第6話 書庫の中
「ところで、ご飯はどうするの?」
わたしはふと我に返り、マルガリータに問いかける。
竜の心臓とやらを食べたお蔭なのか空腹感は全くないけれど、きっといつかお腹が空く。しかしここは洞窟で、食べられそうなものは他にない。だったら、洞窟の外に出て何か食料を手に入れなければいけないんだろう。
だがしかし。
「シルフィア様もわたしも、人間ではありませんから食事を取る必要は本当はないんですよ」
マルガリータは池のほとりで腕を組んで、うーん、と唸る。
「えっ」
わたしは思わず口を大きく開けて叫んだ。「食事の楽しみがないって、何も楽しいことがないって言ってるものじゃない!?」
「えっ?」
今度はマルガリータが困惑する番だった。わたしのことを驚いたように見たようだが、すぐに何かに納得したように頷く。
「ああ、前世の記憶が強いからそう感じるのかもしれませんね」
「いや、ほとんど思い出せていないけど」
「でも確かに、まだシルフィア様は魔力が欠損している状態ですから、何か食べて、食物から魔力を得た方がいいでしょう。解りました、何とかしましょう! わたし、頑張ります!」
「頑張るってどうやって?」
……狩りにでも行くのだろうか。
わたしが眉を顰めて彼女を見つめていると、動く骨格標本さんは元気よくわたしの腕を引いて、さっきのソファのところに引っ張っていく。
「じゃあ、まずは魔力を育てるために寝ましょう! 寝る子は育つって言うんですよね、知ってます!」
マルガリータはわたしをソファの上に転がすと、ガッツポーズを決める。
それを見て違和感を覚えるわたし。
だって……。
「寝る子は育つって、この世界でもそんな言い回しがあるの?」
わたしが首を傾げていると、彼女は言うのだ。
「ないですよ?」
「は?」
「でも、シルフィア様はこの世界の守護神です。つまり神! そんな神様に付き従うわたしも神! そんな感じです!」
「いや、全く解らないのだけど」
話が全然嚙み合っていない。大丈夫だろうか、この骨。
さらにわたしが胡乱そうな顔をしていたんだろう、少しだけマルガリータの声音が申し訳さも含んで低くなる。
「すみません、ちょっと浮かれてしまって。ええと……何て言うか……」
マルガリータはうろうろとその辺りを歩き回りながら、何かに気づいたように手を叩く。それから、じりじりとわたしの方に歩み寄る。
「え、ちょっと?」
手をわきわきとさせながら、両腕を開いたマルガリータの圧力に負け、わたしはソファに座ったまま後ろに下がろうとした。もちろん、下がれるはずはない。
「シルフィア様、ちょっとだけ魔力を分けてください。そうしたら、面白いものを見せてあげられます」
「魔力を分けるって、まさかわたしを食べたりするの!?」
「しませんよ! ちょっと、抱きしめさせてください! ああ、シルフィア様、シルフィア様!」
――やっぱりこいつ、変態だー!
わたしはそう叫びたくなったものの、人間(いや今は人間じゃないけど)、あまりにもとんでもない状況に追いやられると思考も動きも停止するものだ。
気づいたら、わたしはマルガリータに抱きしめられていた。
骨が当たって痛いです。
ええ、もう、文字通り。
マルガリータは小さな身体のわたしを抱きしめてちょっと怪しい息遣いを聞かせてきたけれど、そんなことより気になったのは。
魔力を分ける。
なるほど、これがそうか。
わたしはマルガリータに抱きしめられている間、身体の中から温かいものが相手に伝わっていくのも感じていた。それは体温とかそんなものじゃなくて、確かに『力』だったのだと思う。
彼女がわたしを解放した時には、わたしは少しだけ疲れを感じていた。身体が重くなった気がしたし、眠気も覚える。
その代わり、マルガリータの存在感が強くなった。
「おお」
彼女は感激したように自分の手を見下ろしてから、少しだけ残念そうに首を横に振った。「魔力がもったいないので、肉体の復活は後回しにします。それよりも、まずはシルフィア様にお見せしますね」
そう言った彼女は、祭壇の近くの岩壁に近づくと、右手を上げて手のひらを広げた。その手から、ぶわりと広がった光と魔力。
そして気づいたら、その岩壁に巨大な扉が出現していた。
「この扉は、白竜神様が使える書庫となっています」
「書庫?」
わたしはソファから「えいやっ」と降りて彼女の近くに歩み寄る。わたしたちの目の前にある扉は巨大で、石造りであるから押しただけでは開くとは思えないくらい重々しい。
しかし、わたしがその扉に手を伸ばして触れた瞬間、何の音もたてずに扉が開いた。
そして目の前に広がった光景は――凄かった。
ええ、一言で言えばそう。
