第11話 世界を正す
「キモいな」
翌朝、出勤してきた累はクナド様のトーク画面を見るなり、そう吐き捨てた。
一切の躊躇なく心の底からそう思っているのが分かって、百々は思わず小さく噴き出してしまう。
「笑いごとじゃねえだろ」
累はいっそ百々のスマートフォンを握力で破壊しそうな勢いでみしみし言わせながら、文句を言う。
昨日の英文のメッセージは、クナド様とやりとりをしていた警視庁のネットワーク経由のアカウントではなく、百々が柳成の神隠し事件の際に友達申請をして一言もやりとりをしていなかった個人アカウントのトーク画面に送信された。
つまり、わざわざ五万人のアカウントのなかから見つけ出してモリミヤジンが送りつけてきた、百々個人に宛てられたメッセージということだ。
「境木さんが言いたいことは言ってくれたので」
そう言ってもなお、累は物言いたげにしている。百々は累を見上げ、さらに言葉を重ねた。
「以前の私なら、こんなメッセージを見ようものなら倒れていたと思います。でも、今はきっと大丈夫。一緒にモリミヤジンを探してくれますか」
「当たり前だろ」
累はそう言って、ライムのトーク画面をスワイプする。
百々が昨日、モリミヤジンに向けてクナド様宛に送った「あなたは誰?」というメッセージは既読スルーされていた。
「上遠野たちを捕らえて話を聞けりゃ、奴の手がかりも引っ張り出せるかもしれねえ。ただ、捜査本部も動いてる。もたもたしてると、横から掻っ攫われるぞ」
その通りだ。
襲撃犯の凶器の指紋は上遠野のものと一致した。捜査本部は人員を大量投入して検問を敷き、疑わしい空き家や工場跡地などを徹底的に捜索し始めたらしい。サイバー犯罪対策課も乗り出し、万全の構えだそうだ。
それでもなかなか急ごしらえの学生犯罪者集団が尻尾を見せないのは、やはりモリミヤジンの支援が絡んでいるからという気がしてならない。もしかすると、警察の捜査情報が洩れている可能性もある。
今回のクナド様事件にしても、明星やこれまでの事件同様にモリミヤジンはあくまで相談役に徹し、自分の手は汚していないにちがいなかった。
パラ対としても、これまで骨を折ってきた事件の決着をただ手をこまねいて見ているだけというのは割に合わない。
八森が本部に捜査協力を願い出たが、責任者からは我々の扱うヤマをエイリアンや河童の出没騒ぎと一緒にしないでほしいとすげなく断られたらしい。そのエイリアンや河童の出没騒ぎを扱う部署に事件解明の先手を打たれておいて、随分な言いようである。
ちなみに今朝は八森はその愚痴を散々こぼすと、第四係の方の仕事がトラブったと言って十二階に消えてしまった。上遠野らの捜査はしばらく累と百々だけで当たらなければならない。
「これまでのモリミヤジンの手口からいって、自分が関与した証拠を残しておくとは考えにくいです。たとえ上遠野さんたちが逮捕後、背後に別の人物がいたと自白しても、その証言がまともに取り合われるかどうか……」
「だが奴は鳥居に拘ってわざわざ存在を匂わし、おまえに見つけてほしがってさえ見える」
仄暗い沈黙が落ち、百々は累から返されたスマートフォンのライムのトーク画面にそっと触れた。
いっそ甘美な睦言のようですらある言葉たちは百々の奥深くに分け入って、脳髄を揺さぶる。
「正攻法じゃ本部に先を越される。クナド――というか、上遠野にライムを送ってみないか。奴はきっと、『遠い日の戀歌』の絡繰りを暴いてほしがっている。そこから突き崩すぞ」
累はパラ対のタブレットを立ち上げると、百々の隣に座った。ふたりで文面を考えて、ライムの送信ボタンを押す。
『上遠野吟さん。クナド様公式スタンプの音声を聴きました。弦間英さんの『遠い日の戀歌』はあなたの楽曲を盗作したものですね』
意外にも、一分と経たずに既読がついた。
前にメッセージを送ったときはこちらが警察だと知って以降は既読すら付かなかったが、心境の変化があったらしい。きっと上遠野はモリミヤジンを通して、メッセージの送り主である百々たちこそが、弦間襲撃を阻止した警察関係者であることを知ったのだ。
『おめでとうございます』
