第3話 仮説
静まりかえったパラ対のオフィスに、カチカチとマウスをクリックする音が木霊する。
百々は打ち合わせを終えるとすぐに道祖神や日本書紀についての資料に当たると言って大学図書館に向かい、八森は兼務している――というより本来の仕事である生活安全対策第四係のある十二階に戻っていった。おかげで室内には今、累しかいない。
自販機で買った安っぽい味の缶コーヒーに殆ど口もつけずに、ホイールボタンを転がす。
ディスプレイに表示されているのは、警察官のデータベースだ。そのなかから、とあるひとりの警察官の履歴書をクリックする。
八森錠市。
先ほどまで同じ部屋で捜査方針について話し合っていた直属の上司その人である。
八森には、二十代の頃に神奈川県警で警備部機動隊爆発物対応専門部隊に所属していた過去がある。すなわち、爆弾のプロだ。
累が八森の履歴書を閲覧するのはこれが初めてではない。『青ばら』で八森と鳥居百合子の接点を知ってから、もう何度も眺めている。けれども、穴が開くほど見つめ続けたところでその経歴が消えることはない。
先の明星による鷲津清正爆殺事件。そしてカルト教団『ひかりのいえ』によるテロ事件においても、プラスチック爆弾が使用された。
テロ事件に使われた爆弾は教団所有の施設で製造され、爆発物を扱う神奈川県内の解体業者が原料の火薬や起爆用雷管を横流ししたことが明らかになった。
しかし、教団が独自に爆発物を製造・使用したと見るには些か不可解な点もあった。
教団の組織幹部や実行部隊に爆弾に精通した人間がいなかったからだ。
警察が押収したパソコンには爆弾の製造や扱いに関するマニュアルや各事件で使うのに適した爆薬の量の指南書が存在したが、作成者が判然としなかった。このことは当時警察や検察でも問題になり、外部に協力者がいないか徹底的な洗い出しが行われた。
結局この問題は、理系学部出身でかつて化学薬品メーカーに勤めていた教団内部の爆弾製造施設の施設長が作成したものの、責任逃れのためそれを隠蔽しようとしたということで一応の決着を見ることとなる。施設長が減免のために詐病を行っていたことも、その結論を後押しした。
もうひとつ不可解だったのは、教団の構成員と解体業者が証言した両者の接点が食い違ったことだ。そのため、教団と業者をつなげた第三者が存在し、両者がそれを庇っているのではないかという疑惑が浮上したこともある。しかし両者ともに頑なに証言を変えなかったため、接点は曖昧なまま現在に至る。
しかしこれらの『ひかりのいえ』の爆弾製造を巡る不可解な点は、百々の証言と明星の最期の言葉を重ね合わせれば、おのずと答えは見えてくる。
モリミヤジンが介入したのだ。
プラスチック爆薬は化学的に安定していて、環境変化の影響を受けにくい。つまり比較的扱いが容易な爆弾だが、当然素人に扱えるものではない。製造法や扱いに詳しく、さらには原料を違法に取引しうる人間を知っている人物。
八森の経歴はそのいずれも満たしてしまっていた。
しかし物証がない。
八森を疑うようになってから何度か彼を尾行しているが、飲み屋に行くか甘味を食べるか、家で妻と娘から邪険にされているかで、今のところ怪しい動きは一切確認できていなかった。
モリミヤジンの人物像を絞り込むうえで、もうひとつ重要なファクターが百々だ。
『ひかりのいえ』や明星だけでなく、彼女が今まで出会った超常現象になぞらえた犯罪者たちまでもが、モリミヤジンの名を百々に伝えたという。警察にも尻尾を掴ませていないその名を、百々だけに。
モリミヤジンは用意周到だ。実行犯たちに自身への忠誠を誓わせているかのように、みずからの関わった痕跡を抹消させている。であれば、自分が関わった証拠の一切を闇に葬ることもできたはずだ。
それにもかかわらず、百々に手がかりを残した、その意味。
おそらくモリミヤジンにとって、百々はとくべつなのだ。
彼女がモリミヤジンが庇護する超常犯罪者たちのインチキやペテンを暴くサイキックハンターだからだろうか。いや、もっと根は深い気がする。
累は予感に駆られて、傍に積み上げてあった『ひかりのいえ』や鳥居百合子の関連本に手を伸ばす。目次で検討をつけななめ読みしたが、探し求める情報は出てこない。検索エンジンに目当ての単語を入力しても、面白半分の憶測やデマの類が並んでいるばかりで、これはと思えるような情報にありつくことはできなかった。
――父親については、私も知りませんから。
東京中央病院で聴いた、家族のことを話す百々の声は、すべてを拒絶するかのようだった。
あの分では、百々は本当に父親を知らない。
しかし、実はモリミヤジンと鳥居百合子の間にただならぬ関係があったとすればどうだ。テロ事件よりも、ずっと前。百々の生まれる前から。
