肉キノコ
次いで、苧麻の薄い服を来た複数のグールが。
「イル・フーのガッシュは、またストロースのミカドに会ったぞ」
ガッシュは口元を吊り上げた。おそらく笑ったのだろう。まずいぞ、好敵手認定されちゃってる感じだこれ。
「そういうあんたは、またニーニャをなんかいい感じにしに来たのか?」
「あー、これが姫ぴ攫おうとしてたグールね。やばー」
ヴィータは
「うわああ! なんっ……グールだ! グールが来たぞ!」
このへんで村人のひとりがグールに気づき、絶叫した。
「落ち着け! 慌てるな! 我々の指示に従って動け!」
パールが叫び、荷駄部隊の連中が避難誘導を始める。
「おじぴ? 顔色やばいけど?」
ヴィータが、俺の顔を覗き込んだ。
「俺が廃嫡された理由、ヴィータさんに説明しなかったっけ?」
「あーね」
冷や汗が止まらない。呼吸が勝手に速く浅くなっていく。戦場の気配が、俺の体を締め上げている。
「ストロースのミカドは、戦帰りか」
鞍の上から俺を見下ろし、ガッシュはどこか気の毒そうな声音で言った。
「血と
「あんたらをぶちのめすぐらいは、まだできそうけど」
「そうだろう。しかし、母神のためなのだ。イル・フーのガッシュは、邪魔をするおまえと戦う」
相手は騎乗している。さすがに
そして俺は、こないだに増してひどい有様だった。頭が痛い、吐き気がする、手足が冷たい、目がかすむ。やけに寒い。
子ども部屋に帰りたい。そこにはなんの責任もなく、だれも俺のことを責めたりしない。ごはんとか寝てても出てくるし、ぼーっとしてるだけでみんな甘やかしてくれる。目の前でだれか死んだりも――
「
「わひゃあああなになになになに!」
グールとニーニャが同時に叫んで、ホワイトアウトしかけていた俺の視界は戻った。
振り返ると、テーブルの上になんかがいた。
なんかとしか言いようがなかった。というのも、俺は今までそんなものを見たことがないからだ。
ぬらぬらする黒い表皮は、油を流した水面のように汚い光沢を帯びていた。
ぐにゃぐにゃと常に形を変えていた。
あっちこっちから飛び出した触手が、テーブルの上を探るように動いていた。
酸化した血の色の球体が、表皮に浮かんでは沈んだ。
「て……け……」
そいつが、鳴いた。
「り…………り…………」
俺たちは一様に呆然としていた。
その物体の、つかみどころのなさ、出自の分からなさが、俺たちを一種の麻痺に陥らせていた。
水面を覗いてその深さを想像してしまったときのような、深い穴に落ち続ける夢を見ているような、立っていられなくなるほどの無力感があった。
村人が、バーレイ荷駄部隊の連中が、その場にぺたんと崩れ落ちた。見開かれた目からは涙がこぼれ、大きく開けられた口からは唾液が垂れた。
「てけり……り……」
そいつは、机の上のピザを触手で絡めとり、口らしき穴に押し込んだ。食った分だけでかくなり、重さに耐え切れず砕けたテーブルをも、体に取り込んだ。
「こっ――」
ガッシュが口を開いた。
「殺せッ! 今すぐに!」
羚羊の脇腹を蹴り、ガッシュは自ら突っ込んでいった。
のろのろと地面を這っていたそれの体表面、ちょうどガッシュの向かってきた側に、血色の球体がぼこぼこ浮き上がった。どうやらそれは、這うものの感覚器官のようだった。
それは触手をぎゅうっとたわめ、鋭く打ち出した。羚羊は横っ飛びに避けて、ギャロップでぐんぐん距離を詰めていった。
「祖と母神の糧となれ!」
叫んだガッシュは羚羊の背を蹴って飛び、こん棒を打ち付けた。
黒い塊は、無傷だった。
水で溶いた片栗粉のように、打った部分だけが堅く引き締まったのだ。
「ぶっげッ」
ガッシュは触手に叩き伏せられ、血の混ざった唾を噴いた。
「てけり・り……てけり・り……」
「イル・フーは何をしている! 今すぐ肉キノコを殺せ!」
こん棒をよすがに立ち上がりながら、ガッシュは怒鳴った。
「祖と母神の糧となれ!」
呆然とする俺とヴィータの横を、五頭の羚羊が風となって駆け抜けた。
五人のグールは肉キノコめがけ突進していき、触手で順番にぶっ飛ばされた。
立ち上がろうとしたガッシュも、今度は横面をはたかれ、風に巻かれる落ち葉みたいにくるくる回ってぶっ倒れた。
血の臭い。絶望の臭い。死の臭い。戦場の臭い。
冬が近い。風が冷たい。雪がちらついている。ローヌの血が凍っている。
「ひっ……はは……えぐいて……」
ヴィータがひきつった笑みを浮かべた。声が震え、瞳孔が限界まで開いている。俺たちは全員、狂気に飲まれかけて――
こおん、と、澄んだ音が鳴る。
青い光が地面に走る。
ニーニャが、指揮杖の先端を地面に打ち付けていた。
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