クナド様スタンプのクラッカーの効果音が空虚に響く。
真相に辿りついたことに対する賛辞の意味かと思ったが、どうやらそれはちがうようだった。
『あなたたちのおかげで世界は正されない。あのとき、弦間は報いを受けるべきでした。なのに今日ものうのうと、テレビで被害者面をして、お優しい世間の皆々様は弦間さん可哀想とピーチクパーチク囀っています。まったく、今日も世界はうつくしい。そういう世界を守る手先になる気分はどうですか。おめでたい方々だ』
送信者は、おそらく他の失踪学生ではなく上遠野本人だろう。文面から怨念と嘲りと諦念が立ちのぼっている。
『弦間は、僕がかつて自分のホームページ上で細々と公開していた楽曲『家路』を盗作しました』
『そのデータの公開日から、弦間さんの盗作を証明することはできないんですか』
こんな犯罪に手を染めずに、不条理に対抗する手段はなかったのか。そう暗に問えば、既読がついてからしばらく返信が途切れた。辛抱強く待っていると、ぴこぴこ、と軽快な通知音が響く。
『盗作を知ったときには、ネット上から楽曲を消していました』
『それは、どうして……』
『その頃避難者の住宅支援が打ち切られたんです。僕ら一家は、故郷には帰らない選択をしました。だから微々たる額にしかなりませんが、パソコンも質に入れることにしたんです。ホームページを管理できなくなるので、データはすべて消去しました。きっと僕が先に曲を発表していたことを知る人は誰もいません』
百々は言葉を失ってしまう。
昨日百々も調べてみたが、避難指示区域外の避難者に対する住宅提供は二〇一七年に打ち切られている。元居た土地に戻っても仕事がない人、慣れない土地で病を得た人、さまざまな事情も十把一絡げに、もう元の土地に戻って生活できるだろうということのようだった。
数年間の避難生活で生活の基盤が大きく変わった人だっている。そういう状況で元通りに生活しろというのは、百々には冷淡な話に聴こえた。
『弦間は僕の盗作被害の訴えを認めませんでしたが、僕が生活に困っていたことと将来は音楽家になりたいと思っていたことを知って、楽曲の共同制作を持ちかけました。今はまだ君は未熟だから責任を持って僕の名前で発表するけれど、いつか君にも僕の後継としてデビューを飾ってもらう。契約書類にはそんなことは一言も書いていませんでしたが、馬鹿だった僕はそれを鵜呑みにして、月日が流れていきました。弦間の元に入る莫大な利益は僕にはほとんど配分されず、家賃と父の入院費と自分と弟の学費を母となんとか賄っているような状況で、震災で負った父の会社の借金の返済もままなりませんでした。それでも、僕が学生を続けられたのは、弦間のおかげです』
画面の向こうに、皮肉げに嗤う青年を見た気がした。
当時、上遠野は高校生だ。親切心を装った大人の裏の思惑など、見抜けというほうが酷な話だった。
『弦間に良いように使われていると気づいた頃、僕はネットにまったく新しい自分のオリジナル曲を発表しました。どんなコメントがついたか分かりますか』
疑問形だったが、こちらの返答は求めていないらしく、百々たちがまごついているうちに次のメッセージがきた。
『弦間英の劣化コピーだそうです』
百々は思わず口元を手で覆った。
そのコメントを目にしたときの上遠野の絶望は、想像するに余りある。
すべて自分のつくった曲なのに、はじめは曲そのものを奪われ、次に名を奪われ、果てには夢を奪われた。
百々に音楽のことはよく分からない。けれど、若い才能ある音楽家にとってそれは、自分そのものを奪われることと同じなのではないだろうか。
『もう僕は、この先一生、弦間英の幽霊として生きていくしかないのだと悟りました』
だから、幽霊のままで終わりたくなかったから、上遠野は似たような境遇の若者たちを集めて、カミ様になろうとしたのだろう。
不正義には、不正義を。そのようにしか戦えなかった。
『僕たちの苦しみに寄り添ってくれたのは、モリミヤさんだけでした。モリミヤさんだけが、一緒に世界を正そうと言ってくれた。僕たちのような、誰にも存在を認めてもらえないようなくだらない人間のことを見つけて、話を聞いてくれた』
