第7話 お得意の媚び売り

『一年三組、伊藤拓郎くん。至急、生徒会室に来てください』


 放課後になり帰ろうとしていると、おれを呼ぶ放送が入った。

 花瓶のことだろうか……? だが放送では生徒会室と言っていた。聞き間違いではないはずだ。何か生徒会に怒られるようなことをしただろうか。記憶にはなかった。

 呼ばれているのはおれだけとみるや、学と龍一は眩しい笑顔で手を振り帰っていった。

 はて、あいつらとおれは友達ではなかったっけ? おれの思い過ごしか?


 二人に呪いの言葉を心の中で吐きながら、おれは生徒会室に向かった。

 生徒会室に近づくにつれ、恐怖心が高まっていった。

 佐久間生徒会長は厳しいと有名だ。田島だって、花瓶を割っただけで消されると怯えていた。消されるっておかしな話だ。花瓶は一応、破片として残っているのに消されてしまうのだから。


 凛子とは幼馴染だし、風紀委員の先輩方も基本的にはとても優しい。大目に見ていてくれていた部分もあるだろう。佐久間会長となると、果たしてどうなることやら……。


 精一杯、取り繕おうと思う。靴を舐めろと言われたら舐める覚悟で。


 扉をノックし、返事があると中に入った。


「失礼しまっ――」


 言葉を途中で切ってしまった。


 生徒会室のはずなのに、凛子を含めた風紀委員の三人もいたのだ。確か風紀委員と生徒会は犬猿の仲だったはずだ。どういう状況だろう? 呑み込めないでいた。

「ようこそ、生徒会へ。伊藤くん」

 と佐久間会長は言った。

「どうも……」

「花瓶が割れたことで用があってね、来てもらったの」

「なぜ生徒会が? 風紀委員の仕事じゃ……」

「私たちも今回は参加させてもらうことになったの」

 つまり生徒会と風紀委員の二つの組織を、相手にしなければならないのか? 辛いな……。ストレスにやられ吐いてしまいそうだ。


 割った犯人である田島が何かフォローしてくれたらいいのだが、他のメンバーと同じようにおれを睨んでいた。憎き犯人め! といった目をしている。自分だけ免れようと完璧にあちら側。どいつもこいつも友達を見捨てやがって……。


 椅子に座らせられると、

「美術室の花瓶が割れたことはおれも知ってます。でもなんでおれが呼ばれたんです」

「怪しいと思っているからよ」

 遠慮もなく言われた。

「まどろこしい事が嫌いだから、こうして呼んだ方が早いと思ったの」

「そ、そうですか……」

 ごくりと唾を呑み込んだ。一筋縄ではいかないかもな……。何か弱点のようなものがあればいいのだが。


「私としては、第一発見者である南さんも怪しいと思っているんだけどね」

 佐久間会長に一瞥され、凛子は億劫そうにため息をついた。

 うん、それいいな。凛子が犯人ということでいこう!

「第一発見者が犯人。それ面白い推理ですね!」

「そ、そう?」

 佐久間会長はまんざらでもない様子だった。


 悪くない感触。


 この調子で、少しでも追及の目がましになるように媚びへつらっていこう。太鼓持ちになるのは慣れっこだ。課題のために地山先生に機嫌を取ったし、テストを貸してもらうため沖本先輩にもおべっかを使った。お手の物だ。サラリーマンになっても出世できる自信があった。

 ただ凛子は悪鬼のごとく表情をしておれを見ていたが、何も知らないふりをしておいた。


「佐久間会長、まずお話の前に言っておきたいことがあるんです」

「……なに?」

 佐久間会長は少し警戒していた。

「こうしてお話しできて光栄です!」

「え?」

 会長の頬が少し緩んだ。

「すげー頑張ってますよね。一生徒として会長をめっちゃ尊敬してるんです! まじリスペクトっす!!」


「なれなれしいぞ伊藤拓郎!」

 藤波先輩は猿の威嚇のように歯を向きだした。佐久間会長は藤波先輩は手で制し、

「い、いいのよ、心美……えへへ……」

 ともじもじしと照れながら言った。随分と可愛い反応。あれれ? 思った以上の手応えだ。これは……。

「ほんまですよ! おれほんまにすげーって思ってるんですから!」

「はうっ!」

「田島からも色々聞いてますよ。先輩が会長で良かったってつくづく感じてますもん! よ、歴代ナンバーワン生徒会長!」

「うへへ……」

 口元をだらけさせ、両手で頬に触れ体をくねらせていた。


 やはりなぁ……。

 佐久間会長の弱点を得ることができた。褒めてやればいちころだ。生徒から恐れられているため、本人も内心では気にしていたのだろう。そこへ甘い言葉で自分を肯定してくれて、安堵と幸福感を得た。

