな窓ガラスから差し込む日差しを反射させ、館全体を明るく照らし出している。

 適度に飾られた品のいい調度品が内装のワンポイントになっているのがまた素晴らしい。

まるで貴族の屋敷のような、王都でも指折りの高級ホテルのような。


「立派な館だな。これがあの短期間で建てられたなどにわかに信じられん」

「三種族が力を尽くせば、この程度造作もないことさ。まぁ、少々やり過ぎた気もするが……」


 ジェスタは柔らかい表情で、恥ずかしそうに頬を掻く。

 そんな彼女を見て、意図せず胸が高鳴るノルンだった。


「さぁ、どうぞ!」


 ノルンはジェスタに招かれ、これまた高級レストランを思わせるような、立派な部屋へ通される。


「おーいシェザール! 何か摘むものを用意してくれないかー?」


 席に着いたジェスタの声が溶けて消えてゆく。


「だれかー! いないのかー? おーい!」


 やはり誰も出てくるどころか、答えも返ってはこない。


「仕方ない……ノルン、少し待っててくれ。なにか適当に肴を見繕ってくる」

「そこまでしなくても良いぞ?」

「そういわず! 貴方とこうして初めて食事ができ、酒が酌み交わせるんだ! 遠慮しないでくれ!」


 妙にテンションの高いジェスタに気圧され、ノルンは黙り込む。

 そうしてジェスタは颯爽と、奥の回廊へ消えてゆく。


 ようやく一人になったノルンは、深く息を吐いた。


 正直、ジェスタから常に香っていた良い匂いに、動揺していた。

上機嫌にコロコロと表情を変える彼女が、妙に魅力的に見えてしまっていた。


(俺はあんな娘と一年以上も旅をしていたのか……聖剣よ、お前の力は呪いとばかり思っていたが、やはりバカな俺を守る加護だったようだ……許してくれ)


