血泥の鳥路
かくしてジリー・シッスイの荘館に、役者が揃った。
塩鉱山の豪商、ジリー・シッスイ。
主君を失った地侍、ダン・パラークシ。
ブラドー領の俗悪廃王女、ニーニャ・ブラドー。
脇には、俺とノブローが控える。
どうにかこうにかここまで漕ぎつけたけど、ニーニャはいったい、どうするつもりなんだろうか。
逆らうやつ全員ぶっとばして平定するのは、前に言った通り難しい。ニーニャにはその気がないし、そもそもマンパワーが足りない。
それじゃあ、モッタ村のときみたいに腹いっぱい食わせるか? いや、それこそあり得ない。蛮族のやることはいつの時代も単純だ。
『こいつらまだまだいっぱい持ってそうじゃん。それならそれで、もっと略奪させてもろて……』
小競り合いは際限なく続き、関わった勢力がみんな疲弊していく。
あとは、王の裁判所への訴訟か。これも無理筋だな。ジリーもダンも王家を憎んでいるし、ニーニャの立場から言っても難しい。
「人質の無事を、おれは確認した。感謝する、ミカド」
ダンが、まずは口を開いた。
「俺? なんで?」
「ほとんどの兵を、おまえは傷つけずに制しただろう」
わずかな傷で、人は呆気なく死ぬ。破傷風だの
カーネイ流制圧術の祖、ルッツェン公爵オージュ・カーネイは、こんな風に言っていた。
――悪党をぶちのめし、そのうえで改心を促す。心地よい英雄譚ですね。しかし、ぶちのめした悪党が感染症や脳挫傷で死んでは寝覚めが悪いでしょう?
俺はオージュ師匠のそんな言葉にもうめちゃくちゃ感銘を受けて、
「いやいやいや、別にね。たまたま知ってたからねやり方をね」
俺は適当なことを言った。
ニーニャはというと、やや気まずそうな顔をしていた。召喚獣のきーちゃんに突きまわされて、あちこち傷だらけの兵もいるのだ。
戦を仕掛けてきてるんだから、どっちも死んだってやむなしなんだけどね。
「ふん! 殺しておけばよかったんじゃ! あほうどもが! なんでもかんでもわしらから分捕りおって!」
ジリーがダンを睨んだ。二人の仇敵は、テーブルを挟んで鋭く視線を交わした。
「おまえたちも、おれたちから奪ったぞ」
「だから、お互いさまと言っとるんじゃわい! 殺して奪って殺されて奪われて、そういうもんじゃろうが!」
「そうだ、ジリー・シッスイ」
そういうもん、か。
そういもんなんだな、南部では。
「おれは、今おまえを斬ってもいいぞ」
「やってみさらせくそぼけがぁ! 考えの足りん地侍め!」
「塩売りが、おれを侮辱できたものか。おれは
ジリーとダンが、ものすごい勢いでいがみあっている。
裁判での調停ができない以上、関係はどこまでも悪化可能だ。報復の果て、双方が全滅するような未来だってあるだろう。
ニーニャは、ジリーとダンの口喧嘩を黙って聞いている。いやほんと、どうするつもりなんだろう。どうしようもないんじゃないかなこれ。
「なにが主の愛した民じゃ! 飢えた野盗じゃろ! 主ぃ? わしは自分の主に殺されかけたわい!」
「おまえに忠節あらば、そんなぶざまなことにはならなかっただろう」
「どこのだれに! 忠節なんぞ誓えるんじゃ! お前の主は殺されて、わしの主はこの手で捻った!」
「だからおまえは――」
罵り合いは、突然中断された。
ニーニャが指揮杖を振り上げ、テーブルに叩きつけたからだ。
ダンとジリーは、見開いた目をニーニャに向けた。
「あなたたちの君主は、ここにいます」
ニーニャは静かに言った。
威圧的で重たい沈黙が、のしかかるように満ちた。
「殿下……だめです、だめなんですよ、それは」
ノブローが、目を伏して悲しげに呻いた。
「いけません、殿下。それをしてしまえば、あなたはもう、引き返せない」
その声はきっと、ニーニャに届かなかった。
「ジリー・シッスイ。ダン・パラークシ。蛮地の王よ。わたしは、ニーニャ・ブラドー。アルヴァティアの正統。真に国を継ぐべき、
ジリーとダンは、ただ、ニーニャを見ていた。示すべきが嘲弄なのか敬意なのか畏れなのかもわからず、ただ視線を向けていた。
「殿下、どうか、殿下……その先にあるのは、
ただひとりノブローだけが、肩を震わせ、祈っていた。
「……どうするんだ、廃王女」
ダンが、かすれた声で抵抗を試みた。
「おれたちは、おまえが玉座に座るまで、飢えて待てばいいのか」
「共に戦うのです」
ニーニャは、誤解しようのない明白な一言をダンに突きつけた。
「約束します、ダン・パラークシ。あなたが戴いた王は、必ずこの地を愛し、恵みと軟風をもたらすでしょう。たとえあなたと、あなたに連なる者の血が最後の一筋になったとしても、あなたの王はその者に報いるでしょう。あなたの死は、後に生きる者に千年の幸福をもたらすでしょう」
ニーニャは、わずかに視線を動かした。ジリーはびくっと震え、背を丸めてうつむいた。
「ジリー・シッスイ。あなたが戴いた王は、背いた者を決して許さないでしょう。この地に呪いをかけ、飢えと
ノブローの吐くため息は、涙と苦悩に濡れていた。
「どうかニーニャを、やさしい子のままに」
祈りの声は無力な言葉の一つながりでしかなかった。
「蛮地の王よ。君主との契約に、不満はあるか?」
ニーニャが問いかけた。
先に動いたのは、ダン・パラークシだった。
椅子から降りて、ニーニャの前で膝を折り、頭を垂れた。
「今この時より、我と我らの命を捧げます。ご随意にお使いください、ニーニャ様」
ニーニャはかすかな微笑みでダンに応じた。
「ぐ……ぐぅうううう!」
うめいたジリーが、がばっと立ち上がった。
「わしゃ……わしゃ恨んでおるのじゃ! 骨髄に徹すほど!」
きつく閉じた目の端に涙をにじませ、背を反らし、ジリーは地団太を踏んだ。
「恨んでおる! 王家は棄てたんじゃ! 子を棄てるよりなおひどいやり方で、わしらを棄てた! なのに!」
ジリーは、力尽きたように膝から落ち、床に手をついた。
平伏の姿勢だった。
「それなのに、どうして捨てられんのじゃ……王家への忠誠を、どうして捨てられんのじゃ……」
ニーニャの表情が、かすかに歪んだ。
「どうか、殿下……わしらの善き王で、あってくだされ……」
腰かけたまま、ニーニャはうなずいた。
「ジリー・シッスイ。これまでの働き、ご苦労でありました」
労りの声に、ジリーは泣いていた。忠節の涙だった。
「はい……はい、殿下……」
これが、ただ一つの解決策だった。
王権で捻じ伏せることだけが。
呪いを背負って、ニーニャは往くのだろう。
血と泥にまみれた、王都への道を。
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