第10話 友達

 竹筒が岩を打つ、涼やかな音が響いている。

 開け放たれた障子戸の向こうには小さな庭園があって、よく手入れされた花木が池を囲んでそよそよと揺れていた。

 手前の濡れ縁には、黒の竹籠を使った和モダンなアレンジメントが彩りを添えている。屋号である青ばらをあしらった、鮮やかだが主張しすぎない一作だ。

 都会の喧騒と隔絶されたその八畳間は、まるで異界めいていた。


「ええ、その写真は僕が撮ったもので間違いありません」


 今を時めく若手俳優、西東は臆することなく、累の目に視線を合わせてそう答えた。

 トピックは勿論、件の西東と宮野が映ったいわくつきのツーショット写真についてだ。


「報道では、あなたはその写真を所持していなかったということでしたが?」

「事実です。僕が撮影はしましたが、スマホは僕のものではありません」

「宮野さんのスマホで撮った、ということですか?」

「いいえ。涼音ちゃんのものでもありません」


 ここに来て、西東は目線を逸らして応える。


「つまり、誰のスマホで撮ったんですか?」

「……覚えてません。たぶん、誰か別の友達です」


 おそらく覚えていないというのは、嘘だ。

 こうなると、あの写真は元々高瀬のスマホで撮られたのではないかという疑いが浮上してくる。

 しかし累はまだ、高瀬の名は切り札として隠し持っておくつもりらしい。


「失礼ですが、あなたと宮野さんは特別親しい間柄だったと聞いています。部屋にも招く仲だったとか。関係者から裏も取れている」


 累が言っているのはなにも、週刊誌やSNSの匿名の書き込みを基にした疑わしい情報ではない。先日、西東の住むマンションに鑑取かんどりに行った際、西東の部屋から明け方近くに宮野が出てくるのを見たことがあるという隣人の証言を得たのだ。


「僕と涼音ちゃんが性的関係にあったとかいうでっちあげストーリーを、ここでも聞かせてくれるおつもりですか?」


 西東の声に、静かな怒気がこもる。


「涼音ちゃんの名誉のために言っておきますが、僕と彼女はただの友逹です。涼音ちゃんは、マスゴミが騒ぎ立てていたような、男漁りに狂った淫乱女なんかじゃないですよ」

「マスコミの話はどうでもいい。あなたと宮野さんの話を聞いています」

「だから、友達です。それ以上に答えようがありません」


 苛立った様子で西東は湯呑みをテーブルに置いた。緑茶がこぼれて水たまりをつくる。

 高瀬という謎の要素が入り込んでいるのでややこしいことになっているが、この一件は事実だけ見れば、累の疑っているとおり西東が男女関係のもつれから写真や動画を流出させたと見るのが一番シンプルだ。

 ありがちだが、別れ話を切り出されて、リベンジポルノ動画をばら撒くに至った。自分とのツーショット写真まで流出させているのは少々妙だが、世間に宮野との関係性を喧伝したかったと見ることもできなくはない。

