第18話 ゲイリューダ
「くそっ! どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!」
ゲイリューダは路地裏に積まれていた木箱を蹴飛ばしながら、胸の中に渦巻く苛立ちを吐き出した。
ゲイリューダが冒険者になってもう十年になる。
ゲイリューダは国の端にある寒村出身だ。
山の裾野に切り開かれたその開拓村は気温が低く、土壌も貧しい土地だったため、作物が育ちにくい所謂失敗した開拓地だった。
幼少期より両親の手伝いとして畑仕事だけをしてきたゲイリューダにとって、その村が世界の全てだった。
今思えば、日々食べるものにさえ困っていた当時の生活は非常に貧しいものだったが、それが当たり前だった幼い自分にはその事に気がつくことはなかった。
このまま親の仕事を継いで、この不毛の地で痩せ細った作物を育てながら一生を終える。
そうなると思っていたし、その未来を疑うことはなかった。
だが、そんなある日、ゲイリューダにとって転機となる出来事が起こった。
その日は月に一度の商人が村を訪れる日だった。
村で採れた作物を売り、その金で塩や衣類など村では手に入らない物を買う。
寒村で生活する上でなくてはならない、大切な日だった。
商人が村に滞在するのは三日間。
その間は村長の家に宿泊し、昼間に村の広場で商売を行うのが常だった。
ゲイリューダも家の使いで何度か買い物をしたことがある。
商人の持ってくる品の中には生活必需品の他にも、遠方の民芸品や王都で人気の菓子なんかもあった。
子供のゲイリューダにとってそれらの品は好奇心をくすぐる物だったが、同時に家の貧しさも十分に理解していたため、結局それらの嗜好品を買うことは一度もなかった。
その代わりではないが、ゲイリューダは商人の護衛として同行していた冒険者の話を聞くのを毎月の楽しみにしていた。
商人との付き合いもあるのだろう。
護衛の冒険者はいつも同じパーティーだった。
男二人に女二人の四人組だ。
みんな気さくな人だったが、その中でも剣士のソルはとくにゲイリューダのことを可愛がってくれていたと思う。
いつも隙を見つけては話を聞きに行くゲイリューダに、ソルは陽気に冒険の話を聞かせてくれた。
ダンジョンで魔物を倒した話や、宝箱を見つけた話。
盗賊と戦った話や、護衛以来の最中に立ち寄った街の話。
冒険者であれば誰でも経験するような、そんななんでもないような話ばかりだったが、世界を知らないゲイリューダにとっては新鮮なことばかりだった。
初めは話を聞いているだけで満足だった。
どんなに心踊る冒険譚を聞いても、自分には関係のない世界の話だと思っていたから。
だが、本当は心のどこかでソルたちに憧れていたのかもしれない。
だからこんな言葉が出てしまったのだろう。
「俺と手合わせしてくれないか?」
不意に口からこぼれたその言葉に、ソルたちは一瞬ポカンとした顔をしたが、すぐにいつもの陽気な声で了承してくれた。
「坊主、お前の天恵はなんだ?」
「【戦士】だ」
「おお、いい天恵を授かってるじゃねぇか」
ソルの言葉にゲイリューダは嬉しくなった。
元々腕っぷしには自信があり、子供同士の喧嘩では負けたことがなかった。
【戦士】の天恵もあったため、木の枝でも武器として手に持とうものなら、歳上にだって負けやしなかった。
「ちなみに俺の天恵も【戦士】だ。坊主の先輩だな」
ソルも【戦士】なのか。
この村にはゲイリューダ以外に【戦士】持ちはいなかった。
同じ天恵を持った人と対峙するのはこれが初めてだった。
相手は現役の冒険者だ。
村では敵なしとはいえ、さすがに同じ天恵を持っている冒険者相手に勝てるとは思っていない。
だが、それでも一撃いれることくらいはできると予想していた。
