第3話薬師修行中のリゼル
「お、覚えていらっしゃいますか!? 私のこと!! ゾゴック村で助けて頂いた【リゼル】ですっ!」
「ゾゴック村のリゼル……リゼル……リゼ……ああ」
既視感と記憶がようやくつながった。
半年前のこと、たまたま立ち寄ったスーイエイブ州のゾゴック村へ邪教が押し入った。そして一人の村娘が邪竜の生贄にと誘拐された。ノルンたちは村人たちの願いを受けて、その村娘を助け出し、邪教と邪竜を倒した。
その時の生贄の娘こそ、今目の前にいる【リゼル】だった。
特徴といえば栗色の髪のもみ上げを左右で三つ編みにしていること。
やや小柄で、歳相応には見えない幼い面影があるくらい。
それら以外に特徴といえる特徴がない、どこにでもいそうな一般人の娘――それが再会したリゼルから受けた印象だった。
「君だったか。あれ以来、村に邪教や魔物は近づいていないか?」
「はい、おかげさまですっかりと」
「そうか……時に、一つ聞いても良いか?」
「なんでしょう?」
「どうして君は俺の顔を知っているんだ?」
黒の勇者バンシィ――彼は常に全身を黒々とした甲冑と、餓狼の意匠のアーメットで素顔を覆った鋼の戦士だった。
いつでも、どこでも、食事の時さえ基本的にはその格好でいた彼。
どんな状況でもすぐに戦いへ赴けるよう彼なりに考えた結果だった。
そんな黒の勇者の素顔を知る者は、かつての仲間たちか、連合首脳に限られている。
「だって、あの時、勇者様は兜を壊してまでも、私を助けてくださったじゃありませんか!」
熱の余韻か、焚火が近くにあるためか。リゼルは顔を赤くしながら、答えを示す。
確かにゾゴック村で恐れられていた魔竜は難儀した相手で、アーメットを砕かれて、焦った記憶がある。
ならば生贄として磔にされていたリゼルが顔を知っていても何も不思議ではない。
「そんなこともあったな」
「はい。あの時はありがとうございました。今、こうして無事に生きていられるのはすべて、黒の勇者バンシィ様のおかげです。だから今、私はこうして薬師としての修行の旅ができています」
「薬師を目指しているのか?」
「はいっ! 早く一人前になって、勇者様のようにみんなを助けられるよう頑張ってます!」
リゼルは先ほどまで寝込んでいたことなど、まるで嘘だったかのように元気な声で返事をした。
「勇者様に助けて頂いて私誓ったんです。勇者様がお命を懸けて救ってくださったこの身体と魂を、勇者様と同じく世のために使おうって!」
リゼルの強い決意を孕んだ言葉がノルンの胸を打った。
「生憎、私は身体が強い方でもないですし、勇者様や三姫士様、ロト様のように勇ましく戦うことはできません。だけど、できることをしたい。その一心で、あれから村を発ち、ずっと薬師として独り立ちするための旅をしていたんです!」
「……そうか」
「ところで、三姫士様方やロト様はどちらへ? できればご挨拶をしたいのですけど……」
「……」
「勇者様?」
リゼルの純朴な黒い瞳がノルンを写し出だす。
彼女は自分の身の上を語ってくれた。だったらここで隠したり、嘘をつくことはフェアではないと思った。
それに黒の勇者バンシィがどうなったか、いずれは大陸全土に広まり、人々が知ることとなる。
今ここで口を開くのは、それが少し早まるくらいのことでしかない。
「三姫士もロトは傍に居ない。ここにいるのは俺だけだ」
「えっ……? そ、それって、もしかして!!」
「安心しろ。アイツらは生きている。たぶん、な」
ノルンの言葉を聞き、リゼルはほっとした様子を見せた。
それだけリゼルが心優しい少女であるということは分かったのだった。
「じゃあ、なんでこんなところに、しかも装備もされないでお一人で?」
「勇者を、なんだ……解任された」
「解任……? それって……」
「クビ、というやつだ」
自分でも驚くほど、滑りだした口は、次々と数日前の城でのやり取りを語り始める。
それだけ、あの出来事は自分にとっては衝撃的な出来事だったのだと、改めて思い知る。
「ひ、酷い……そんなの酷すぎますっ!! なんで勇者様がそんな目に……! あんまりです!!」
リゼルは丸い瞳に涙を湛えながらも、怒りの声を叫ぶ。
まるで自分のことのように怒りをあらわにする彼女を見て、逆にノルンへ冷静さが舞い戻る。
「連合の決めたことだ。仕方ない……」
「だけど!」
「後任はユニコン第二皇子殿下だ。彼ならばきっと大陸へ平和をもたらしてくれるはず。安心してくれ」
「殿下のことは存じております。とても優秀な方だとも伺っています。だけど、だけど――やっぱり私の中での勇者は、黒の勇者バンシィ様ただお一人ですっ!」