 今更ながら、ノルンはタイムセイバーへは感謝するのだった。

同時に診療所で一生懸命働いているだろう、リゼルにも何故か申し訳なさを感じてしまう。


 ふと、ずっとジェスタが戻ってきていないことに気が付く。

 回廊からなにやら不穏な気配が漂って来ている。

心配になり、そこへ向かってみると……


「な、何をしているんだ……?」

「待っていてくれ。すぐに肴を用意する……」


 ジェスタは調理場で自慢のレイピアを冗談みたく、上段に構えていた。

 彼女が狙うは、まな板の上に乗せられた、小さな小さなイシイタケ一つ。


「時に、一つ聞いても良いか?」

「なにか?」

「調理経験は?」

「ない! しかし、やる気さえあればできないことはない!!」


 そういえばジェスタは葡萄栽培とワイン醸造、そして戦うこと以外はからっきしだったと思い出す……



『ジェスタさんは大人しく待っていてください! 全部私がやるので、静かにしていてください!!』


「そうか? 君ばかりに任せてしまっては……」


『気にしないでください! 全然! 全然大丈夫ですからっ!』


「いや、しかし……!」


『もう、いい加減諦めてくださいよぉー!!』



 ……ノルンはそんなロトとジェスタのやり取りを思い出していた。




「ジェスタ、大丈夫だ。ここから先は俺がやる」


ノルンは真剣な眼差しのジェスタをそっと押し退けた。


「むっ? 貴方までロトみたいなことを言うのだな? なぁに、貴方はゲストなんだ。ホストとしてもてなすのは当然……」


「むしろ君にはワインの支度をお願いしたい。その辺りは君の方が遥かに専門家だからな。頼む!」


「そ、そうか……わかった! では最高の状態で提供するとしよう!」


 ジェスタは意気揚々と台所を出て行く。

どうやら惨劇は未然に防げたらしい。


……

……

……



「お、おお……! これは、本当に貴方が作ったものなのか!? まさか、これほどとは……!!」


 テーブルに着いたジェスタは子供みたいに目を丸くしていた。

いつもとのギャップがノルンの胸を、意図せず高鳴らせる。


「ア、アヒージョという……好きな食材をニンニク油で煮込む料理だが、今回はヨーツンヘイム産のイシイタケを使ってみた」

「こんなのは初めてだ! ジャハナムから送られてきた白ワインとの相性も良さそうだし、この油をパンに浸しても旨いだろうな!」

「そうだな」

「しかし不思議だ……貴方はずっと食事が不要だったのだろ? なぜ、こんなにも凝った料理が……」

「修行時代、リディ……剣聖様とロトの食事は俺が用意していたんだ。ちなみに、俺はロトの料理の師匠でもある」

「なんと!! あのお料理上手のロトの師匠!! これは意外な真実だ!!」


 今日のジェスタは妙にテンションが高い気がした。

 やはり少し飲んでいる影響か……。


「さぁ、乾杯と行こう!」


 ジェスタは愛らしい笑顔を浮かべつつ、大振りのグラスへ黄金色のワインを注ぐ。


「思い出の味と、貴方との再会を祝して……乾杯!」



……

……

……



「全く……あの偽勇者! テラエフェクトを甘くみて、魔法を撃ったんだぞ!? 馬鹿だ! 馬鹿すぎて、思い出すだけでも腹が立つ!! どうしてあんな唐変木をタイムセイバーは勇者に選んだんだ!! バンシィの方が……バンシィの方が……うわぁぁ――ん!!」

「な、泣くな! 泣くなジェスタ!! 気持ちはわかるが!!」


 すっかり出来上がったジェスタは、子供のようにワンワン大声で泣き出す。

どうやら泣き上戸な上に、相当ストレスが溜まっていたらしい

 しかも最初は対面で席に着いていたはずなのに、いつの間にか横並びになっている。


「私は貴方と戦いたくて三姫士になったんだ!! 貴方とジャハナムの葡萄園を守りたくて、戦って来たんだ! それなのに……それなのに……びぇぇぇーん!!」

「わかった! 気持ちはわかっている! だから……泣くな!」

「うわぁーん!! 最悪だぁ! 最低だぁー! もうお家に帰るぅー! ジャハナムにまた引き篭もるー!」

「ええい!!」


 どうにかジェスタを落ち着けないと思い、とっさに彼女の頭をゴッ君のように撫でた。

すると、わんわん喚き散らしていたジェスタが、急に大人しくなる。


「おや、これは……んふふ……ふふふ……」

「ど、どうかしたか?」

「気持ちいい……はぁ……んんっ……!」

「そ、そうか」

「……なぁ、バンシィ」


 妙に色っぽい声で、ジェスタが呼んでくる。


「な、なんだ……?」

「私は、えっと……だから……ああ、もう!!」


 ジェスタはグラスを掴んで、ワインを一気に流し込む。

 そして真っ赤な顔を向けてきた。


「バンシィ! 私は! 私は貴方を! 貴方を…………あくっ!」

「……?」

「うぷっ……ぎぼじわる、い……!」

「お、おい!!」


 突然ジェスタは、糸が切れた人形のようにテーブルへ突っ伏した。

 どうやら飲みすぎて酔い潰れてしまったらしい。


 ノルンが大声で助けを呼ぶと、音もなくシェザールを含め、たくさんの妖精の使用人たちが姿を表す。


「姫様のおバカ! せっかくのチャンスでしたのに!!」

「ああ、うう……す、す……好きッ! 好きだバンシィ!!」

「私に言われても困ります! このおバカさんが!!」


 シェザールを中心にした使用人たちは、最小限の音のみで、スラコラサッサとジェスタを素早く運び出していった。


(まさか、ずっとみられていたのか……?)


 なんだかとても恥ずかしい気がするノルンなのだった。



⚫️⚫️⚫️



「ノ、ノルン!!」


 あくる日、村に居たノルンの背中へ緊張した声が響き渡る。


「どうしたジェスタ。何かようか?」

「さ、昨日は大変ご迷惑をおかけして申し訳なかった!」


 ジェスタは周りが驚くほどに声を張り、腰を折って見せる。

どうやら昨日、飲みすぎて管を巻いてしまったことの謝罪らしい。


「構わん。気にするな。酒を飲めばそういう時もある」

「ありがとう。やはり貴方は心が広いな。そういうところが……と、とっても好きだぞ!!」

「そ、そうか、ありがとう」


 誤解をしてはならない。今の好きはきっと、人間性に対してだ。

だいたい、ここでドキドキする方が、リゼルへ失礼である。


「ところでノルン。これから少し付き合ってもらえないだろうか?」

「構わないが……しばらくは昼の飲酒はごめんだぞ?」

「ち、違う! この話は、えっと……貴方個人へというよりも、ヨーツンヘイムの山林管理人のノルンへの提案なんだ! きっとこの土地の新しい利益になると思うんだ!」


 新しい利益――その言葉に、ノルンは強い興味を抱く。


 

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