ちっぽけな冒険譚③
「……ウゥ」
アレッタはエレが選んだ金等級向けの依頼を握って、街路の端にポツリと佇んでいた。
レンガ造りの建物に背を預けて、裏道に目を向ける。ごみの集積容器の上に留まり、ツンツンと突いているカラス。
それを見て「はぁ」とため息をつく。
手に握られているしわくちゃの依頼書は『ヤケンの退治』というシンプルなモノ。
どうやら最近、この街にヤケンという暴れん坊の被害が多く出ているのだという。
アレッタは「ヤケンはイヌのような見た目」だと教えられた。
イヌだ。
四足歩行で、耳があって、ワン! と鳴く――
「……ンム」
腕を組んで悩んだ。
アレッタの小さな頭の中では「ヤケン」という奇怪なバケモノが四足歩行で歩き回って、人をむしゃむしゃと食べている。
「難しそウ……勝てるかどうカ」
そう、アレッタは犬が見たことが無かったのだ。
小さな冒険者は初っ端から路頭に迷っていた。
◆◇◆
エレがちゃんと説明してないのが悪い。
確かにそうだが、仕方ない事情があったのだ。
アレッタもそれを割り切っていた。
それは――エレとアレッタが、冒険者組合で説明を受けていた時のこと。
受付嬢が「ヤケン」がどうとか、
被害がどうであるとか、
認識票を見せてくださいとか。
その若い受付嬢はうわさに聞く雪女みたいで淡々としていて、エレの事すら知らない様子だった。
ということは『アレッタの敵ではない』ということだ。
「……アレッタ。認識票を」
「ン」
「拝見いたします」
首にかけているチェーンを痛くない程度に持ち上げられていると、確認が終わったらしい。
こう聞けば、アレッタが話を聞いてなかったのが悪いのだが。
いや、まってほしい。この後にあったのだ。
ちゃんとしたイベントがあったのだ。
依頼の発行が終わって、アレッタが依頼を受託した時に……
二人を足しても足りない程の大柄な男性が、口から大量の唾を出しながらエレとアレッタの所へ近づいてきたのだ!
「てめぇが――」その後は呂律がひどくて聞こえなかったが、その冒険者はどうやら怒っていたようで。
エレは驚いているように見えたが、相手の腕を蹴り上げると羽が生えたように頭を飛び越えた。
その後の光景は、まるで夢を見ているかのようだった。
「ワ」
何もない虚空を両足で踏み、その上を歩いていたのだ――いや、アレッタの見間違いだと思うが。
まるで、そのように見えた。
その後は、組合の中の大勢の冒険者を引き連れてどこかへ行ってしまった。
すると、受付台に並んでいた後ろの冒険者がアレッタを弾くように受付嬢を口説きに行って――今に至る。
だから、アレッタは何も聞いていない。
仕方ないのだ。
◆◇◆
エレがどこかへ行ってしまったから、自分で何とかしないといけない。
「ヤケン……タイジ、ヤケン……イヌ」
退治とは殺すのか、殺さないのか。
追い払うだけでいいのか。
そんなことを思っていると、先程カラスがゴミの集積容器を突いていた場所から違う物音が聞こえてきた。
トトトト――四足の足音。
ぐるる――唸り声だ。
「オ」
アレッタが振り向くと、そこにいたのはアレッタよりも大きく、茶色の毛が薄汚れている――大きなイヌがいた。
「あれが噂に聞く、モンスター……? カイブツ」
それでもこんな街中に、それも王都の近くだというのに現れるのだろうか。
「ンーム」
アレッタには分かろうもないことだ。
そうしていると、大きなイヌはゴミを漁っていたカラスを威圧だけで追い払い、鼻先を突っ込んで漁り出した。
アレッタは目の前にいるカイブツが依頼の対象なのかが分からず、ジィと見つめる。
「……いや、アル。モンスターの可能性は、ひゃくぱーせんとダ」
確か「大きな犬がヤケンで」――そんな話を受付で聞いた気がする。
気性が荒く、人を襲うこともしばしば……とかとか。
(よんそくであるいてテ。カイブツ。ン、間違いナイ)
蜜柑色の瞳が細くなる。
顎が上に向き、人通りの多い街路から足を裏道へと向けた。
