肉キノコ

 羚羊レイヨウにまたがった鎧姿のグールが、常歩なみあしで木立から現れた。

 次いで、苧麻の薄い服を来た複数のグールが。


「イル・フーのガッシュは、またストロースのミカドに会ったぞ」


 ガッシュは口元を吊り上げた。おそらく笑ったのだろう。まずいぞ、好敵手認定されちゃってる感じだこれ。


「そういうあんたは、またニーニャをなんかいい感じにしに来たのか?」

「あー、これが姫ぴ攫おうとしてたグールね。やばー」


 ヴィータは忍刀しのびがたなを抜いた。


「うわああ! なんっ……グールだ! グールが来たぞ!」


 このへんで村人のひとりがグールに気づき、絶叫した。


「落ち着け! 慌てるな! 我々の指示に従って動け!」


 パールが叫び、荷駄部隊の連中が避難誘導を始める。


「おじぴ? 顔色やばいけど?」


 ヴィータが、俺の顔を覗き込んだ。


「俺が廃嫡された理由、ヴィータさんに説明しなかったっけ?」

「あーね」


 冷や汗が止まらない。呼吸が勝手に速く浅くなっていく。戦場の気配が、俺の体を締め上げている。


「ストロースのミカドは、戦帰りか」 

 

 鞍の上から俺を見下ろし、ガッシュはどこか気の毒そうな声音で言った。


「血と臓物ワタの沼に、おまえは首まで沈んでいる」

「あんたらをぶちのめすぐらいは、まだできそうけど」

「そうだろう。しかし、母神のためなのだ。イル・フーのガッシュは、邪魔をするおまえと戦う」


 相手は騎乗している。さすがに騎羚きれいグールと戦ったことはないな。この開けた地形でどの程度の機動力なのか知らんけど、前回よりは間違いなくしんどい戦いになるだろう。

 そして俺は、こないだに増してひどい有様だった。頭が痛い、吐き気がする、手足が冷たい、目がかすむ。やけに寒い。


 子ども部屋に帰りたい。そこにはなんの責任もなく、だれも俺のことを責めたりしない。ごはんとか寝てても出てくるし、ぼーっとしてるだけでみんな甘やかしてくれる。目の前でだれか死んだりも――


刺青長いれずみおさ! 肉キノコが!」

「わひゃあああなになになになに!」


 グールとニーニャが同時に叫んで、ホワイトアウトしかけていた俺の視界は戻った。

 

 振り返ると、テーブルの上になんかがいた。

 なんかとしか言いようがなかった。というのも、俺は今までそんなものを見たことがないからだ。


 ぬらぬらする黒い表皮は、油を流した水面のように汚い光沢を帯びていた。

 ぐにゃぐにゃと常に形を変えていた。

 あっちこっちから飛び出した触手が、テーブルの上を探るように動いていた。

 酸化した血の色の球体が、表皮に浮かんでは沈んだ。


「て……け……」


 そいつが、鳴いた。


「り…………り…………」


 俺たちは一様に呆然としていた。

 その物体の、つかみどころのなさ、出自の分からなさが、俺たちを一種の麻痺に陥らせていた。

 水面を覗いてその深さを想像してしまったときのような、深い穴に落ち続ける夢を見ているような、立っていられなくなるほどの無力感があった。


 村人が、バーレイ荷駄部隊の連中が、その場にぺたんと崩れ落ちた。見開かれた目からは涙がこぼれ、大きく開けられた口からは唾液が垂れた。


「てけり……り……」


 そいつは、机の上のピザを触手で絡めとり、口らしき穴に押し込んだ。食った分だけでかくなり、重さに耐え切れず砕けたテーブルをも、体に取り込んだ。


「こっ――」


 ガッシュが口を開いた。


「殺せッ! 今すぐに!」


 羚羊の脇腹を蹴り、ガッシュは自ら突っ込んでいった。

 のろのろと地面を這っていたそれの体表面、ちょうどガッシュの向かってきた側に、血色の球体がぼこぼこ浮き上がった。どうやらそれは、這うものの感覚器官のようだった。


 それは触手をぎゅうっとたわめ、鋭く打ち出した。羚羊は横っ飛びに避けて、ギャロップでぐんぐん距離を詰めていった。


「祖と母神の糧となれ!」


 叫んだガッシュは羚羊の背を蹴って飛び、こん棒を打ち付けた。

 黒い塊は、無傷だった。

 水で溶いた片栗粉のように、打った部分だけが堅く引き締まったのだ。


「ぶっげッ」


 ガッシュは触手に叩き伏せられ、血の混ざった唾を噴いた。


「てけり・り……てけり・り……」

「イル・フーは何をしている! 今すぐ肉キノコを殺せ!」


 こん棒をよすがに立ち上がりながら、ガッシュは怒鳴った。


「祖と母神の糧となれ!」


 呆然とする俺とヴィータの横を、五頭の羚羊が風となって駆け抜けた。

 五人のグールは肉キノコめがけ突進していき、触手で順番にぶっ飛ばされた。

 立ち上がろうとしたガッシュも、今度は横面をはたかれ、風に巻かれる落ち葉みたいにくるくる回ってぶっ倒れた。


 血の臭い。絶望の臭い。死の臭い。戦場の臭い。

 冬が近い。風が冷たい。雪がちらついている。ローヌの血が凍っている。


「ひっ……はは……えぐいて……」


 ヴィータがひきつった笑みを浮かべた。声が震え、瞳孔が限界まで開いている。俺たちは全員、狂気に飲まれかけて――


 こおん、と、澄んだ音が鳴る。


 青い光が地面に走る。


 ニーニャが、指揮杖の先端を地面に打ち付けていた。

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