4章 誕生②

大声を上げれば誰かが来てくれる、そんな状況下にも関わらず通り魔は落ち着き払って準備に取り掛かっていた。

「この時間だと暫く見回りが来ないから邪魔される心配がないんだけど、こんな物は外しておくに限るわね」

そう言うと通り魔はベッドに据え付けてあるナースコールのコードを引きちぎり、更には奈津子の腕から凶器となり兼ねない点滴を外した。

「これで安心して始められるわ・・・ねぇ、起き上がってくれるかしら」

震えが止まらず、身体に力が入らない奈津子は自力で起き上がることができなかった。もたついている奈津子に痺れを切らせた通り魔は腕を掴み強引に引っ張り起こすとベッドに座らせた。

「もたもたしている時間はないの。この後あなたには一仕事やってもらわなくっちゃならないんだから」

「一仕事???『何かさせられるのだったら嫌だなぁ』」

通り魔は先の尖った刃物,円柱状のスティック,絵を描く時に用いるようなブラシ,液体の入った小瓶,ビニール袋に収納された白い布等の小道具をテーブルに並べた。

「まずは・・・そうねぇ、口元がどうなっているのか見てみたいわ。あなただって未だに見せてもらえず気になってるんでしょう」

「・・・『はい』」

奈津子は無言で頷いた。

「そうでしょう、そうでしょう。互いの思いが一致した所で素敵に仕上がったお顔の披露といきましょうか・・・それと例えどんなことになっていても大声なんかを上げようものならキツイお仕置きが待っていると思いなさい」

「・・・『は、はい』」

奈津子が再び無言で頷くと通り魔は幾重にも巻かれた包帯を巻き取り、続けて傷口に貼られた防水フィルムを剥がした。

「まぁ、隠しているなんてもったいない。あなたも自らの目で確かめてみるといいわ」

そう言うと洗面台の鍵を壊して鏡を開いた。

「!!!」

奈津子は変わり果てた自らの口元に衝撃を受けて言葉を失った。口元は処置によって縫合されているものの口角(上唇と下唇の接合部)から頬にかけて上下に切り裂かれた後が無残な傷跡としてくっきり残っていた。

「違う、こんなの私の口じゃない。特殊メイクが施されているだけで、きっとこれを外せば私の本当の口元が現れるはず」

突きつけられた現実を受け止められない奈津子は気が動転してしまった。

「現実逃避を止めて、直に触ってみなさい」

恐る恐る触れてみると手から伝わってくる感触は本物、また口を動かして伝わる感覚も間違いがなく本物であった。

「分かったみたいね、それがあなたの新しい口よ」

鏡に映るすべてが現実であると理解した奈津子の瞳からは自然と涙が溢れ出した。

「どうかしたの・・・分かったわ、素敵な口元が縫合糸で閉ざされているのが悲しいのね。安心しなさい、あたしが解き放ってあげるから」

通り魔は抜糸用のハサミと手術用のメスを手に取ると奈津子の背後に回り込んだ。

「嫌、止めてください」

奈津子はハサミとメスを握りしめた通り魔の手を払い除けた。

「どうして、私は本来あるべき姿に戻してあげようとしているのよ。あなたは大人しく自らの口が広がっていくさまでも眺めてなさい!」

通り魔の強い命令口調に奈津子はそれ以上何も言い返すことすらできなくなってしまった。

「それじゃー、始めるけど、いいわよねぇ」

「・・・『は・・・はい』」

奈津子が渋々頷くと回復しつつある頬の皮膚,粘膜,筋肉の切り離しが行われていった。

「癒合されたら引っ剥がすのが面倒になるんで良かった」

「プツン・・・プツン・・・・・スーッ・・・・・プツン・・・」

糸が1本ずつ切られるたびに奈津子の心には針が突き刺さるような胸痛を覚え、通り魔は精神的な苦痛を与えるのを楽しんでいるのかうっすら笑みを浮かべた。

「・・・『広がっていく。私の顔が醜い姿へと・・・もう無理』」

頬が再び口の一部として左右に大きく広がり変貌を遂げていく。黙って見続けることしかできない奈津子は変わり果てていく自らの口元を見ていられなくなって鏡から目を逸らせた。