どんな大きな図書館でもありえないだろうというくらいの、膨大な書籍が本棚にずらりと並べられ、車で行かなければ奥まで到達しないだろうと思えるくらいの広さがあったのだ。
「ふわあ」
わたしは情けない声を上げてそれを見上げていた。
どこに明かりがあるのか解らないが、巨大な図書館は隅々まで煌々と照らし出されている。本棚自体もどこまで続いているのかと思えるくらい、上までびっちり、である。梯子がなければ上の棚にある本は取れないだろうけれど、むしろそんな梯子があっても怖くて登れないだろう。
「これ、あらゆる世界の本が揃っているんですよ」
何故か、マルガリータは自慢げに胸を張っている。「わたしたちがいるこの世界の書物だけではなく、異世界のものも全部。これ、神の力なんですよね。神の力は異なる世界の垣根を越えて働くものなんです」
――神の力。
「異世界の本まであるってことは、日本の書籍もあるのかな」
わたしは豆鉄砲を食らわせられた鳩の気分になりつつ、ぽかんと口を開けつつ訊くと、マルガリータは頷いて見せる。
「もちろん、ありますよ! 以前のシルフィア様はずっとこの神殿で暮らしていましたから、退屈な時はここで読書をされていたんです。だから、お好きなだけお読みください!」
「いや、でも……こんなにあるとどうしたらいいのか」
わたしは恐る恐るその図書館に入り、近くの本棚を見上げる。
もちろんのことながら、そこには見たことのない形の文字が背表紙にあって、日本語の他にはせいぜい英語くらいしか理解できないわたしの頭では読めそうにない――と思っていたら。
その見覚えのない文字が、読めてしまうのだ。鳥が空を飛ぶのを生まれた時から知っているみたいに、頭が理解しているというべきか。
「精霊の起源、精霊魔法、空間魔法の術式の展開、禁じられた呪法、降霊術式の構築、うん、面白そうだけど日本人だったわたしには馴染みがないや!」
わたしは半分ヤケになりつつそう笑うと、マルガリータも小さく笑った。
「じゃあ、何が読みたいですか? お好きなものを言ってみてください」
「うーん、やっぱり今のわたしは……唐揚げのレシピが載った本が読みたい」
だって、わたしの前世の思い残しってそれだし。
ああ、唐揚げ。この世界に唐揚げという料理はあるのか。
そうだ、前世でそんな小説が流行っていた気がする。
と、唐突に頭の中に蘇る記憶。異世界転生なんて話は、小説やアニメによくあるもので。日本人だった主人公が、他の世界で生まれ変わって、日本で食べた料理を作って無双する、みたいなやつもあったはずだ。
だったら、わたしだってこの世界で唐揚げを作って流行らせる、なんてことができるのではないだろうか。
いや、無理か。どんな世界にだって、鳥を揚げた料理くらいあるだろうし。
「唐揚げですかー」
妙に間延びしたマルガリータの声が隣で響いた瞬間、目の前の図書館の光景が唐突に変化した。
がたがたがた、ばらばらばら、という音と共に本棚が動く。それはまるで機械仕掛けのように美しい動きで、どういう仕組みなのか解らないけれど、無数にあった本が並べ替えられていくのだ。
わたしの一番近くの本棚には、明らかに料理書と思われる本が勢揃いしていて。
「これ全部、唐揚げの作り方が載った本ですよ」
マルガリータがまた胸を張りながら、近くの本棚に並んだ背表紙を撫でていく。サイズは様々であったけれど、見覚えのある日本語のタイトルのものも多数、他の言語の本も多数。それこそ、大量に並べられていた。
「……便利ー」
わたしは日本語の背表紙の本を一冊抜き取ると、そのページをめくって感嘆の声を上げていた。
「便利でしょう? ここには、あらゆる世界の知識が詰め込まれていると言っても過言ではないんです。シルフィア様がここに生まれ変わる直前の世界の本も知識も、そしてそれに伴う言い回しだって、ここで学習できることなんですよ」
「はー、なるほど」
それをマルガリータは勉強したのか、とちょっと驚いて彼女を見上げると、わたしの瞳の輝きに気づいて照れたように頭を掻く彼女の姿があった。
「シルフィア様だって、ここで本を読めばすぐに習得できますからね? 例えば、さっきの精霊魔法だったり呪法だったり、一度読めば充分です」
「そうなの?」
そう応えながら、確かに魔法とか使えたら便利だよな、と気合が入った。
むしろ、美味しい唐揚げの作り方なんか調べている場合じゃない。魔法だか魔術だか呪法だか知らないけれど、本を読んだだけで覚えられるなら凄いことだ。
「やってみる」
わたしが料理本をぱたんと閉じてそう言うと、マルガリータは嬉しそうに笑った。
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