07 日魚子、デートする。
「キャラメル!」
と大地が呼ぶと、ボールをくわえたコーギーが勢いよく草原を飛び出した。
短い脚で跳ねるように草地を蹴り、大地の腕のなかに飛び込む。ぶんぶんとちぎれんばかりに振られる尻尾がかわいい。キャラメルはまだ一歳のやんちゃ盛りらしく、大地にボールを渡したあとも興奮気味にあたりを走り回っている。
長雨のあいまに青空が見えた六月の休日、日魚子は大地とドッグランに来ていた。
きっかけは二週間前。おごってもらったランチのお礼のやりとりをしている最中、急に大地から謎の記号が連続で送信された。これはいったいどういう意味だろうと首を傾げていると、すこしして「ごめん」「うちの犬が」とあわてたようすのメッセージ。大地が席を外した隙に、キャラメルが勝手にボタンを押してしまったらしい。
そこからキャラメルの話題で盛り上がり、休日に大地がときどきキャラメルを連れていっているドッグランに日魚子も一緒に行くことになった。これはもしやデートだろうか? このあいだのランチは、休日出勤したお礼も兼ねていたけれど、今日は正真正銘、ふつうに約束した「おでかけ」だ。日魚子は頬がゆるむのを止められない。きのうも、夕食後の食器を洗いながら鼻歌をうたっていると、「浮かれすぎ」と爽に顔をしかめられた。
郊外にあるドッグランは、大型犬用と中型・小型犬用に分かれていて、キャラメルのほかにもたくさんの犬種が遊んでいる。爽が飼っているのはマンチカンで、しかも歳をとっているから、外で遊ばせることはない。なんだか新鮮だ。
「わんちゃん、昔から飼っていたんですか?」
自販機で買ったスポーツ飲料をあけつつ、日魚子は尋ねる。
ドッグランにひらひらワンピースで行くことははばかられたので、今日の日魚子はジーパンにシャツブラウスを重ねている。髪は編み込んでハーフアップにしていた。それから、先日買ったばかりのコットンパールのピアス。
「実家でゴールデンレトリバーを飼ってたよ。年寄りで、三年前に死んじゃったけど。そのときにもう犬はいいなあって思ったんだけど、去年、先輩んちのコーギーが子ども生んだっていうから見に行ったら、なんか帰りに一匹引き取ってたんだよな」
「それがキャラメル?」
「毛並みがキャラメル色でしょ?」
「うん、おいしそう!」
不穏なことを言っていると感づいたのか、大地の足にまとわりついていたキャラメルが尻尾で日魚子の足を叩いた。「食べないよーだいじょうぶだよー」と弁明したものの、日魚子には一瞥もくれずにまたグラウンドに駆け戻っていく。昔から日魚子は動物たちにどうにも好かれない。
「芹澤さんは出身こっち?」
「あ、新潟です。下越のほう」
「へえ、俺は長野なんだ。善光寺の近く」
「ちかいですね!」
実際、善光寺と下越は近くなどないが、隣り合っている県というだけで親近感が湧く。それからはご当地トークで盛り上がった。地元は雪が降ったとき用に道路に消雪パイプが通っているとか、都心はすぐに交通網が麻痺するとか、屋根の雪落としがわりと大事業であることとか。
大地は善光寺のそばにある甘味処のかき氷のはなしをしてくれた。ガラス器にざらっとした氷の食感がの残るかき氷。最近人気のインスタ映えするかき氷ではないけれど、昔ながらの氷が無性に恋しくなるときがあるのだと。
大地の言葉の端々からにじむ、ものを大事にするかんじが日魚子はすきだ。
はじめにときめいたのも、丁寧に磨かれた年季ものの革靴だった。まえの彼氏に存在そのものをないがしろにされた反動かもしれないけれど、自分の持ちものだとか故郷だとか家族やキャラメルを大事にしている大地は、ひととして至極まっとうに見える。大地のそばにいたら、日魚子も自分やひとをもっと大事に扱えるのだろうか。そうなりたい、と日魚子は思った。
戻ってきたキャラメルが大地の足にじゃれついた。大地がベンチに置いたリュックから骨のかたちをしたジャーキーを取り出して、キャラメルにくわえさせる。好物らしく、キャラメルは尻尾をはたきのように振りながらジャーキーを噛みはじめた。
「そういえば、わたしサンドイッチ持ってきたんですよ」
今日はキャラメルも一緒なので、お店には入りづらいかな、と用意したのだ。卵と菜の花のからし和えのサンド、鶏の照り焼き、あとはデザートにルバーブジャムサンド。具は十種類くらい作って、爽に味見してもらい、反応がよかったものから三つ選んだ。さりげなさを装っているが、ほんとうはぜんぜんさりげなくない。パンだって失敗したとき用に二斤も買った。
「え、まじで?」
大地は素直に破顔した。
それから「じつは」とリュックの底からアルミホイルに包んだ塊をいくつか取り出す。あとはからあげとたまご焼きが詰められたタッパー。目を丸くした日魚子に、大地はなぜかばつが悪そうに眉尻を下げた。
「ごめん、芹澤さんとちがって、おかあさんの弁当みたいで……」
「ううん! おいしそう、すごく!」
作ってくれた。大地がおにぎりとからあげを作ってくれた! わたしに!
