司祭さまのお仕事(戦時)

 貴族家に仕える司祭のもう一つの重要な仕事が従軍である。それというのも死者をニームから守護することが、彼らの第一の役目であるからだ。


 命懸けの戦場において、兵士たちの死後の安全を保証することは、指揮官にとって軍全体の士気に関わる重要事項である。


 死者の骸と魂がニームに狙われると広く信じられているエルム文化圏において、すぐに埋葬されようもない戦場での死は何より怖ろしいものであるが、従軍司祭がその戦地に祈りを捧げ、守護の祝詞を唱える限り、死後の安全は保証される――とされている。

 従軍司祭の存在が、兵士たちに死をも恐れぬ勇敢さを与えるのである。


 そのため、こと野戦において、指揮官がまず狙うのも敵方の従軍司祭である。司祭を討ち取ってしまえば敵軍の兵の士気は一気に下がるのだ。


 この時代の歩兵は大多数が農民からの徴兵であり、「なに、死ななければよいだけよ」などとのたまって豪胆に敵陣に切り込む人種など一部の騎士くらいのものである。

 司祭無しに士気を保つなど不可能であり、戦いそのものが成立しない場合すらある。

 となれば指揮官としては狙わない手はない。


 そのようなわけで多くの場合、開戦するなり兵は相手方の司祭に向かって矢の雨を降らせ、軍と軍が激突すれば兵士が敵方の司祭に殺到するという恐ろしい事態が発生する。

 これをいかに凌いで兵対兵の戦闘に展開できるかが、戦術において非常に重要な要件なのである。


 司祭の存在は自軍に明示する必要があるため、彼らを雑兵などに擬装して連れても意味がない。……ゆえに従軍司祭は文字通り、逃げも隠れもできないのであった。


 そのため、バルサム教会の聖職者は平時の武器携行は禁じられているものの、従軍中は武装可能であり、また護身のために敵兵を斬り伏せることも認められている。

 原則として自ら敵に攻撃してはならないことにはなっているが、白兵戦中にそのようなことをいちいち監視する人間は皆無と言ってよい。


 彼らは平時より従軍に備え、人知れず日々鍛錬に勤しんでいる。

 しかし、普段は他者を傷つけることなかれと人々に説く立場であり、武器を持つことすら禁じられている身であるため、おおっぴらに武器の鍛錬を行う姿を世俗の人間に見せるのはいささか都合が悪い。

 そこで聖堂には大抵、彼ら専用の鍛錬場(地下に設けられることが多い)が密かに付随している。


 この用意の無い城や屋敷には司祭が赴任したがらないので、招聘する貴族の側は建設時に予め設けておく必要がある。つまり特権階級にとっては公然の秘密であり、常識であった。


 貴族(領主は自身が軍の指揮官であるため、基本的に武人)や騎士が彼らの鍛錬に付き合う場合もある。あっさり敵に殺されてしまうような司祭では、自分たちが困るのだ。


 司祭を育て、送り出す側であるバルサム教会の僧院でも、彼らの肉体的鍛錬と武器の扱いの教育が行われており、ここで戦いの素質が無い、あるいはその意志の無い者は選別され、教区聖堂の司祭に回されることになる(待遇は貴族との直接契約の方が格段に良い)。


 指揮官(大抵の場合それは、領主――すなわち貴族ということになる)は聖職者を狙うことに良心の呵責はないのか? という話だが、そもそも彼らが教会に敬意を示すのは、自分たちをニームから守護してくれる存在だからであり、ゆえに敵に利するなら話は別……という理屈がこの大陸ではまかり通っているのである(もっとも、これはあくまで戦場に限定された話であり、平時にその論理を振りかざし、敵対者に仕える聖職者を迫害するなどという行為はもってのほかである)。

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