第23話 韋駄天

 ぼうぜんとしている二人はひとまず置いておいて、胸のブローチを取り外した。これまで一度も使ったことはない。だが手に取って魔力を流してみると、水を得た魚のように共振し始めた。これはいけるぞ。


「方角だけ教えてくれ。お前は馬を休ませてから来るんだ」

「り、了解しました! 方角は向こうです。あの丘の上まで登ればすぐに見えるはずです」


 指し示された方角は小高い丘になっており、その先は見えなかった。なるほど、あの向こうか。ちょっと距離があるけど、何とかなるだろう。俺は一つうなずいた。


「韋駄天!」


 魔法を唱えた瞬間、熱い血潮が全身を流れたように感じた。だがこれは血ではなく、魔力である。前に使ったときよりも力強く感じるのは、気分が高揚しているからだろうか。

 この魔法は魔力で体中をコーティングして、普段の数倍の力を発揮することができるのだ。俗に言う身体強化の魔法である。


 俺は地面を蹴った。まるで地面すれすれを飛ぶツバメような感覚。あっという間に先ほどの丘が目の前に迫った。あれ? こんなに速かったっけ? 何か数倍どころか、数十倍になっているような気がするのだが、まあ良いだろう。これならすぐに現場に駆けつけることができそうだ。


 どうする? 何かかっこいいセリフでも言って駆けつけるか? そんなくだらないことを考えるくらいの心の余裕ができた。

 だがしかし、そこにピンク色が見えた時点でやる気スイッチがオフになった。二度とオンにならないように、ブレイカーもしっかりと落としておく。


 先生たちが戦っているのは……何だろう。見た感じ、八岐大蛇みたいな魔物なんだけど、図鑑で見たことがないタイプの魔物だな。よその大陸から持ってきたのかな?

 よくよく見てみると、先生方はすでにダウンしており、先生方の杖を借りたであろうヒロインと、取り巻き一号のギルバートが必死に戦っていた。


 二人の動きが鈍い。どうやらかなり消耗しているようである。その場にたどり着くと、すぐに指示を飛ばした。


「お前たち、先生を連れて下がれ。援護はいらん。防御に徹しろ。巻き込まれても知らんぞ!」


 振り向かずにそう言った。気配で彼らが動き出したのが分かった。ヒロインも大人しく従っているようである。


 うーん、これは思ったよりも相手は強敵かも知れないな。強力な魔法が使えるヒロインが手も足も出ないとは。

 ここは全力で当たるしかないな。俺の帰りを待っているリアのためにも、ここで死ぬわけにはいかんのだ!


 大蛇の首は全部で六つ。胴体部分に足はなく、まるで蛇のような体をしている。おそらくはこの体を蛇のようにくねらせて前進するのだろう。逃げ出す暇がなかったということは、かなりのスピードが出ると思われる。


 チロチロと赤く細い舌を出し入れする大蛇。どうやらかみつき攻撃がメインのようで、ブレスを吐く様子は見られない。それだけはラッキーだな。

 この世界のどこかにいると言われているドラゴンは強力なブレスを吐くらしい。ということは、コイツはドラゴンじゃなさそうである。


 様子をうかがうように首を上げ下げしてこちらを見ている大蛇。俺が攻撃するのを待っているのだろうか? それとももしや、ターン制!? いや、そんなはずがあるわけないか。

 この世界はゲームじゃないんだ。そんな紳士協定が結ばれているはずはない。


 後方から聞こえていた草が擦れる音が小さくなっている。この距離なら大丈夫かな? 大蛇がまごついているすきに先制攻撃だ。

 出し惜しみはなしだ。俺が甘味を食べるために開発した魔法を食らうがいい!


「シャーベット!」


 杖を大蛇に向けて、果物を瞬間凍結させ、シャリシャリのかき氷状にする魔法を唱えた。

 その瞬間、冬将軍も裸足で逃げ出しそうなほどのブリザードが前方に吹き荒れた。轟音と共に大蛇に襲いかかると、周囲の光は遮られ真っ暗になった。中から雷が鳴るようなバリバリという音が聞こえる。


 これはヤバイ。どうしてこうなった。平和的に有効利用するはずの魔法がこんな牙をむくだなんて……どうしてこうなった。


 徐々に前方が明るくなってきた。どうやら魔法の効果が切れたようである。黒い大地に筋状の日の光が差し込んだ。その光景はまさに神話の夜明け。そう思いたいほどの悲惨な光景が目の前に広がっていた。


