うがい薬の味

 ブラドーに流れ着いてから、はや一週間。

 食客になってくれみたいなお願いに、はいともいいえとも答えず日々をやり過ごしている。

 やはり俺には子ども部屋おじさんの才能があるんじゃないだろうか。自分が恐ろしい。



 俺たちはたいがい、庭の四阿あずまやでお茶にする。淹れてくれるのはもちろん、ブラドーの代官ノブロー・コッデス五等官だ。


「今日は西洋庭常エルダーフラワーにしてみましたよ。お茶請けも、果実をジャムにしたものです」


 ノブローはうれしそうにお茶を淹れ、ジャムの盛られた小皿を配った。


「うえ。うがい薬の味です」


 一口すすったニーニャが秒速で顔をしかめ、ノブローは困ったように笑った。


「こーら姫ぴ。そゆこと言わない」


 使用人兼家庭教師兼陰謀のステークホルダーであるヴィータが、ニーニャの頭をこつんとぶった。


「でもうがい薬ですこれ絶対。レモンとお砂糖いっぱいのしゅわしゅわ重曹水がいいんだもん」

「殿下、西洋庭常は体にいいんですよ」

「だからうがい薬の味なんでしょ?」

「それは……その通りですが」


 控えめにたしなめたノブローを、ニーニャは渡河攻撃並の鋭さでやりこめた。


「俺は好きですけどね、西洋庭常。ジャムもうまいし」


 机の中央には銀の水盤があって、摘んできたばかりの白く小さな花が浮かべられている。西洋庭常のものだ。これをつまんでカップに放つと、ぶどうのような甘い芳香を放つ。


「お茶なんて淹れなくていいんですよ毎日毎日。花までわざわざ自分で用意して。わたし、好きじゃないです。しゅわしゅわがいい」


 ニーニャはぶんむくれ、足をぱたぱたさせた。


「これはどうも、参りましたね。殿下の機嫌を損ねてしまったようです。ミカドさん、ヴィータさん。私は席を外しますから、殿下をお願いします」


 人の好さそうな笑みを浮かべたまま、ノブローは去っていった。


「……わたしのことばっかり。忙しいのに」


 ノブローがお屋敷にひっこんでから、ようやくニーニャはぼそっと本音を口にした。それからお茶を飲み干し、自分でおかわりを注いだ。


「あーね」


 ヴィータがなんか、同意とも取れないようなことを言った。

 なんていうか、人間関係だなあ。


 こういうとき、なにを言えばいいんだろうか。


『感謝してるならはっきり言わないと、どこかで後悔するかもよ』


 とかさ。


『死んだらもうその人とは話せないんだぞ』


 とかさ。


 責めるような、説得するような言い方なら秒で思いつくんだけどな。

 他のやり方を、どうも俺は知らないようだ。


 だから俺は黙って茶をすすった。こんなに気まずくても、ノブローの淹れてくれる茶はうまい。それは一つ救いだな。

 

 沈黙は、馬が石畳を駆ける音で打ち切られた。


「ニーニャ殿下、失礼します」


 馬から飛び降りて四阿に駆け寄ったのは、絵に描いたような女騎士だった。

 ここらじゃそう見ない黒髪に、切れ長の瞳。しかし顔立ちには幼さが残っていた。

 きょうび珍しくフリューテッドアーマーなんぞ身に着けている。そういう趣味か、あるいはナイトのジョブ持ちなのだろう。


「モッタ村襲撃との報が入りました。賊は総勢二十人、農作物を奪い、去っていったそうです」


 女騎士は表情を変えず、淡々と報告した。


「ありがとうございます、パール・バーレイ」


 なるほど、バーレイ家ね。フェーヴ卿のお子さんだったのか。それなら今、十五歳ぐらいになってるはずだ。

 親子ともども自由地域の債務監獄にぶちこまれたと思っていたが、こんなところで娘さんが女騎士をやっているとはなあ。


「人的被害はありましたか?」

「ありません。村民は戦闘を避け、賊も人質や売買目的での誘拐を行わなかったそうです」

「では、豪族のやったことでしょう。ジリー・シッスイか、ダン・パラークシか……近いのはシッスイ氏ですが」


 ニーニャは額を抑えてため息をついた。豪族いるのか、この辺。はじめて知った。南部の治安やばいな。


「いかがいたしましょう、ニーニャ殿下。部下に追撃させますか?」

「不必要です。無意味ですから。略奪されたものは、とっくに賊のおなかの中ですよ」

「承知しました。では――」


 なにか言いかけて、パールは視線をスライドさせた。

 で、俺と目が合った。


「あ、ども」

「ええと……どうも? パール・バーレイと申します」


 パールはわずかにまゆをひそめた。知らないおじさんが百年前からいたような顔でお茶してたら、そりゃそういう顔にもなるよな。


「ミカド・ストロース。よろしく、パールさん」

「みっ!?」


 パールは、なんか、ちょっと跳び上がった。がっしゃーん! と、フリューテッドアーマーがやかましく音を立てた。


「みっ、がっ、あがががが」

「フェーヴさんとは昔会ったことあるよ。いい人だったよなあ」

「んなっ、な、なぜ、みかっ、ミカド、なぜ」

「いやちょっと、廃嫡されちゃって。ここでお世話になってる」

「はっはいっ、廃、嫡」


 なんだろう、ぜんぜん普通に喋ってくれないな。


「…………しっ、失礼します」


 パールは鎧をがちゃがちゃ言わせながらダッシュで馬に乗り、並木道をギャロップで駆け去った。


「えっ!? ちょっと、パール! パール・バーレイ! ああー……行っちゃいました」

「俺のせいだとしたらごめんね」

「パールがあんなに取り乱すところ、見たことがありません。どうしちゃったんでしょう。男の人が苦手なのかな?」

「あーありそ、騎士ぴそういうとこありそうだよね。かわいすぎかー?」


 ヴィータがへらへらした。


「さーて姫ぴ、どうする? 農作物ごっそりだって。モッタ村さー、滅びんじゃね?」


 端境期に飢饉寸前まで追い込まれた地方有力者が、略奪目的で兵を出す。まともな中央集権国家に起こっていいことじゃない。俺が子ども部屋おじさんをやってるあいだに、アルヴァティアはここまで悪くなっていたのか。


「当然、やるべきことは一つです」


 ニーニャが言って、ヴィータがうなずいた。


「ヴィータ、パールを呼び戻してください」

「お、出陣しちゃう?」

「当たり前です。モッタ村のみなさんは、一人残らず救ってみせます。誰のことも、わたしは棄てませんから」


 ニーニャは椅子から降りて、藍色の長髪を結い上げた。


「さあ、俗悪にいきますよ」

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