「危ないじゃない!勝手に動いたら要らんとこまで切れちゃうでしょうが」

「許してください、もうこんな顔を見ていられません」

奈津子は大粒の涙を流しながら許しを請いた。

「何言ってるの、これから一生付き合ってかない顔でしょう。きちんと完了するまで見届けてあげなさい」

通り魔の手が奈津子の顎を掴み、顔を鏡の方へと向けさせた。

「プツン・・・・・スーッ・・・・・プツン・・・プツン・・・・スーッ」

「さぁて、これでおしまいかしら。あなたはこの口元の素晴らしさが分かっていないようだけど、どれだけ素晴らしい代物かを教えてあげるわ」

ハサミとナイフを戻した通り魔はマスクを外すと自らの顔を奈津子の顔の横に並べた。

「比べてみましょうか・・・あたしの口は形が歪,左右差もあって,見窄らしいでしょう。それに引き換えあなたのはほぼ真っすぐな直線,左右差もなく,とても美しいわ」

確かに両者を比べるなら奈津子の口は均整が取れていて魅力的とも言えなくもない。だからと言って奈津子にはなんの慰めにもならず、こんな口元では鏡を見る楽しみや素顔で出かけることも叶わないであろう。

「だけどね、あたしには鮮血のように真っ赤なルージュがあるんで輝きに満ち溢れているでしょう。羨ましい・・・安心なさい、あなたにも同じのを付けてあげるわ」

奈津子の心に少しだが、自分にも付けて欲しいと言う願望が芽生え出してきた。

「ルージュを付けるのは初めてかしら」

「は、はい」

「そう、ドキドキしているんだ。元から美しい口唇に真っ赤なルージュを塗布させたらさぞ映えるでしょうね」

奈津子は自然と口唇を突き出し、口を少し開けてルージュを付けやすくした。

通り魔は1本のスティックを手に取ると奈津子の口唇に塗り始めた。それはリップコンシーラーで口唇の色を消し去ってルージュを塗った後により発色を良くさせるためのものであった。続けて別のスティックとブラシを手に取り、スティックを回すと真っ赤なルージュが姿を表した。ブラシにルージュをたっぷり含ませて口唇に膨らみを持たせるようにして輪郭を描き、新たに口唇へと姿を変えた頬にも釣り合いの取れるようにして輪郭を描いていった。輪郭を描き終えると今度はルージュのスティックを直接口唇に当てて、輪郭の内側を塗りムラが出ないようにしてたっぷり厚めに塗っていく。傷口に配慮した優しい手つきで上唇から山に向かって滑らし口角まで描き、下唇も同様に口角から中央に向かって滑らし口角まで塗り進められた。通り魔は発色具合を確認するとまた新たなスティックとブラシを手に取り重ね塗りを始めた。それはラメ入りのリップグロスで上唇全体に均一に塗り、下唇の中央部分に少し多めに塗ることで奈津子の口唇に光沢のある輝きを浮かび上がらせた。

「より美しい口唇に仕上がったじゃない。さぁ、もう一度比べてみましょうか」

鏡には真っ赤なルージュを塗布させた2つの顔が並んだ。形こそ多少違えども2つの顔は瓜二つ、佐伯奈津子の口元は通り魔と同じモノに変えられてしまった。

「これはあなたの本来あるべき口元、心の中を映し出した口とも言えるかしら。ねぇ、あなたもそう思うでしょう」

通り魔は作品の完成度に満足した様で奈津子に意地の悪い質問を投げかけた。

「え・・・ええ、とても気に入りました」

奈津子はか細く、涙混じりの声で感謝の言葉を伝えた。

「あなただったら分かってもらえると思っていたわ・・・そう言えば今度の文化祭であなた、お化け屋敷の脅かし役をするらしいじゃない。そこであたしも協力してあげるわ」

「協力って、何を」

「特殊メイクなんて一切使わない、生身の身体を本物の化け物へと変貌させてあげちゃう」

通り魔の手が再び奈津子の顎を掴み不敵な笑い声を上げた。表情からはこれから素材をどのように料理していくか思案しているように感じられた。

「これからあなたはあたしになっていくのよ、ウッフッフッフッフッフー」

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