 とはいえ、それを肯定する証拠も否定する証拠もなかった。


「たしかに何度か涼音ちゃんを泊めたことはあります。ですが、体の関係はありません。僕には別に、恋人がいる」

「では、浮気の線が浮上しましたね」

「ああ刑事さんは、男女の友情は信じないタイプ?」


 西東の乾いた笑いに少し気圧されたように、累が「そういうわけじゃありませんが」と口ごもる。


「まあでも、あなた方の立場にしてみれば、僕を疑いたくなるのはよく分かる」


 西東は訳知り顔で言ったが、小さな声で「だから、あなた方になにを言えば信じてもらえるかも分かります」と付け加えた。

 怪訝に思って累と顔を見合わせれば、西東は静かに息を吐きだす。なにか覚悟を決めたように、眼差しがきりきりと引き絞られた。ほんの少し、吐息が震える。


「……僕はゲイです。涼音ちゃんとは、そうなりえない」


 西東は瞬きもせずに累と百々を見つめる。固く握りしめられた拳からは、血管が浮き出ていた。

 嘘を言っているようには見えない。


「僕は彼氏がいるし、涼音ちゃんも僕のことを友達として大事にしてくれました。まあ、お二人は友達ともするのかもしれませんが」


 その揶揄に、百々は返す言葉を持たなかった。

 何度も友達だと繰り返す西東の言葉を容れず、不躾な問いを繰り返したのは百々たちだ。しかも、勝手に西東の性的指向を決めつけて。

 これが警察の仕事とは分かっているが、他人の心を土足で踏み荒らすようで胸が塞ぐ。

 一方の累は内心どう思っているのかは分からなかったが、ポーカーフェイスを保っていた。


「それに相手が男であれ女であれ、恋人以外を二人きりのときに泊めたことは一度もありません。ご近所がなにを言ったかは知りませんが」

「……話してくださってありがとうございます。あの、私たちは捜査上知りえた情報に守秘義務を負っています。決して口外はしないとお約束します」


 百々の言葉に西東は皮肉げに笑った。

 百々も、同性愛を隠すべきものとは思っていない。しかし今の日本社会でそれを公にすることは、リスクを伴う。今の百々には、それ以外の言葉が見つからなかった。


 累はまだ疑念を表情に貼りつけた様子で、追及の手を緩める気配はない。


「ならスマホの持ち主とやらの名前を教えていただけますか?」

「……言えません」

「……高瀬ノエさん?」


 ついに累が核心に切り込めば、西東は顔を強張らせた。

 どうやら、これは当たりだ。

 西東も言い逃れはできないと踏んだのか、観念した様子で累に向きなおった。


「ご存知だったんですね」

「確信はなかったですがね。それであなたは何故高瀬さんを庇っているんですか? 宮野さんと親しい間柄だったなら、自分が泥を被ってまで高瀬さんを庇う必要はないのでは?」

「……ノエちゃんが写真をばら撒いたと疑っているんですか?」

「あなたでないなら、高瀬さんを疑うのが道理でしょう」


 累はそうは言っているものの、あくまでも西東から話を引き出すための方便のようだ。

 高瀬はわざわざ自分から警察に出向いている。彼女がもし意図的に件の写真を流出させたなら、そんな行動に出るとは考えにくい。


「ノエちゃんは涼音ちゃんの一番の友達でした。そんなことはしません。でも彼女の名前を出せば、世間は今度はノエちゃんをでっちあげストーリーの主役に仕立てるでしょう。だから黙っていたんです」


 なるほど、西東の話をすべて信じるのならば、高瀬と宮野と彼の三人は、仲のよい友人関係を築いていたらしい。


「では、生前の宮野さんからなにか聞いていませんか。疑わしい人物の名前とか」


 百々の問いに西東は考え込むように顎を撫でた。


「あの騒ぎが起こってからは、ほとんど話ができていません。ただ一度だけ、ごめんねとメッセージが入っていました」


 西東は自分のスマートフォンの液晶をタップすると、宮野のメッセージを見せてくれる。


「それを最後に電話もメッセージも応えてくれなくなって。あんなことになるなら、無理にでも家に押しかければよかった」


 そう言って、西東は掴んだ自分の手首に爪を立てる。まるで自分を罰するような仕草は、百々の知らぬものではなかった。

 百々の視線に気づいたのか、西東は小さく笑う。


「僕は泣き言を言わせてくれる人たちがいるので大丈夫ですよ。ただ、僕は涼音ちゃんの死に関与していながら、彼女をみすみす死なせてしまった。そのことは、一生赦せそうにありません」


 たとえ西東に罪悪感を抱く必要はないと説いたところで、彼の気持ちが収まるわけではないだろう。どうしたって、あのときなにか出来ていればという後悔はつきまとう。

 掛けるべき言葉は見つからなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る