子ども部屋おじさんのケツ

 俺たちはくたびれはてた連帯感を共有し、しばらく練兵場にうずくまっていた。


 問題が解決したわけじゃない。俺と兄ちゃんの間でごちゃごちゃにもつれていた感情が、ちょっとだけほどけた。それだけのことだった。


「じゃあ、俺……そろそろ行くわ」


 俺はふらつく足で地面を踏んだ。未発動に終わったとはいえ、正節二十四剣せいせつにじゅうよんけんは体力をすさまじく奪う。子ども部屋おじさんには一日0.5発が限度だ。酸欠のように頭がクラクラする。


「殿下には、必ず、償う。償いが許されるのであれば、だが」

「許すだろうね、ニーニャさんなら。内心どう思っていようと」

「そう、だな……」


 こうして、なにもかもがニーニャの呪いになっていくのだ。俺は余計な茶々を入れただけだった。父さんの嘘をわざわざ暴きたてなければ、それはそれで平和だったのに。


 兄ちゃんの言うとおりだ。俺は何もかも台無しにする。責任なんか取れないくせに。


 とぼとぼ歩いて楼門まで来ると、ランディが、にやにやしながら俺を出迎えてくれた。


「ミカド、やらかしたな?」


 ランディは俺の肩を叩いた。


「いろいろね。ほんと、いろいろやっちゃったよ」

「ま、派手な喧嘩もたまにはやっとくもんだ。おまえさんらにゃいっつもそれが足りん」

「そっか」


 老門番の言葉に、俺はちょっと笑った。


「足りなかったかあ」

「そうとも。おまえもパラクスもクロードも、聞き分けばっかり良くてなあ。それがストロースの血ってもんなんだろうがな」


 派手な喧嘩ね。

 そう考えたら、なんだかわずかに気が楽だった。


「また喧嘩しに来い、ミカド。いつでも門を開けてやる」

「ありがとね、ランディ。それじゃ、また」


 丘の下には、セヴァン行きの時にも使った幌馬車が停まっていた。馬にブラシをかけていたニーニャは、俺に気づくと、心配そうな顔をして駆け寄ってきた。


「ミカドさん、その……」

「終わったよ。帰ろうか」


 俺はそれだけ言って、馬車に乗り込んだ。

 ヴィータが土下座していた。


「おっと?」

「ごめーん!」

「なんだなんだ」

「おじぴにも姫ぴにもごめん! もー全部ウチのせい! ウチのやらかし! ほんっとごめんなさい!」


 俺とニーニャは顔を見合わせ、お互いきょとんとしてることにややほっとした。


「ええと……どうしてヴィータのせいなんですか?」

「ウチがおじぴのこと疑ったから! こんなことに!」

「え、疑われてたの俺。それは傷つくな」


 ヴィータは土下座のまま小刻みに震えはじめた。


「うそうそ、うそだってば。ヴィータさんが俺にちょいちょい探り入れてたのは分かってるよ」

「え、ヴィータそんなことしてたんですか?」

「得体のしれないヤツが急に黙って実家帰って、しかもそれがストロースだったらね。やばそうな気配感じるよね」

「ううううー!」

「そもそも、なんで黙って出ていったんですかミカドさん」


 混ぜ返す俺と震え続けるヴィータの間で、ニーニャが進行役に立ってくれた。


「いやその、なんか……静かに、ことが、収まるかなって」

「ふーん」


 深紫に縁どられた紺色の瞳が、俺を見透かした。


「ごめんなさい。気まずいから説明なしに黙って出ていってしまいました」


 俺は即座に謝った。


「そういうとこありますよね、ミカドさん。確かめたいことがあるんだとか、それぐらいのことは言ってくださいよ」

「はい。すみませんでした」

「ヴィータは? まだなにか、言い訳あるなら聞きますけど」

「ウチ父親とか信じてねーから、なんかおじぴも、こう、姫ぴに理想を押し付ける厄介勢なんじゃねーかって……ごめんほんっとごめん! おじぴはウチの父親じゃねーのにごめんなさい!」


 ヴィータは我が意を得たりみたいな感じの早口でどわーっと謝った。


「はい、じゃあこれで今度こそ終わりですね。二人はそこでしゅんとしててください」


 ニーニャは御者台に移り、手綱を駆った。砂利を踏みながら、馬車がゆっくりと動き出した。


 俺たちに背中を向けて、たぶんニーニャは、涙をこらえていた。


 ヴィータと、示し合わせたわけでもないのにふたり同時に荷台を出た。

 で、御者台に無理やりケツを押し込んだ。


「え? 待って、狭いんですけど」


 俺たちに挟まれて、ニーニャはちょっと浮いた。


「でもニーニャさん、俺なんてケツけっこうはみ出してるんだよ」

「は? だからなんなんですか?」

「姫ぴ、おじぴのケツ知らないの? アルヴァティアのケツって感じだし」

「そう、そのアルヴァティアのケツがごっそりはみ出してる」

「分からない……なにを言っているのか……」


 呆れたポーズを取ろうとして、失敗して、ニーニャは笑った。

 空笑いはやがてこらえきれない涙に取って代わり、ニーニャは、声を上げて泣いた。


 たまたま王女に生まれついて、たまたま祖国が負けて、たまたま廃王女として生き延びて、それだけのことが、背負いきれないぐらいの呪いをニーニャに押し付けていた。

 信じていたものに裏切られて、だからって今更、止まれはしないだろう。

 ニーニャの乗ったトロッコはもう動き出していて、あとは、どこの誰を轢き殺すかだけだった。

 隠し村の貧しい小作人の、南部の豪族の、反帝国派の……傷つけられたアルヴァティアに疼く怨念を、とっくにニーニャは引き受けていた。


 今からでもやめようとか、逃げようとか、いい加減なこと言えたらいいんだけどね。

 どこか遠くに連れ去ったとして、きっとニーニャは、呪いの根源から目を背けられないだろう。


 なによりも、ニーニャは、言った。

 壊したいと言った。

 自分を踏みにじってきたもの全部壊したいって、それが、ニーニャの本音だった。


 馬車が丘がちな街道に差し掛かった。ミスリルの露頭と野生馬の、それはストロースの風景だった。

 俺は御者台からアルヴァティアのケツを引っこ抜いて荷台に戻った。流れ去っていく故郷の光景を眺めていると、なんだか感傷的な気分になってしまいそうだった。


 ふと視界の端に、砂ぼこりを見た気がした。地面の震えを感じた気がした。


「おいおいおいおい……やってくれるじゃん」

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