裏5話 最悪の夢(※三人称)

 絶望の対義語は、希望。そんなのを信じていたのは、今よりもがずっと昔の事だった。自分がまだ、子どもだった時の。目の前の世界がまだ、光の世界だった時の。そこでは様々な夢が語られ、様々な希望が紡がれていた。「今は苦しくても、いつかは幸せな時代がくる」と、そう無言の内に信じられていたのである。

 

 故郷の町を走りまわっていたマティも、その夢をずっと信じつづけていた。それを信じさせる証拠は、一つもない。だが、そう信じずにはいられない。あらゆる希望が潰され、絶望が刻一刻と忍びよるような世界では、それが唯一の救いになっていた。「辛い時代は、いつまでもつづかない。この苦しみにはいつか、終わりがくる」と。だから、どんな理不尽にも耐えられた。「魔王軍が享楽で人間の世界に攻めこんでいる」と知った時も、それに打ちひしがれた周りの人々とは違って、自分の足をしっかりと立たせていた。

 

 そんな事で落ちこんでいては、自分の命がいくつあっても足りない。自分の命は、自分の力で守るしかないのだ。マティは自身の正義感に歪んだ使命感を混ぜて、同年代の少年達が一度は憧れる冒険者の道を選んだ。冒険者の道は、険しかった。「生活」と言う現実の問題もあったが、「危険」と言う生命の問題もあった。上辺だけの人情が、救いのない結末を生む事もある。自己愛の自己反省が、自己の破滅を生む事もある。正にすべてが命懸け。あらゆる瞬間が、命のやりとりだった。

 

 マティは、その現実に打ちのめされた。だが、それも僅かな時間だけ。冒険の中でたまたま出会った野党を斬りころせた頃にはもう、人間らしい感情はほとんど無くなっていた。自分の前に立ちはだかる者は、誰であろうと許さない。彼は「異常」とも言える勢いで、高難易度のクエストを次々とこなしていった。「お前達は所詮、俺の踏み台でしかない」と言う風に。彼が敵の身体に振りおろす大剣は、その強力な魔法と相まって、輝かしい成績を残していった。

 

 マティは、自分の力に酔いしれた。絶対の力が、絶対の余裕になるのを感じたのだ。絶対の力さえあれば、どんな敵もねじ伏せられる。自分の方から頼まなくても、相手の方から「仲間にしてくれ」と頼んでくる。「アンタと同じ場所で、アンタと同じ夢を見たい」と言う風に。その内面に欲を隠しながらも、表面上では「仲間」の二文字を掲げてくれるのだ。まるで勝ってもいない博打に勝ったかのように。彼等は主人の本心も知らないまま、ある時は怪物の翼を斬り、またある時は野党の足を潰した。

 

 マティは、その光景にほくそえんだ。「人間など所詮、こんな物だ」と、そう内心で笑っていたのである。人間は、自分が思うよりずっと醜い。世間の人間からは「善」と思われているそれですら、「悪」を隠すための隠れ蓑になっている。自分の悪を悟られないための。人間は「平和」と「自由」を唱える一方で、「破壊」と「殺戮」を求める生き物なのだ。自分に害のある人間は、今すぐにでも消しさりたい。それが人間の本性、つまりは業なのだ。

 

 マティは自分の人生を通して、その業を悟ってしまった。悟ってしまったから、人間の価値も損得でしか考えられなくなってしまった。この社会に有益な人間は生きられるが、無益な人間は生きられない。その命をすぐに捨てるべきである。「無能な人間に生まれてごめんなさい」と言う風に。それができれば、本当の意味で平和になる。劣った人間がいなくなって、優れた人間だけが残る。つまりは、真の理想郷ができるわけだ。真の理想郷ができれば、人間の差別意識もなくなる。すべての意識が、一つの絶対意識にまとまる。

 

 一つの絶対意識にまとまった社会は、人間が人間らしく生きられる世界だ。その価値観が絶対視される世界。人間の存在が最も高く、それ以外がすべて平伏している世界。そう言う世界ができれば、人間の歴史もずっとつづくだろう。人間の歴史は、「勝利」と「統治」の産物なのだから。その二つが保たれていれば、人間に好ましい世界がずっとつづく。自分はただ、それに力を尽くしているだけなのだ。

 

 マティはそう思って、自分の道を進んできた。だが、何故だろう? 最近は、「それ」に苛立ちを覚えていた。マノンから言われた事を気にしていたわけではない。自分が今まで追いだしてきた仲間達の事を思ったわけでもない。彼は自分自身の良心、これまで向きあわなかった心の一部分に意識を奪われてしまったのだ。


?」


「何を言っている?」


「ふふ、誤魔化すんじゃない。お前は、本当は怖いんだ。『自分が独りになる』って、事がね。どんなに取りつくろっても、その本心からは逃げられない。お前は、生まれながらの……」


「うるさい」


「寂しがり屋だ」


「黙れ!」


 マティは、ベッドの上から起きあがった。自分の隣では、マノンが寝息を立てている。いつもと同じ、一糸まとわぬ姿で。彼女は何度か寝返りをうったが、マティの怒声には気づいていないようだった。マティは彼女の寝顔から視線を逸らして、自分の頭を狂ったように掻きむしった。


「最悪の声だ」

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