ゲイリューダとソルは枝にぼろ布を巻いただけのものを剣に見立てて互いに構えた。
「どこからでもかかってこい」
ソルの言葉に、ゲイリューダは大きく踏み込むと棒を振り下ろした。
【戦士】の天恵によって筋力が上がっているゲイリューダの一撃は、子供のそれではない。
当たりどころが悪ければ、ぼろ布を巻いた枝であってもただではすまないだろう。
だがその強烈なゲイリューダの一撃を、ソルは危なげなく自身の棒で受け止めた。
「おっ! 力の乗ったいい攻撃だ」
ソルの余裕そうな態度に少しむっとする。
一度距離をとったゲイリューダは身長差を活かし、ソルの懐に潜り込むようにして横凪の一撃を振るう。
だが、またもやソルは容易にその一撃を受け止めてしまった。
それから何度も何度も攻撃を仕掛けたゲイリューダだったが、結局一撃をいれるどころか、ソルをその場から動かすことすらできなかった。
冒険者というのはこんなに強いのか。
自分がこの世で一番強いとは思っていなかったが、それでもそれなりの実力はあると自負していた。
だが、蓋を開けてみればこの様だ。
手も足も出ないとはまさにこの事だろう。
「お疲れ。いい闘いだったぞ」
息を切らせながら大の字で寝そべるゲイリューダにソルが言った。
ソルはゲイリューダのことをどう思ったのだろうか。
声の調子はいつもの陽気なものだが、その目には失望の色が浮かんでいるのでは。
そう思うと、ソルの顔を見上げることができず、そっと腕で自分の目を覆った。
「……俺は弱いのか。冒険者にはなれないのか」
「そんなことはないさ。確かに今の坊主じゃ厳しいだろうな。
だが、挫けずに毎日修行を続ければ、きっと強い冒険者になれるぞ」
「……本当か」
「勿論だとも。このソルが保証しよう」
腕をどかし見上げたそこには、左目に古傷が刻まれた笑顔があった。
それからというもの、ゲイリューダは毎日欠かさず剣の練習を行った。
体が大きくなってからは、その怪力を活かして武器を大斧へと変更した。
月に一度訪れるソルとの手合わせでは最後まで一撃をいれることはできなかったが、ソルたちの後任として護衛を担当するようになった冒険者を破るだけの実力はついていた。
村を出たゲイリューダはそれから王都を拠点にして、冒険者として過ごすようになった。
初めは田舎者だと嘗められたが、めきめきと頭角を表したゲイリューダに自然とそんな声も聞こえなくなっていった。
それと同時に、金や女に困ることもなくなっていった。
少しダンジョンに潜れば、村にいたときの一月分の金が手に入る。
金が手に入れば、女たちが寄ってくる。
気に入らない奴がいれば、力で黙らせる。
やりすぎてしまうこともあったが、それすら金と力でどうにでもできた。
ゲイリューダにとって冒険者は天職だった。
この身一つで何でも思い通りにできた。
だが、そんな生活を繰り返していたせいだろうか。
浮かれて脇が甘くなっていたのだろう。
ある日、ゲイリューダは冒険者ギルドから王都を去るよう勧告を受けてしまった。
原因は女だ。
どうやら、街で引っかけた女の中に貴族のお手つきが居たらしい。
自分の女が冒険者と関係を持ったことを怒った貴族が冒険者ギルドに苦情を入れたようだ。
相手はゲイリューダに厳罰を与えるよう求めてきたようだが、ギルドはそれをかばってどうにか王都追放で話を纏めたらしい。
多少の揉め事なら力で黙らせてきたゲイリューダだったが、さすがに貴族相手では分が悪かった。
権力というものは、並みの力で対抗できるようなものではない。
一対一での闘いならともかく、私兵を向けられでもしたら無事ではすまないだろう。
逃げるようで屈辱ではあったが、命あっての冒険者稼業だ。
