第2話 いい名前……・凛子視点

「ノートや課題を提出しない人は、一定数いるの」


 風紀委員長である野々山ののやま雪先輩が、プロジェクターに映し出された画面の横に立ちながら言った。


 ここは峰ヶ先みねがさき中学の風紀委員室。

 電気を消しているため部屋は暗い。プロジェクターが映す光の先には、各教科の課題やノートを提出しない者の名前が書かれていた。雪さんの顔も青白く照らされ体調が悪いように見えた。同じ乙女として、あまり見られたくない姿だと思った。


「毎度のことではあるけど困っていると、先生たちは言っていたわ」

「それで風紀委員で何かできないかと、こうして会議を開いているわけだな?」

 と郷田ごうだ元気げんき先輩が言った。郷田先輩はわたしの真向かいに座り、大きな腕を組んでいた。柔道部に所属しており、体を鍛えることを趣味としている。中二にして、腕だけでなく体全体も大きい。

 まるでゴリラだ。

 いや、これはわたしの言葉ではない。拓郎くんが言っていたのだ。わたしは一言も言っていないし、思ってもいない! 本当に、これっぽっちも――まあ、少しは……。


 その点、雪さんは小さいし小動物のように可愛らしい。郷田先輩と同じ二年生とは思えない。


 雪さんは難しい表情を浮かべると、

「出し物を管理している名簿に、提出したと勝手にチェックを入れる人もいるみたいなの」

「とんでもないですね、雪さん」

「そうだね、駄目だね。そういった不正をさせないためにも、注意が必要だと思ってね。たかが課題の未提出かもしれないけど、それが風紀の乱れに繋がっていくから」

「それもそうだな。それが俺たちの仕事だ」

 と郷田先輩は言った。


 わたしは改めて、プロジェクターに映し出されている映像を見た。

 拓郎くんの名前もちゃんと載っていた。

 拓郎……伊藤いとう拓郎か……。いい名前だなぁ……素敵だなぁ……ああ、運命の人……。課題を出していないのも、予想を裏切らないというか、なんというか……。


「凛子ちゃん、何を見てるの? ああ、伊藤くんの名前か……なるほどね……」

 風紀委員長はにたりと笑った。含みのある口元。まさかわたしの気持ちに気づいてる? わたしが拓郎くんのことを愛してやまないことを――。


「モリアーティか」

 と郷田先輩は呟いた。


 学園のモリアーティ。

 拓郎くんはそう呼ばれている。かっこいいね。とても。

 暴力や窃盗などといった不良的な悪さではなく、イタズラじみた企みを仕掛けてくる。例えば遅刻をトリックで誤魔化そうとしたり、例えば部活に出ずデートに行きたいと言う友達の願いを叶えるため画策したり。その度にわたしたち風紀委員が暴こうと奔走する。

 そうして、拓郎くんはいつしかモリアーティと呼ばれるようになった。

 本来なら教師から目をつけられそうだけど、逆に気に入られていた。悪感情を持っている人物はいないと思う。わたしのみならず、風紀委員の先輩お二人も同じはずだ。愛想がいいしよく笑うし関西弁もキュートだし優しいし裏表もないし面白いし友達想いだしとびっきりかっこいいから、みんなから愛されているのかもしれない。


 まだまだ拓郎くんの好きなところはあるが、キリがないのでこれくらいにしておこう。


 ただ、拓郎くんと一緒にいると、酒井学くんに悪影響を及ぼすのではと先生たちに言われていた。

 わたしはむしろ、拓郎くんが悪い影響を受けているのではと考えていた。酒井くんだけでなく、仲良し三人組のもう一人の沢口龍一くんも例外ではない。特にこの沢口くんの影響が大きいのではないだろうか?

 理由は明確。酒井くんと違い、勉強がまったくできないからだ(拓郎くんもまったくできないけど)。


 拓郎くんのことは幼稚園の頃から知っている。


 その頃から素敵だったし、その頃から確かにやんちゃだったが、きっと二人のせいで輪をかけて悪くなっているに違いない。

 おばさまも心配なさるはずだ。わたしがこの手で正しい道に戻せば、いいアピールになるのでは? 『こんなにしっかりした子がお嫁さんに来てくれたらなぁ』とおばさまが呟いている未来がわたしには見える。そして時が過ぎ、教会で幸せの象徴であるハトが羽ばたいている姿も。


 わたしは思わず頬を緩めた。


「おい南。なんだその呆けた顔は? ちゃんと聞いてるか?」

 郷田先輩は濃い顔を傾けた。

「す、すいません!」

「おいおい頼むぞ……。俺がいかに上腕二頭筋を鍛えればいいかとレクチャーしていたのに!」

 上腕二頭筋? あれ、課題の話はどこに? なら聞かなくても問題なかったな。


「ふふっ、凛子ちゃんは誰かさんのことを考えていたんだよね」

 雪さんは目を細め言った。

 やっぱり気づかれてる……?


「まあ、なにはともあれ頼んだぞ、ホームズ」

 郷田先輩は上腕二頭筋を触りながら言った。

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