ヤケンが気配に気づき、ゆったりと余裕のある動作でゴミの集積容器から顔を持ち上げた。
「……ネェ」
アレッタの声に、警戒するようにヤケンが唸る。アレッタは意に介さず、歩みを進めていく。
ゴミの臭いが鼻にまで届き、アレッタは人形のような顔の眉間に皺を寄せた。
「オマエがヤケン?」
後ろずさっていたヤケンは曲がり角にぶつかり、後ろを一度見て、前から迫ってくるアレッタを
レンガ造りの住宅と住宅の狭間の道だ。
真っ白な冬空が上に広がり、少女の顔に陰を落としている。
今までは威嚇のような唸りだったが、それがいつの間にか――おそらくイヌも知らぬ間に――懇願するような悲哀の満ちた鳴き声へと変わっていた。
「オマエ倒すと、エレの仲間になれル? 教えテ?」
黒い神官服が揺れ、微笑んでいる口角が狂気で溢れているように見える。
錫杖が武器のように冷たく輝く。
少女が、一歩進むごとに寿命が大きく縮まるような気がした。
そして緊張が最高潮に達すると、アレッタは手を振り上げて――
「これ、見えル? このヤケンを退治しないといけなくテ」
依頼書をヤケンの前に出した。
ヤケンは困惑したように、アレッタの顔と依頼書を交互に見やる。
さすがに依頼書に書かれている文字は見えないらしい。
「見えル? 見えなイ?」
それでもアレッタは聞く。
聞くしかないのだ。
アレッタは依頼の熟し方など知らない。
金等級になったのも、依頼を達成したわけでもない。
どうやってなったかは……ただ、その、エレには言えないやり方で、というしかない。
そんなアレッタでも魔物の討伐ならば分かる。
力を振るい、魔物を殺せばいいのだ。
だが『ヤケンの退治』は解釈の幅があり過ぎるのだ。
解釈のしようによってはヤケンを一匹退治すれば「依頼の達成!」とすることが出来る。
もちろん、冒険者組合がそれを達成と見なすかどうかは別だ。
この依頼は、冒険者の依頼の中でも一定数ある「達成条件が明確に定義づけられていない」依頼だった。
そんなことを知らないアレッタは、どうにかして「達成条件を知ろう」としていた。
「分からなイ。教えテ」
「クゥン……」
「くぅんじゃなくテ。喋っテ」
「グルルル」
「喋レ!」
濡れたイヌの瞳との睨み合いが続いていると――その時、アレッタの頭の中に閃いたことがあった。
「――そうダ!」
ガバッと体を仰け反らし、起こす。
ヤケンが驚いてどこかへ尻尾を巻いて逃げて行った。
「――そうダッタ! ヤケンに言って回ればいいんダ!」
こうしちゃいられない、と顔に喜びの色を現わし、依頼書を握ったまま裏道を走り抜けていくアレッタ。
次の『ヤケン』を探しに行ったらしい。
◆◇◆
そこからのアレッタの街中の散策は、まさに珍道中だった。
とても冒険譚には綴れないだろう出来事だが、世間知らずなアレッタにはそれらがいい刺激になった。
出会うのはどれもがアレッタよりも大きな個体ばかり。
今日一日の日記を綴るならば「ヤケンはめちゃめちゃ大きくテ、でも危なくなさそうだっタ!」だろうか。
そんな大きなヤケンに出会う度、依頼書を突きつけ「退治するゾ!」と叫ぶ。
ヤケンはアレッタの蜜柑色の瞳に怯え、尻尾を巻いてどこかへ去っていく。
全員がだ。
全員が逃げていくのだ。
海蜥蜴の尻尾でアレッタの表情を見て、
凍り付いた受付嬢のように体を硬直させ、
止まっていた時間分を早送りにするように、
キャインと鳴きながら走ってどこかへ行く。
そして、その度にアレッタは確実な手応えが胸の中に広がっていく。
「これで、仲間ダ! エレの仲間になれタ! ひゃくぱーせんト!」
錫杖を愉快気に揺らし、裏道から街路へ、そしてまた裏道へ。
時には川を跨ぐ橋梁の下に赴き、裏道の奥にまで小柄な体を活かして進み――「退治するゾ!」と叫んだ。
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