ソルのように自分より強い存在がいるということを知っていたからこそ、ゲイリューダは王都を出るという決断をすることができた。
行き先は別にどこでも良かった。
レイストを選んだのはたまたまだ。
王都を出る前に最後に立ち寄った酒場で、レイストで活動する<紅翼の女神>というパーティーのリーダーが美人だという話を聞いたからに過ぎない。
美人なら俺の女にしてやろう。
そう思って訪れたレイストで出会った<紅翼の女神>のリーダー、エイラはしかし、そんな生易しい存在ではなかった。
レイストで活躍している冒険者だかなんだが知らないが、所詮は出来立ての地方のダンジョンの話だ。
どうせたいしたことはない。
決闘で俺の力を示せば簡単になびくだろう。
そう思っていた。
だが実際はどうだろう。
確かにエイラは美人だった。
だが、そんなものよりもゲイリューダを震えさせたのはその圧倒的なまでの実力だった。
【戦士】の天恵で増幅されているゲイリューダの大斧による攻撃を、細腕で容易く受け止めたのだ。
それはまるでソルを相手にしているような、いや、ソルよりも強い存在を前にしているようだった。
どれだけ力を込めて大斧を振ろうとも、まるで岩でも殴っているかのようにびくともしなかった。
しかも恐ろしいのが、このエイラとかいう女の天恵は【戦士】ではないということだ。
どうやら固有天恵の持ち主らしいが、その力を使っている様子はなかった。
つまり、生身でゲイリューダの攻撃を受け止めているということだ。
天恵を使っていない相手に、自分の攻撃が通用していない。
その事実はゲイリューダのプライドを刺激し、さらに攻撃を苛烈なものにした。
だが、それでもその攻撃が届くことはなく、結局先に膝をついたのは体力の尽きたゲイリューダだった。
まさに化け物。
正面から挑んで勝てるような相手ではなかった。
ふと周りに意識を向けると、ゲイリューダの敗北に驚いている者はほとんどいなかった。
レイストの冒険者にはこの結末が予測できていたのだろう。
負けて当たり前。
そう思われていたと思うと、はらわたが煮え返るようだった。
エイラが剣を収め、ゲイリューダの金を持って背を向けた。
(俺を馬鹿にした報いだ!)
ゲイリューダはエイラの無防備なその背中に大斧を振り下ろそうとし、そしてそこで意識が途絶えた。
それからというもの、決闘に負けただけでなく武器を収めた相手に背後から襲いかかった卑怯ものとしてゲイリューダは嘲笑われることになった。
ギルドや酒場に顔を出せば、冒険者たちが馬鹿にしたようにゲイリューダに視線を向けてくる。
一睨みするだけで顔を背けるような雑魚ばかりだが、そんな雑魚にすら馬鹿にされていると思うと苛立ちは積もるばかりだった。
それだけではない。
ダンジョンに潜ろうにも、王都で組んでいたパーティーはレイストに来る際に抜けてしまったため、仲間がいない。
新たにパーティーを組もうにも、ゲイリューダの噂を聞いた冒険者は誘いに乗ることはなく、結局どこのパーティーにも所属できないような雑魚と臨時のパーティーを組むことしかできなかった。
即席の雑魚パーティーでは満足にダンジョン攻略もできず、王都にいた頃とは比べ物にならないほど安い稼ぎしか手に入らない。
晴れることのない苛立ちを誤魔化すために安酒場に行ってみれば、ガキみたいな奴らにまで馬鹿にされる始末だ。
しかも、そんなガキどもがエイラのパーティーに勧誘されているらしい。
腕を振っただけで吹き飛ぶような雑魚が、あの化け物のパーティーに、だ。
(ふざけるな。
こっちは糞みたいな噂のせいでろくにパーティーすら組めないっていうのに。
その上、その勧誘を断っただと。
どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むんだ!)
