第34話 まっとうな道 3

 冒険者がまっとうな道かは分からないが、「それでも意味のある道だ」と思っていた。人間が魔物に立ちむかうための手段、人間に残された最後の砦。色々な国の軍隊が魔王討伐を諦めている中、それでも戦おうとする勇敢なる者達。それの一人に含まれている事は、本当に誇らしい事だった。自分はただ、生きているわけではない。自分の命を賭けて、大きな敵と戦っている。そう思う事ができた。


「だからこそ」


 あの追放が悔しかった。あの脱退書が悲しかった。自分の才能が消えただけで、今までのすべてが消えた感覚が。絶望以外の何物でもなかった。俺は小さな幸せに、大きな奇跡に恵まれた事で、本当の自分を見つけだす事ができた。


 けどもし、それ見つけだす事ができなかったら? 最悪の事態になっていたかも知れない。自分の人生にガッカリして、犯罪に手を染めていたかも知れない。


 その意味では、彼女はもしもの俺だった。絶望のどん底に落ちた結果、その良心を忘れてしまった俺。気高さよりも、卑しさを選んでしまった俺。最低な人間になりさがった俺。彼女は自分の姿を通して、俺の前に大きな鏡を置いていた。


 俺は、その鏡にうつむいた。それを見たくなかったからではない。「そこから学んで、何かを見つけなければ」と思ったからだ。彼女の涙から目を逸らす事は、同時に自分の涙からも目を逸らす事になる。


 俺は彼女の前にしゃがんで、その前に手をそっと差しのべた。


「生きるのは」


 その返事はない。ただ、相手の嗚咽が聞こえるだけだ。


「辛いよな?」


 また、無言。


「『幸せなんてない』って思うよな?」


 また、無言。だが、今度はうなずいてくれた。


「『分かるよ』なんて言わない。それは、とても失礼だからさ。俺は君じゃないし、君は俺じゃない。他人の不幸は、どう頑張っても味わえないんだ」


「うん……」


「けど」


「けど?」


「それに負けてばかりじゃいられない。俺達はさ、不幸に屈しちゃいけないんだ」


 それが彼女に活力を与えたのか? 俺には最後まで分からなかったが、俺が彼女に「それ」を言った瞬間、彼女が「ハッ」と驚いたのは確かだった。彼女は両目の涙こそ拭わなかったが、地面の上からゆっくりと立ちあがって、最初は俺の顔を、次にミュシア達の顔を見わたした。


「理不尽に泣いている間は、理不尽からいつまでも逃げられない」


 少女は、その言葉に目を見開いた。両目の端には涙がまだ溜まっていたが、それもただ溜まっているだけで、少女が自分の眉を寄せた時にはもう、空気の中にスッと消えていた。


「嫌だ」


 それにただ、うなずく。「その無言こそが、最高の返事だ」と思ったからだ。


「こんな、生活。あたしは、泥棒になりたかったんじゃねぇ」


「ならどうして、泥棒なんかしているの?」


 その質問に対する無言は、葛藤か? 彼女は覚束ない口調で、質問の答えを答えはじめた。


「一度汚れたら、戻れなくなる」


 口調が鋭くなった。


「自分の中に染みついて、落ちなくなる」


 目つきも、鋭くなった。


「あたしの中はもう、真っ黒なんだ。どんなに洗っても」


「ならさ」


「なに?」


「別に落とさなくてもいいんじゃない?」


 予想外の答えだったのだろう。彼女は「え?」と驚いたまま、不思議な顔でその場にしばらく立ちつづけた。


「汚い物を汚いままに受けいれる。人間は、聖人じゃないんだからさ。無理に改める必要はない。自分の人生に影があるなら、その影もすっかり愛してやればいいんだ」


 そう彼女に言ったものの、本当は俺自身に言った言葉でもあった。俺だって、完璧な人間ではない。自分では「まっすぐに生きよう」と思っても、心の隅っこにはまだ、真っ黒な感情が残っている。俺の心を蝕むような、そんな感じの感情が。


「だからこそ!」


 俺はまた、目の前の少女に手を伸ばした。


「真っ暗な世界に行っちゃいけない。俺達は、に生きているんだ」


「光の世界」


「そう、光の世界。太陽の光が輝いている。君だって本当は、光の世界に生きたいんだろう?」

 

 少女は、その質問に答えなかった。いや、「答えられなかった」の方が正しいかも知れない。彼女は俺達の顔を見わたして、両手の拳を握りしめた。


「行けるかな?」


「行けるさ。自分がそれを諦めない限り、きっと」


「うん」


 ようやく笑った。それこそ、空の太陽と同じくらいに。彼女は空色の髪を光らせて、両目の涙を拭った。その光景が、本当に綺麗だった。


「ありがとう。あたしも、光の世界に戻りたい。だから、あんた達と一緒に旅させて」

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