やばい、私がヒロインだ!
アジのフライ
プロローグ
私、
物語の中で輝くヒロイン達しか知らない。
彼女たちはいつだって美しくて、可憐で、素直で、純粋で、優しくて、そして強い。いつも私の、私たちの心を満たしてくれる存在だ。
しかし、どうだ。
彼女らが、ヒロインたり得るために陰で一体どれほどの努力を、我慢をしているのかを。私は知らない。……知らなかった。
「お、おい。あれが?」
「ああ……めちゃくちゃ可愛いじゃん」
「色、白っ。スタイル良すぎだろ……」
一年生、だろうか。
まだ真新しい制服に身を包んだ男子生徒達が、ぼんやりと見惚れるようにしてひそひそ話し合っている。
「あれが、学園のキュートエンジェル……」
ベタなラブコメのヒロインに付けられそうなあだ名に異物を加えてひっくり返してから輸出したみたいなその通り名は。
何を隠そう、私に向けられたものだった。
そう、まるで物語の中のヒロインのような。
……通り名が死ぬほどダサいことについては、この際目をつむろう。
我慢は、得意だ。
言っておくが私は、何もせずにただのんべんだらりと過ごしてきて今この場所に立っているわけではない。
何事も我慢ってのは必要だ。
特に私は、我慢に我慢に我慢を重ねて、今ここにいる。やりたいことを欲望のままにやって、誰もが羨む人間になれるはずが無い。
日々のたゆまぬケアのおかげで、いつだって艶やかに輝く髪。
節制した日々の生活と、多くの時間を割いたお陰で保たれる白い美肌とこのプロポーション。
そして、誰からも愛されるようにと鏡に録画、果てには妹を相手に研究に研究を重ねた結果、手に入れた愛嬌ある笑顔と話し方。
この高校に入学しておよそ一年間。
我慢を続け、気を抜くことなく日々を過ごし続けた私は。
いつしか、『学園のキュートエンジェル』と呼ばれるようになっていた。
や、やっぱり通り名だけはなんとかならないかなぁ……。私は心の中でため息をつく。
でも、それでも。私は耐えられる。
我慢には慣れているから。
人生は、我慢の積み重ねで成り立っている。
あれしたいこれしたいが全て罷り通るのは、せいぜい幼稚園や保育園までだ。
一人の人間である自覚を持ち、まっとうに生きてきたからこそ。私は今、ここにいる。
我慢の上に成り立つものだからこそ、人は、私は、そしてきっとヒロインは輝くのだ。
……のだと。
そう、思っていたのに。
――私がこれまでの人生我慢して積み上げてきたものは、たった数ヶ月で塗り替えられた。
期末テストを終えた週明けの、七月半ば。
照りつける太陽は、日に日にその強さを増していく。
渡り廊下を一人歩いていた私は、向こう側からのろのろと歩いてくる女子生徒の姿を捉えた。
びゅう、と吹いたぬるい風が私の髪を揺らす。
視界を遮る前髪を優しくはらうと、私はその女の子をまっすぐに見据えた。
「…………くそ」
誰にも聞かれないよう、一人毒づく。
あいつだ。あんの野郎。
どう見てもろくにケアもしていないであろうにもかかわらず、まばゆく輝く髪。寝癖が所々ぴょんぴょんはねているというのに。なぜだ。
仕方なく開けられているかのような、眠たそうな目。その垂れ目のせいなのか、幼くあどけない雰囲気に庇護欲を掻き立てられる。
さらにその肌は雪のように白い。透明感さえ感じさせるほどに。日々のケア? 絶対違う。ほぼ家に引きこもっているからだ。
私は視線を胸元へと落とす。きっと暴飲暴食を重ねたのであろう彼女の体内に蓄積された栄養や脂肪分は、全てそこに向かったのだろう。二つの立派な膨らみが制服を押し上げていた。
『――学園の堕天使』。
入学してたった数ヶ月で彼女もまた、ヒロイン……いや、悪役のような通り名を手にしていた。
…………は? は? は?
羨ましすぎるんだが?
いや、通り名の方じゃなくて。
本来私が表であるなら、彼女は裏。
なんの我慢も努力もせず。したいようにただ過ごしているだけの存在。そのはずなのに。
努力と我慢を積み重ねた私と同じように、いや、そんな私以上に彼女はみんなに持て囃されているのだ。
そんなことが、許されていいのだろうか?
堂々と休憩時間にラノベを読み。
水筒に入れて持参したコーラを飲み。
愛想もない。可愛げもない。身なりも適当。
よく寝て、よく食べる。
――それなのに、愛される。
私は、どうだ?
日々我慢に我慢を重ねて……。
……いや、まじふざけんなよ。
私だって……コーラ飲みたいわっ!!!
一人心の中で叫んだところで。
ラノベを読みつつ歩いていた彼女はこちらに気づいたのか、ぱたりと手元の本を閉じる。
……あれは、先日発売したばかりの新刊ではないか。じゃ、なくて。
ととと、とこちらに駆け寄ると、甘夏は眠たそうな、眩しそうな目で私を見上げた。
……だから、歩きながらラノベ読むな。
また心の中でツッコミを入れる。
そうして。
「――あ、ゆずせんぱい。おはようございまーす。コーラ、飲みますか?」
黒地に何やら英字のロゴが書かれた水筒を取り出すと、甘夏はその蓋をひねる。ぷしっ、と爽やかな音がして、それをこちらに差し出してくる。
「――わ、悪いけど。そういうのはあんまり飲まないようにしてるから」
私は震えそうになる声でどうにか答える。
そう。とある些細なきっかけで私たちが知り合ってからというもの、彼女はこうして私に付き纏ってくるのだ。
「えー、そうですか。残念です……」
甘夏は悲しそうに俯くと、水筒に口をつける。続けてごくごくとその中の液体を飲む。
強まる日差しが、彼女の白すぎる肌を、喉元を眩しく照らしていた。
「ぷはぁ」
水筒から口を離した甘夏はうまそうに口元を袖で拭うと、満足げに息を漏らす。思わずごくりと私の喉が鳴る。
「コーラが苦手だなんて、せんぱい損してますよ」
苦手なわけ、ないだろう。
……私だって。私だってなあ。
毎日コーラ飲みたいわ!!! くっそ!!!
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