それだけで胸がいっぱいになって、その場をキャラメルと一緒に跳ねまわりたくなってしまう。もらったアルミホイルをひらく。つやつやしたおにぎりがごろっと出てきた。別のアルミホイルに包んだ海苔を大地が差し出す。海苔がしなびてしまわないように分けているのか。塩味のごはんにぱりっとした海苔の組み合わせは黄金だ。具はシンプルに鮭だった。
「とってもおいしい!」
大きく口をあけておにぎりを食べていると、となりに座る大地が瞬きをしたあと、頬をゆるめた。
「あのさ、芹澤さん」
「うん?」
「俺とつきあってください」
ごはん粒を口につけたまま、日魚子はぽかんとした。
いま、つきあって、と大地は言ったのか? 幻聴?
「えーと……」
反応を鈍らせた日魚子に、「ちょっと待った」と大地が手を挙げる。
「今、この子とつきあいたいなーって思ったら、先に口に出してた。……えーっと、もっかいやり直していい?」
「……嘘」
「嘘は言わない」
「嘘じゃないの!?」
「びっくりさせたと思うけど、嘘じゃないです」
欲しい欲しいと思っていたものが突然転がり込んだせいで、どうしたらよいかわからなくなってしまう。食べかけのおにぎりをアルミホイルに戻して、ええと、と日魚子は考え込む。好きになったひとにはいつも自分のほうからアタックして告白してきた。相手からつきあってほしいと言われたことはない。こういうとき、どんな風に答えるのが正解なんだろう。返事は決まっているはずなのに、いざとなると混乱して、口をひらいたり閉じたりを繰り返す。
「あの、わたし……。大地さんが想像している女子とはちがうかもしれない」
「そうなの?」
「わりと、引くほど、重いです」
「重い?」
「愛が、重いの」
結構まじめに打ち明けたはずなのに、なぜか大地は噴き出した。
あっここで笑ってくれるひとなんだ、と思ったら、こめかみがうずくように痛んだ。安堵なのか、涙がぽろりとあふれて、頬を伝う。
「俺は芹澤さんが自分のことを自分の言葉でちゃんと言えるとこ、好きです。かっこいいなって思う」
そんなことを言われたのははじめてだった。
ものは言いようだなと思う。日魚子は頭がポンコツなので、なんでも信じた方向に突っ走る。だけど、大地にはそう見えていたのか。大地の目に映っている日魚子は確かになんだかすごくすてきそうなひとだった。大地と一緒にいたら、日魚子は自分のことをもっと好きになれるのだろうか? ふんわり芽吹いた期待に泣きたくなる。
涙とおにぎりの塩味で口内がおかしなことになったので、日魚子は一度手で涙を拭ってすんと鼻を鳴らした。キャラメルが日魚子の足首を尻尾ではたく。なんとなく背を押された気持ちになって大地に向き直った。
「でも、大地さん、知らないでしょう」
「え?」
「わたしは一目ぼれだったから、好きになったのはわたしのほうが早い」
すこし遅れて言葉の意味が伝わったらしい。大地はきょとんとしたあと、「えー!?」と叫んで笑いだした。日魚子もうれしくなって声を上げて笑う。足元ではつられて興奮したのか、キャラメルが尻尾をぶんぶん振っている。
あしたも天気になりそうな、晴れ渡った空がふたりと一匹のまえにひろがっている。
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