第7話 妖怪談義
佐藤と別れてから、百々と累は念のため以前クナド様目撃談があった大学構内の地点へと足を運ぶことにした。
早穂田大学では、目撃情報が三か所から上がっていたので、まずは一番遠い裏庭から回ることにする。
「もし上遠野が犯人だとすると、クナド様ライムアカウントの運営者はモリミヤジンじゃねえな」
累の言葉に百々は頷く。
上遠野がモリミヤジンであるはずがない。若すぎるからだ。百合子が死んだとき、上遠野はせいぜい五歳かそこらで、『ひかりのいえ』テロ事件に関わりようがない。
「っつっても、上遠野はただの学生だ。一介の学生がこんな大がかりな犯罪を仕掛けられるとも思えない」
「モリミヤジンが手を貸している可能性はありますね」
「なんにしても、まずは上遠野がクナドなのか確かめてからだな」
上遠野の関与の疑惑が浮上したのは、今のところライムアカウントの件のみだ。都市伝説や集団失踪事件とは無関係なのだろうか。それとも。
クナド様の目撃談のあった裏庭には、なんの変哲もない光景が広がっていた。薄紅の花を咲かせる夾竹桃の傍には、クナド様の姿はない。
「クナド様って――なんなんでしょうね」
「同好会の学生たちは神様って崇め奉ってたけどな」
「ええ、でも学生のSNSの反応を見ていると、救い主としての神というよりも、八百万のカミ。あるいは口裂け女、河童、お岩さん……そういう怪異と混同している人のほうが圧倒的に多い」
累は、渋い顔をした。
どれも似たり寄ったりの非実在の概念に過ぎないように思えるのだろう。
「境木さんは、幽霊と妖怪のちがいについて考えたことはありますか」
「どっちも似たようなもんじゃねえの」
「ちょっと乱暴すぎる見解かと。民俗学者・柳田圀男は、『妖怪談義』でその違いについてこう述べています」
曰く、妖怪は出現する場所が大抵は定まっているが、幽霊は向こうからやってくる。妖怪は相手を択ばず、多数に向かって交渉を開こうとしているように見えるが、幽霊はただこれぞと思う相手だけに思い知らせようとする。
つまり妖怪はそこに行けば誰にでも見えるが、幽霊は恨みのある相手を執拗に追い回す、ということだ。
一つ目の謎、集団失踪事件とクナド様の関係はいまだ不明だ。だが、二つ目の謎のクナド様の都市伝説は極めて妖怪的だし、三つ目の謎のライムの恨みつらみを受けて仕返しのために現れるクナド様、というのは幽霊的でもある。
「いわば、キメラとでも言いましょうか」
「人間だろ」
累はげんなりと言った。
先の神隠し事件ならいざ知らず、今回のクナド様事件、とりわけ三つ目のライムやSNSを使った犯行は明らかに人間のしわざによるものだ。
「もちろんそんなことは分かっています。ですが、この一連のクナド様の謎が互いに結びついているとしたら、そこにどんな背景があるのか。そう考えてみたんです」
そうして百々の眼前におぼろげなイメージとして立ち現れてきたのは、歪なキメラのごとき怪物だ。
「妖怪じみて大衆にその存在を知らしめたにもかかわらず、出現の仕方は極めて限定的。幽霊としての色が濃い。さらには自分たちの信奉者たちまで募って、カミを気取っている。なにか意図があってのことではないかと」
累は胡乱げな顔をしている。
今まさに容疑者の名が浮上している状況で、妖怪だの幽霊だのカミだの言われても扱いあぐねるのだろう。しかし累は考えなおした様子で、百々の言葉に首肯した。
「まあでも、ライムの件に都市伝説も関わっているとしたら、不可解だな。そんな噂を流してなにかメリットはあったのか……」
ふたりして長考に沈んでいると、バイブ音が響いた。累ではなく、百々のものだ。
通知を見て、百々はあっと声を上げる。
「八森さんです」
「俺が出る」
思ってもみない言葉に、百々は反射的に「え?」と間抜け面を晒してしまう。
「……なんでですか」
「俺が八森さんに話があんだよ」
困惑もよそに、半ば強引にスマートフォンをひったくられかける。最近の累はやはりなにかおかしい。百々はぎりぎりのところでスピーカーモードの表示をタップした。
『もしもーし、鳥居?』
「はい、すみません。ちょっと隣の人が変なことを言いだして遅くなりました」
『はは、仲がよろしくてなによりだ』
八森の言葉に、百々だけでなく累も眉を顰める。
べつに仲がよろしくはない。
『お前らが戻ってきてからでもいいかと思ったんだがな。あれ、思い出したわ』
「あれって……クナド様ライムのスタンプの曲ですか?」
『おうともよ。いやあ、お前ら俺に感謝しろよ。梨花が中学生だった頃に散々、授業参観にも文化祭にも体育祭にもな~んにも来ない時代遅れ社畜ジジイって罵られたあげく、たまの休みに合唱コンクールの録画を延々と見せられ続けたことを思い出して、ぽん、と閃いたんだからな』
梨花とは八森の高校二年生になる娘のことだ。
ついでに言えば、高校生になった梨花からは逆に「友達にパパのこと見られたくないから絶対に来ないで」などと言われることも増えたらしく、八森は近頃娘が中学生だった頃の可愛げのある罵倒を恋しがっていた。
そんなことを百々が回想している間にも、八森はいかにこの曲を思い出すのが大変だったかを語り続けている。
さっさと思い出した内容について話してくれればいいものを、八森はやたらと勿体ぶってからようやく、核心に触れた。
『今朝、お前らもちろっと聴いてる曲だよ』
百々は累と目を見合わせた。
「それってもしかして……」
『おー、弦間英の『遠い日の戀歌』。サビでもイントロでもねーから、思い出すのに時間かかっちまったぜ』
累が急いで自分のスマートフォンでライムのアプリを開いて、クナド様スタンプの音声を再生する。
たしかに、『遠い日の戀歌』のメロディによく似ているように聴こえた。
「これ、ごめんねスタンプ以外にも音ついてねぇか」
累がライムの公式スタンプページに飛んで、クナド様のスタンプの音声を順番に再生する。
すべて繋げると、『遠い日の戀歌』の旋律が現れた。
もう帰れない故郷を叙情的なメロディに乗せて歌い上げた、どこか懐かしくも恋しいような気持ちにさせられる楽曲だ。もっとも、スタンプの音声には歌声は入っていなかったが。
「でもこれ、曲調は似ていますが、少し……原曲とちがっていませんか。アレンジされているというか」
「たしかにな。著作権侵害になるから、アレンジしたのか? それにしたってパクリじみてるが」
「そういえば先ほど、佐藤さんがクナド様は『遠い日の戀歌』が嫌いだと言っていたと」
偶然にしては、出来すぎている。
わざと『遠い日の戀歌』に似せた曲をばらばらにしてスタンプの音声に散りばめたと考える方が自然だ。
しかし、なんのために?
「今日、弦間英の講演会があるんだったな」
「ええ、たしか講堂で十九時から……まだ十五分くらいありますね。そういえば講堂も、クナド様目撃談が出ていた場所です」
「なにか臭うな。講堂、向かうぞ」
そう言って、累は走りだす。
百々は八森に「また連絡します」と早口で言って電話を切ると、後に続いた。
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