「……」
「うっ、うっ、ひっく……なんでバンシィ様が……あんなに一生懸命頑張っていらっしゃったのに、どうして……」
リゼルの涙を見てようやく思い出すことができた。どうして、自分が“過酷な勇者という使命”を受け入れたのかを。
彼にとって勇者という称号は、あくまで己の意志に従って、明確に動くための手段でしかなかったのだ。
実の母親や、時には姉のように慕っていた剣聖が、魔王軍によって目の前で惨殺された。心優しき剣聖を慕っていた村人は皆生きたまま炎に焼かれ、村も、育った山も灰燼に帰した。
敵への復讐心も勿論ある。しかし最も大きかったのは、同じ悲劇を繰り返さぬよう、魔王軍と戦い、助けられなかった人々の分まで大陸を、民を守りたいという意思だった。
だからこそ、王座で勇者を解任され、力の源である聖剣タイムセイバーを没収された時、深く絶望した。
聖剣を失った今、黒の勇者バンシィは死んだ。ここにいるのは、ネルアガマ王国に暮らすただの人。ヨ―ツンヘイムの山林をこれから管理することとなる山林管理人のノルンでしかない。
もはや連合や王国、仲間だった三姫士や妹弟子のロトに守ってもらうことしかできない、無力な存在。
しかし、そんな彼になってはしまったのだけれど、すぐ近くへ救いの手を差し伸べることぐらいはできる。
ノルンは子供のようにわんわん泣きじゃくる、リゼルへ手を伸ばす。
そして月明かりの下でも、綺麗に輝く栗色の髪を、そっと撫でた。
「ありがとう。怒りを感じ、そして涙してくれて」
「勇者様……?」
「連合は俺に勇者の資格なしと判断した。だから不安を覚えた。俺がこれまでしてきた、勇者としての行いはすべて間違いだったんじゃないのかと。俺のエゴは、誰も助けられていなかったんじゃないのかと」
「……」
「だけど、君は俺が勇者ではなくなったことを怒り、そして涙を流してくれた。こんな俺を、今でも勇者と言ってくれた。少なくとも俺は、君の中では勇者で、君を救うことはできたらしい。強く、安堵している」
取り繕うことなく、素直に、思ったことを。最も、口で説明するのが苦手なノルンなので、自分でもぶっきら棒で、たどたどしい、実に子供っぽい言葉だったと思う。
「勿体ないお言葉……こちらこそありがとうございます。この身体と命をは勇者様のお陰で救われました。村のみんなも、いえ大陸の全ての民が、貴方に感謝しています」
リゼルはそう言って、ノルンの手をそっと握り返して来る。
一瞬冷たさを感じるも、芯には暖かさがあるリゼルの手がノルンの胸を熱くする。
もしも、ここでリゼルと出会わなければ、大切なものを失ったままでいたのかもしれないと思った。
「ありがとうリゼル。君に出会えて、救われた。感謝している」
「勿体ないお言葉ありがとうございす……決めました……っ!」
リゼルは指先で涙をぬぐい、赤く腫れた目をノルンへ向ける。
異様な強さを感じさせる視線に、ノルンは怯んだ。
「ど、どうした、急にそんな目をして……?」
「私、これから勇者様のお傍において頂けることを望みます!」
「……は?」
きょとんとするノルンの手を、リゼルはそっと退け、しかし素早く地面へ膝を突いた。
「お願いします! どうか、ご許可を! お傍にいるご許可を!」
「お、おい! そういうことは気安くするものでは……!」
「身の回りのことは私が全部します! 言うこともちゃんと聞きます! だからどうか! どうかわたしをお傍に置いてください!」
「いや、その、ええっと……むぅ……」
ノルンは狼狽え、深々と土下座するリゼルへ屈みこむ。
しかしどんなに言葉をかけてもリゼルは「お願いしますっ!」の一点張りで、石のように動かない。
近くで眠っていた草食動物のワイルドディアの親子が跳び起きた。土下座するリゼルと情けなく狼狽えるノルンをつぶらな瞳に写した。
そしてあんまり危険が無さそうだと判断したのか欠伸をして、再び眠りに就くのだった。
「リゼル! 頼むから、まずは頭を!」
「置いてくださるんですか!?」
「いや、それは……」
「お願いしますっ! お願いしますッ!!」
そういえば……ゾゴック村が属するスーイエイブ州の民は老若男女問わず、義理堅くそして頑固な気質があると聞いたことがあるような。
(ど、どうすれば良い? 俺はどうすれば……!?)
こういう時、意見を求める仲間がいないのは心細いと、ノルンは思うのだった。
「ま、まぁ……良いが……?」
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