百々はモリミヤジンと百合子の間に生まれた子で、再会を果たしたモリミヤジンは百合子をテロリストに仕立てる。百々は母親を罪人に追いやったモリミヤジンを憎み、その行方を追う。
モリミヤジンにとって、百々とのやりとりはゲームであり、また娘とのコミュニケーションの手段なのではないだろうか。
だから百々にあれほど執着している。
鳥居百合子が百々を生んだのは二十歳のときだ。八森はそのとき、二十六歳。神奈川県警の爆発物対応専門部隊に配属されていた。
『ひかりのいえ』が世間を騒がせた頃、八森は三十代後半で、警視庁の公安部所属。時系列に沿って見ても、モリミヤジンを八森と仮定することに大きな矛盾はない。
そしてさらに八森は、生活安全課の係長という安泰な地位にいながら、わざわざ超常犯罪対策班の立ち上げに関わり、班長に就任している。累も過去の資料を洗ったり関係者にそれとなく話を振ってみたりしたが、これには八森の意向も大きく影響していたらしい。百々をコンサルタントとして推薦したのも八森だ。娘の百々を手元に置いておくため、そしてみずからが手ほどきした犯罪者たちを庇護するためだとしたら辻褄も合う。
しかしやはりこれも、すべては疑心暗鬼の作りだした妄想でしかないと言われればそれまでだ。
どうにかばれないようにDNAのサンプルを入手し、違法にDNA鑑定にかけるなどすれば血縁関係は明らかになるかもしれない。しかし警察関係が頼れず、民間で信用のおける機関となると、探しだすのになかなか骨が折れそうだ。
なにかひとつ、ひとつでもいいから確証があれば先に進めるのに、そのひとつに手が届かない。
手がかりはたった六文字の名だけ。明星からモリミヤジンを辿れないか、知り合いの伝手を頼って累も独自に調べているが、爆弾の入手ルートすらいまだ不明だ。彼女の通信記録を浚ってみても、モリミヤジンらしき人物には辿りついていない。
おそらく、モリミヤジンと超常犯罪者の犯罪計画のやりとりには飛ばし携帯が使用され、犯行時には処分してしまっているのだろう。
露見することも覚悟で、八森に盗聴器を仕掛けてみようか。そんな物騒な考えが脳裏を過ぎる。
汗ばんだ首筋をボディシートで拭き、累は細く長い息を洩らした。
百々は、八森を信頼している。それこそ養父のように。
百々にとっては、暗がりの底のような『ひかりのいえ』から連れだしてくれたばかりか、母親の死に寄り添い、そして現在も彼女の仕事を信頼してくれている道しるべのような存在なのだろう。
累にとっての、法村のように。
どうか、と柄にもなく神に乞う。
どうか、自分の読みが外れていてほしい。モリミヤジンの正体が、百々とは一切関係のない、彼女が歯牙にもかけない人物であってほしい。
百々はすでに、母親という道しるべを失っている。これ以上失う道理はないはずだ。
失い続けた先にある空漠は、人を飲み込む。累や宮野や柳成は自分自身を。そして、法村や明星は――。
缶コーヒーを一気に流し込むと、累は過去にモリミヤジンが関わったとみられる事件の調書を開いた。
そこに、ガチャ、と音を立てて誰かが部屋に入ってくる。反射的にパソコンの電源を落として顔を上げれば、疑惑の渦中にある八森だった。
八森は、累のデスクの上の惨状を見て苦笑する。
「モリミヤジン探しか。精が出るな」
八森の口からまろび出たモリミヤジンの名に、掌にじっとりと厭な汗が滲む。
累は呼吸を整えると、八森に身体を向けた。
「……八森さんは、本当にモリミヤジンに心当たりはないんですか」
「あったらとっくにお前らに伝えてるっての。モリミヤジンのホシを挙げなけりゃ、鳥居はずっと十四年前に囚われたまま、先へ進めない。それに鳥居百合子は――俺にとってもとくべつなんだよ」
「とくべつ?」
詰問するような累の口調に、八森は一瞬言葉に詰まる。
「追々な。この話をすんのは、お前じゃなくて鳥居が先」
「それはどういう――」
「しつけーぞ。俺、これから会議。お前、代わりに出て課長にどやされてくれんのか? ん?」
八森は無茶苦茶を言って自身のデスクからなにやら資料を引き抜くと、部屋の外に取って返して行った。
嵐が過ぎ去ったあとのように、室内にはまた静寂が満ちる。累は組んだ手の上に顎を乗せて、真っ暗なディスプレイを睨みつけた。
八森にとって、鳥居百合子はとくべつな存在。ますます、八森のことが怪しく思えてくる。
だが累の読みが正しいにせよ、間違っているにせよ、確証を得るまでは百々に下手なことは言えない。
ひとりになるなと言った手前決まりが悪いが、暫くは八森のことは百々に黙って捜査を進めるつもりだった。
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