すきま時間の短編集

秋雨はる

春の日、あなたと出会った。

 僕があなたと出会ったのは、18歳の時。あれは、そう、春の日。あなたが何を着ていたとか、何を持っていたとか、そんなことはとっくに忘れてしまった。でも、これだけは覚えているよ。僕の目の前にいる人が、ああ、きっと運命の人に違いないんだって感じたことは。


 どうすればあなたに近づけるのか、足りない頭で一生懸命に考えた。でも足りないものはやっぱり足りない。答えは出なかったよ。でも諦めきれなくて、あなたをずっと見つめているうち、不意に目があったよね。あなたはちょっと驚いた様子だったけど、僕はチャンスだと思ったんだ。


「いい天気ですね」


また少し驚いたけれど、春の陽気にやられたのか、それとも僕が魅力的だったのか、


「そうですね」


と優しく返してくれた。その声には確かに春があったんだ。


「お散歩ですか?」


「ええ、この辺りに住んでいるんですよ。あなたは?」


 その言葉だけで、僕はすごくうれしかった。それこそ、空に舞い上がる気持ちだった。


「僕はちょっと旅行に来ただけで、ずっとずっと遠くの田舎のほうです」


「そう」


「ええ」


 君が少し見上げる。


「ここの桜は、あなたのところのとは違いますか?」


「いえ、ちっとも」


「そう。よかった」


「でも、少し違うところがあるかもしれません」


「どこかしら」


「ここの桜は、思い出になります。きっともう来れませんから。いや、もしかすると違わないのかもしれません」


「そうなの」


「はい」


 最初の旅、そこで君と出会えたことは、僕の人生で起きた一番幸せなことだった。僕はすぐに家族や友達と長い長いお別れをした。そして君の元に走ったんだ。ずっとずっと、ずっとずっと。


 あれからもう何十年が経ったかな。君は幸せそうだ。それに、今でも桜が好きなようだ。ベッドからあの桜を見つめているから。瞳がゆっくり閉じる。


「いい天気ね」


 ああ、君はそういう格好をしていたんだね。


「そうですね」


「お散歩中なの?」


「いえ、旅です」


「お一人で?」


「いえ、あなたとです。ずっと待っていたんですよ。二回目の旅を」


「そう。楽しそうだわ」


 君が春のうららかさをまとってにこりと笑う。


「ええ。楽しいに決まっています」


「ではご一緒させてくださいな」


「ええ、もちろんです」




 ああ、思えば、出会ってから長い時間が経った。


「お前さんと出会ったのは、そう、春の日だったな」


「ええ、そうね。あなた」

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