 もしやと思ったが、まさかここまで効果てきめんだったとは。


 おれはニヤリと笑った。


 ちょろいぜ、生徒会長……。


「駄目、駄目!」

 佐久間会長はぶんぶんと頭を振ると、にやけ面を止めた。もうすぐだったのだが……。

「伊藤くんを疑っているのは、何も勘だけではないのよ。私も推理して導き出したの」

「どんな推理です、会長の推理楽しみだなぁ」

「はぅ……」

 言い当てられたらとドキリとしたが、おれは平静を装いしかもおべっかも使っておいた。


「私が考えた推理はこうよ。図書室にいたらしいけど、美術室の真上にあるよね。美術室の窓は開いていたし、遠隔で割れることもできるはずよ。例えば錘をつけた紐を窓から垂らし、操作すれば花瓶を割ることができるわ。田島くんが退席した時に行えばいい。どう!」

「おおー」

 藤波先輩と田島は感心し手を叩いた。お前が拍手できる立場じゃないぞ田島。少しは焦れ。


 遠隔という言葉を聞き寿命を縮めたが、まだまだだ。脇が甘い。


「面白い推理ですね、さすが佐久間会長」

「そ、そう? へへ……」

「でも、あの日の放課後の風向きを知らなかったようですね。おれは、窓の近くにいたから知っているんです。そこまで強かったわけじゃありませんけど、校舎から見て横向きの風が吹いていたんですよ。なので錘をつけた紐を垂らし割るとなると、風に煽られ大変危険なんです。下手をすれば、窓ガラスを割ってしまうことになりますからね。あまりに危険。

 ある程度準備が必要ですし、窓を開けておく必要があるため、計画された仕業だと考えることができると思います。計画されているのに、そんな不安定な風向きの日に実行するでしょうかね?」

「そ、それもそうか……」

 佐久間会長は落ち込んでしまった。大丈夫。今、褒めてあげますからね……。


「でもマジで凄いですよね! 短期間でそこまでの推理ができるなんて! 天才中の天才って感じ!」

「そうかなぁ? えへへ」

 いかめしかった佐久間会長は完璧に破顔させていた。

 必死で考えた推理を否定されたが、最後には褒められる。下げて上げる戦法である。これが効くのだ。社会人になっても使えるテクニックだろう。

 褒め褒め作戦は成功だ。おれへの悪感情はないはずだ。会長を懐柔してやった!


 これでは何倍も凛子の方が手強い。


 凛子を窺ってみると、依然として悪鬼のままだった。ライバルである生徒会と仲良くしているから怒っているのか?


「まあ、アリバイがあるってことは、伊藤くんではないのかもね……」

 と佐久間会長は言った。思惑通りだった。見た目の割に扱いやすくて良かった。


 生徒会長が言っているため、藤波先輩に意義はないようだが、雪先輩や郷田先輩は首肯できないようだった。それでも反証することはなかった。


 では、お次は第二段階だ。推理を別の方へ誘導する。


「さっき、窓の近くにいたって言ったじゃないですか」

「ええ」

「おれ、美術室の近くに猫が歩いているを見たんですよね。あいつが落としてしまったんやないかなー。猫って素早し、凛子たちが来る前に逃げ出したんとちゃいます?」

「あり得るかもしれないわねぇ」

 佐久間会長は真面目な顔をして考えていた。あり得ないことはおれが知っているのに。


 その後もおれは色々な可能性を提示していった。佐久間会長はその度に頷き、先刻の表情で「あり得るかもしれないわねぇ」と呟くのだった。それが面白くて仕方がなかった。口で女性を騙すとは、おれも悪い男になったものだ。


 雪先輩も郷田先輩も次第に耳を傾けだした。いい感じだ。このまま上手くいけば、別の方向へ推理を誤導できる。

 凛子だけは変わらず鋭い目つきをしているが、アリバイが崩されない限り安心だ。


「いやあ、こうして尊敬できる佐久間会長のお役に立てて嬉しいですよ!」

「そ、尊敬……うへへ……」

 佐久間会長はデレデレと表情を緩め笑ったが、おれは腹の底で笑っているのだった。

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