 青々とした緑があったはずの大地には、真っ赤に染まった、小さな氷の粒が散乱している。そこに大蛇の姿はなかった。頭髪が抜けたかのように不毛になった大地には、所々に焼け焦げた跡が残っている。……これは雷が落ちた跡かな? 全力で見なかったことにしたい。


「漆黒の霹靂……」

「え?」


 振り返った先のビラリーニョ嬢と目があった。その目には奇妙な光が宿っていた。



 ようやく本部のテントが見えて来た。俺たちはお互いに手を貸しながらここまで戻ってきたのだった。

 先生方の消耗が思ったよりもひどかった。そして俺も、初めて経験する魔力を大量に消費したことによる疲労感で、満足に動けない状態だった。


 すぐに救援が来るだろうと思っていたのだが、今は緊急事態だ。先ほどの大蛇が一匹だけだという保証はどこにもない。それに、先生や兵士たちが、他の場所の救援で手一杯である可能性は十分にある。そのため、少しでも前に進む必要があったのだ。


 本部から俺たちの姿が見えたのだろう。ワラワラと何人もの人たちがこちらへと向かってきた。先頭はリアを馬に乗せて運んでくるシュワルツだ。あいつ、殿下の護衛任務はどうしたんだ。あとから文句を言われても俺は知らんぞ。


「フェルー!」


 リアが馬上から叫んだ。かなりの大声である。この場にいた全員にその声が届いていたはずである。

 俺たち二人の取り決めとして、だれかが近くにいるときは「呼び捨て」はしないと決めていた。これは公私を混同しないためである。俺たちは庶民の上に立つ立場である。どんな場所でも貴族としての立場を守らなくてはならないのだ。


 そんなことはリアも分かっていることだろう。それをわざわざ破ったのは、俺を心配してのことなのか、それとも、騎士団長の息子、アレクと魔法ギルド長の息子、ギルバートに両方から支えられたゲームのヒロイン、ビラリーニョ嬢の姿があったためか。

 多分両方だろうなぁ。


「リア! どうして本部から出てきたんだ。まだ安全が確保されたわけではないぞ」


 先生を支えながら、俺もリアの名前を呼び捨てにした。もちろん、これ以上、変なフラグを立てないためである。

 図らずしもヒロインを助けるということをしてしまった。ゲームで言えば、恋愛フラグが立っていることだろう。だが俺は、そのフラグを今へし折る!


 馬から下りたリアが一目散にこちらに向かって来た。俺は先生をポイと捨ててリアを両手で迎えた。その腕の中にリアが飛び込んでくる。捨てられた先生は眉をハの字に曲げてはいたものの、口角を上げて頭をかいていた。


「フェル、無事だったのね。べ、べつにあなたのことを心配していたわけじゃないんだからね。ただあなたが規格外であることを知っているから、やり過ぎていないか心配だっただけなんだからね!」


 近くに人がいて動揺しているのか、口調がツンデレ風になっている。これはこれでリアらしくていいな。俺は無言でリアを抱きしめた。甘い香りがする。先ほどまで脳裏に焼き付いていた地獄のような光景が浄化されそうだ。


「……フェル?」

「……」


 腕の中からリアが顔を上げる。顔は笑っているが、目は笑っていないという表情を浮かべるリア。ずいぶんと器用な表情をすることができるんだね、リア。


「フェル! あなた、また何か口にできないことをやりましたわね! 白状しなさい」


 俺はサッと顔を背けた。もう終わったことだ。今からその事について議論しても、後の祭りである。それよりも、早く本部に戻ってみんなを休めなければ。


「やっぱり口にできないような魔法を使いましたわね?」

「な、なぜそれを」


 思わぬところを突かれて、思わずリアの方を見た。


「普通の杖を使ってフェルが魔法を使ったらどうなるか。想像するのは難しくありませんわ。……まさか、全力で魔法を使っていないですわよね?」


 俺は再びリアから目をそらした。ダメだ、リアの目を見てはいけない。あの目は魔性の目だ!

 そんな俺の抵抗もむなしく、両手でグイと無理やり顔をリアの方に向けさせられた。そこには光を失った深緑の双眸が、俺の目を静かに見つめていた。

 その目は「オマエ、ヤラカシタダロウ?」と雄弁に語っていた。


「ごめんなさい」

「はい、素直でよろしい」

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