第6話 【斬魂】と【縛鎖】

「ここがボス部屋ですか……」


 荘厳な大扉を見上げながらミリアがつぶやいた。

 俺と同様に、ミリアも以前のダンジョンでボス部屋まで来たことはないらしい。

 初めてのボス戦だ。

 緊張からか、その表情は少し硬かった。


「最終確認だ。俺がホブゴブリンを引き付けるから、ミリアは背後から接近して【縛鎖】を使ってくれ。身動きが取れなくなったところを俺の【斬魂】で斬る」


「わ、わかりました」


「無理はしなくていいからな。失敗しても、俺が一人で倒せる相手だ。気楽にいこう」


「はい!」


 短剣を握るミリアの手に力が入るのが分かった。

 ミリアは冒険者になって二年になるようだが、ボス部屋を前に硬くなっているその姿は、初心者のそれのようだ。

 冒険者として異質な、穏やかな魂をしているだけって、生来争いは好まない質なのだろう。


 俺は苦笑しながら、ミリアの頭を撫でた。


「サクッと倒して飯でも食べに行こう。果実水を奢ってやるぞ」


「むー!子ども扱いしないでください!」


 膨れっ面をして睨んでくるその姿は、まさに子供のそれなのだが、指摘はしない。

 それよりも、体の余計な力が抜けたようで何よりだ。


「ほら行くぞ。ミリアの記念すべき初ボス戦だ」


 俺は大扉をゆっくりと押し開いた。

 松明に照らされた、薄暗い大部屋。

 昨日も見たその光景の中に佇む、一つの影。


『ギギャァーーー』


 醜悪なその姿に向かって俺は叫んだ。


「おう、昨日ぶりだな!今日も相手してやるからかかってきな!」


 俺の言葉が分かったわけではないだろう。

 だが、挑発されている雰囲気を感じ取ることはできたのか、ホブゴブリンは錆びた剣を片手に俺に襲いかかってきた。


 斬り下ろされた剣を己の剣で受け流す。

 隙だらけの胴が目に入るが、今日の目的は倒すことではない。

 少し距離をとると、次の攻撃に備えて構える。


 躱して、弾いて、受け流す。

 攻撃は最低限にとどめ、注意を引きつけることだけに集中する。


 ホブゴブリンの背後に回りこんだミリアの姿を視界の端に捉える。

 ミリアが踏み出したタイミングに合わせて、俺はホブゴブリンの斬撃を受け止めた。

 鈍い衝撃が体を走る。

 だが、弾き飛ばされるほどの威力ではない。

 腰から力を入れ、地面を踏みしめる。


 一瞬の膠着状態。

 しかし、それはホブゴブリンにとって致命的な隙となってしまった。


「【縛鎖】!」


 ホブゴブリンの背に左手を置いたミリアの声に合わせ、何もない空間から幾本もの鎖が飛び出し、ホブゴブリンに巻きついた。

 四肢を縛り、胴を締め付け、首を吊り上げる鎖は、ピンと張ったまま一切の揺らぎを見せない。

 それはホブゴブリンの動きを完全に封じていることを示していた。


(本当に動きを封じてやがる……)


 ホブゴブリンは第一階層ではあるが、れっきとしたボスである。

 その力は確かなものであり、それは正面から攻撃を受けていた俺が一番よく理解している。

 そのホブゴブリンが今、ミリアの生み出した鎖に縛られて完全に身動きが取れなくなっていた。


『グギュィァァァ』


 拘束から抜け出そうとしているのだろう。

 ホブゴブリンは苦悶の声を漏らしているが、その抵抗もむなしく、鎖がこすれる音すらしない。


 もし【縛鎖】が俺に向かって使用されたとしたら。

 なすすべなく、右手に持った短剣で命を刈り取られてしまうだろう。


 背中に冷たいものが伝う。


 間近で見て、ミリアの天恵の凶悪性を改めて理解した。

 あの天恵は危険だ。


「アレクさん、早く!」


 響いたミリアの声にハッとする。


(仮にも仲間に対して、俺はいったい何を考えているんだ!目の前の敵に集中しろ!)


 俺は己の剣を上段に構えると、その動きを止めた。

 細く、深く、長い呼吸を意識する。

 心は波紋一つない水面のように。

 魂は燃え盛る烈火のように。

 次に放つ一撃に、全神経を集中する。


 己の劣等感も、ミリアに対する恐怖心も次第に溶けて消えていく。

 研ぎ澄まされていく意識の中にいるのは、目の前の敵に宿る、どす黒い魂のみ。


 鋭く、鋭く、鋭く。

 構えた剣が、まばゆい光に包まれていくのが見なくても分かる。


「綺麗……」


 誰かが呟いた。


 永遠とも思えるような一分間が過ぎ、それは魂へと届く一撃へと昇華される。


「【斬魂】ッ!」


 光の斬撃がホブゴブリンを通過する。

 手ごたえはない。

 何もない空間で素振りをしているような感覚だ。

 実際、ホブゴブリンには傷一つついてはいない。


 だが、それも当然だ。

【斬魂】は魂への一撃である。

 それは肉体的な損傷を一切与えることなく、ただ無慈悲に魂のみを消滅させる。


 未だに【縛鎖】によって拘束されていたホブゴブリンの肉体は、己の身に起こったことすら理解できないまま、光の粒となって霧散した。


 不意に訪れた静寂。


 ホブゴブリンが消滅したことで、その陰に隠れて見えなかったミリアの姿が映った。

 その瞬間、先ほどまで考えていたことが脳裏をよぎり、居心地が悪くなる。

 無意識に剣を握りしめようとした手が空を切る。

 そこでようやく、ホブゴブリンとともに剣も消失してしまったことに気がついた。


 口に出したわけではないが、それでも一度抱いてしまった考えは、泥のように俺の魂へこびりつく。


 しかし、そんな汚れすら溶かしてしまうような笑顔がそこにあった。


「やりましたね、アレクさん!」


 すっと距離を詰めたミリアは、握るものを失った俺の手を自身の手で包み込んだ。

 ミリアとの接触。

 意図せず体が強張るのを感じる。


 だが、俺の内心など知らないミリアは、その温かな笑顔を俺へと向け続けていた。


「さっきの一撃、びっくりしました!本当にボスを一撃で倒してしまうなんて!アレクさんは本当にすごいです!」


 興奮が抑えきれないのか、包み込んだアレクの手を上下に振るミリア。

 その姿には一切の邪心が見られなかった。

 魂を見ずともわかる。

 どこまでも純粋なミリアに、無用な警戒をしていた自分があまりにも滑稽に思えた。


 ミリアは天恵を悪用するような奴じゃない。

 それは今までいろんな人の魂を見てきた俺にはわかる。


 心機一転してレイストに来た。

 誰かとパーティーを組みたいと思った。

 対等な仲間が欲しかった。


 それを望むなら、まずは信じることから始めなくては。

【斬魂】を。

 そして、ミリアを。


 俺は満面の笑みをたたえるミリアに負けないような笑顔を浮かべた。


「よし、帰って祝勝会だ!」


 これからのことは分からない。

 ただ、今だけは対等な仲間と勝利を分かち合おうと思った。

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