やはり安酒では、この苛立ちは誤魔化せないらしい。
路地裏を吹き抜ける温い夜風は、さらにゲイリューダの不快感を増幅させる。
「憎いですよねぇ」
「あぁ!?」
ふと気がつくと、目の前に一人の男が立っていた。
顔面を覆うように白を基調とした仮面がつけられており、血のように赤い口元が道化のような笑みを浮かべている。
薄暗い路地裏で視界がいいとはいえない。
おまけに安酒で悪酔いしている今は、万全の体調とは言えないだろう。
だが、それでも声をかけられるまで目の前にいることに気がつかなかったという事実に、ゲイリューダの中の本能が危険を報せていた。
「そんなに怖い顔をしないでください。
私はセオロ。通りすがりの一般人ですよ」
こんな得体のしれない一般人がいてたまるものか。
「……んで、その一般人が俺に何かようか?」
「あなたに一つ、仕事を依頼しに来たのです」
「依頼だぁ? ギルドも通さずにか?」
普通、冒険者に対する依頼というものは、冒険者ギルドを通すことになっている。
依頼主と冒険者の間で揉め事が起こった際に、ギルドが第三者として仲介しやすいからだ。
だが、それをしないということはつまり、これは普通の依頼などではないということである。
ゲイリューダの中で、男に対する不信感が増していく。
「あなたに依頼したいのは、先ほどの酒場にいた金髪の少女の連れの青年、彼を殺すことです」
「殺しだと? そんな依頼、俺が受けると思ってるのか!」
「まあまあ、話は最後まで聞いてください。
私が望むのは彼の亡骸だけです。
殺す前に何をしていただいても構いません。
それだけではないですよ。
依頼の報酬として、<紅翼の女神>のリーダー、エイラをあなたに差し上げましょう。
彼女に対して、いろいろ思うところがあるのでしょう?」
「そりゃあ嬉しい報酬だなあ。
だが、あんたはあんな化け物をどうにかできるってのか」
このセオロとかいう男が尋常でないのは分かる。
だがそれはエイラとて同じだ。
直接武器を交えた分、エイラの方が強いという確信すらある。
「こればかりは信じてもらうしかありませんが、そうですねぇ……。
こうして対峙してみて、私とエイラ、どちらの方が強いと思います?」
その瞬間、仮面の男から凄まじい殺気が放たれた。
仮面の男との距離は十分にある。
それにただ立っているだけで武器を構えているわけでもない。
体躯だってゲイリューダより一回りは小柄だろう。
だというのに、ゲイリューダは冷や汗が止まらなかった。
膝は恐怖に震え、立っているのさえやっとだ。
逃げることすらできない。
殺される。
いや、もう自分は死んでいるのではないか。
自身の生さえも認識できなくなるような、全身を貫くその殺気は今まで対峙してきたどの魔物よりも、どの冒険者よりも濃密だった。
「おや、私の殺気を浴びて死なないとはやりますね、ゲイリューダ」
愉快そうにカラカラと笑う仮面の男に、ゲイリューダはどうすることもできなかった。
すぐに殺気は収められたが、それは永遠に感じるような時間だった。
解放されたゲイリューダは、思わずその場で膝をついてしまう。
酔いなどとうに醒めてしまっていた。
対峙していただけだというのに強い疲労感が襲う。
あと少しあの殺気を浴びていたら、確実に死んでいただろう。
「わ、わかった。依頼は受ける。
だが、どうして俺なんだ? あんたなら自分でどうにでもできるだろう」
「ふふっ、私にもいろいろありましてねぇ。
舞台はこちらで用意しましょう。
心配しなくても、あなたが殺したという事実が露見することはありません。
あなたは彼を殺してくださるだけでいいのです」
胡散臭い声の、仮面の男が静に歩み寄ってくる。
ゲイリューダは思わず身を硬直させた。
「そう緊張しなくて大丈夫ですよ。
ちょっと、依頼を受けてもらう印をつけるだけです」
仮面の男の指がゲイリューダの右手の甲に触れた。
するとどういうわけか、仮面の男が触れた場所に歪なヒトの頭蓋骨のような模様が浮かび上がった。
「その印はあなたが目標を殺したときに、自然に消えるので安心してください。
それではよろしくお願いしますね」
暗い路地裏で男の仮面が静かに笑った。
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