とても言葉を返せない百々に代わって、累がタブレットを手に取る。
『モリミヤジンは人を犯罪に駆り立て、安全な場所からゲームを見下ろしてほくそ笑んでいるクソッタレの腐れ野郎だ。罪を犯して、人を殺そうとして、それでお前はこれからどうやって生きていく?』
『じゃあ僕は、どうやって生きればよかったっていうんですか?』
その問いに、ついには累の手も止まる。
互いの姿はまるで見えないのに、まだ十代の子どもの玻璃のような眸に、おのれの姿がくっきりと映し出されているような気がした。
「話を……」
知らず、唇が開いた。届かない言葉の代わりに、百々はタブレットに指を滑らせる。
『あなたたちと直接会って、話がしたい』
『話?』
『モリミヤジンがしたのとはちがう話です。罪を償って、弦間英の盗作を公表しましょう。そして、あなたの人生を取り戻すんです。私はあなたに、あなたの人生を生きてほしい。そのためにできることはなんでもすると、約束します』
百々も十代の頃、八森や遼に救われた。それでも百々は自分はひとりぽっちだと頑なに思っていたけれど、きっとそんなことはなかった。百々の手を放さないでくれる大人が傍にいた。
おそらく上遠野は家族を心配させまいと、弦間から受けた仕打ちを告白していない。誰も頼る大人がいなかったのだろう。
柄でもないことは分かっている。だが、累や八森らのように上手くはできなくても、百々もこの青年の手を掴んで放したくないと思った。
少しの間があった。
返ってきた言葉は、そっけなかった。
『変なひとたちですね。僕に関わってなにか得がありますか。この事件から外されたんでしょ、あなたたち』
願望のフィルターがかかっているのかもしれなかったが、その言葉はどこかやわらかく揺らいで百々の胸に響いた。
しかし、それも長くは続かなかった。
『アジトの一部が見つかり、三人が逮捕されました。もう僕たちも見つかるのは時間の問題です。あなたたちは気にすると思うので先に言っておきますが、死ぬつもりはありません。僕が引き起こしたことを、僕の同志に背負わせるつもりはない』
返信を打つ間もなく、次のメッセージを受信する。
『それと、境木さん。怪我をさせて申し訳ありませんでした。僕たちは誰でもいいから傷つけたいわけじゃなかったはずなのに、結局罪のない人も大勢巻き込んだ』
累が端末の上に指を滑らせる。けれど、累がメッセージを打ち終えるよりも早く、ふたたび無情な受信音が響いた。
『あなたたちとは、きっとこれきりです。さようなら』
それきり、返信が途切れる。
やがて一時間もせずに、上遠野ら学生グループ逮捕の報がもたらされた。
百々たちに送られたのとほぼ同じ上遠野による弦間の告発文書は、逮捕直前にクナド様公式ライムで友達全員に送られた。
その後、会社側は上遠野を雇用していたことと楽曲の共同制作については認めたものの、『遠い日の戀歌』が盗作だというのは真っ赤な嘘であると主張した。告発の内容を裏づける証拠がないこと、学生グループが犯行にフェイクニュースやデマを駆使していたことも相俟って、上遠野には天才音楽家の下で働いているうちに被害妄想を拗らせた虚言癖の扇動者というレッテルが貼られた。
『金恵んでもらってたのに逆恨みかよ』
『契約結んでたなら自業自得じゃん。情弱』
『もし全部本当だったとしても、こいつの名前じゃ一枚も売れなかったに五百万ペニー』
『てか、次のノエちゃんの連ドラの主題歌、弦間さんのなんだけど。泥塗られるとか最悪』
上遠野を擁護する声もあったが、ネット上にはおおよそそのようなコメントが溢れた。
上遠野は担当刑事に事件の経緯をすべて語ったものの、国選弁護人とは一切の会話をすることを拒否しているらしい。百々は累と、神隠し事件で世話になった立川柊成に弁護人を引き受けてもらえないか連絡を取った。だが、柊成に仮に快諾してもらえたとしても、この分では当の上遠野が面会を受け容れる可能性は低いだろう。
なんとも後味の悪い、幕引きだった。
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