茜色の再会
瑞樹(小原瑞樹)
失われた微笑み
子どもの頃、《夕焼けのような笑顔》、と友人から言われたことがある。
最初にそれを言われた時、
そのたびに朱里が思ったのは、夕焼けの姿はいつ見ても違うということだ。空一面が揺らめく炎のように真っ赤に燃える時もあれば、花弁が水に溶けゆくように桃色に染まる時もあり、黄色の鱗を持った魚が緋色の海を泳いでいるように見えることもあった。それはさながら空をキャンバスとして、芸術家が色の持つ可能性を追求した試みのように思えた。
だがどの空にも共通していたのは、その光と色が織り成す光景がとても優しく、心を落ち着かせるものだったことだ。1日の終わり、疲れた足を引き摺って帰路につく人々の前に束の間現れ、思わず足を止めてその光景に見惚れているうちに、
朱里は昔から、「話をしていると落ち着く」と言われることがよくあった。部活の先輩に怒られたり、失恋をして消沈したり、大小様々な傷を抱えた友人達が朱里の元へやってきては、心の淀みとなる感情を吐き出していった。
朱里は彼らの話を親身になって聞き、口を挟むことはほとんどなかった。どんな助言も励ましも、苦汁の最中にいる彼らには何の意味もないと思っていたからだ。だが、その姿勢がかえって心地よかったのか、友人達は朱里にひとしきり悩みを打ち明けると、すっきりとした気持ちで帰って行った。
そんな記憶を思い出しているうちに、朱里は《夕焼けのような笑顔》の意味が少しだけわかった気がした。日溜まりのような暖かさに加えて、心を慰めるような控え目な優しさがある。太陽のような強い輝きはなくとも、見るものの心に忘れがたい印象を残す。名付け親となった友人は、そんな朱里の心根を彼女の笑顔に見出していたのだろう。
27歳になった
夕焼けを観察しているうちに、朱里はいつしか自分自身も夕焼けに心を慰められるようになっていた。1日のうちであらゆる予測不能な事態を経験し、感情の暴風雨に晒され、身も心も疲れ果てた時、夕焼けは朱里の心にそっと入り込み、よく頑張ったね、お疲れ様、と声をかけてくれた。暮れなずむ空を見上げながらその日あった出来事を思い返し、あぁ、自分は今日も1日を終えられたのだと安堵した気持ちになりながら帰路につく。それが朱里の日常だった。
だが、かつて朱里の心を癒やし、帰路に着くまでの道を優しく照らしていたはずのその光は、昔ほど朱里の心を焦がすことはなかった。夕空に心を焦がしたのは人生のほんの一時。砂漠のような心の渇きを知らず、空の向こうにある明日に希望を見出し、再び太陽が昇る未来があると信じていた時代だからこそできたことだろう。
法人向けの保険会社に就職した朱里は、入社以来営業職としてキャリアを積んできた。先輩からの助言を忠実に実行し、ビジネスパーソンとして求められる姿に自分を合わせてきた。上司からの期待に応えようとして、社会人としての存在意義を見出そうとして。
努力が功を奏し、朱里は課内でもトップの成績を納めるようになった。会社から認められたことで、朱里は自分が一人前の社会人になれたと喜びを感じていたはずだった。それなのに、そんな自分が急にひどく空疎なものに思えてくる。
窓硝子に映る自分の顔が目に入る。隙のない、それでいて好感を与える微笑み。営業用に訓練したこの表情は、意識しなくても独りでに浮かんでくる。入社当時はぎこちない笑顔を浮かべるのが精一杯だったが、今なら1秒でこの顔を作ることができる。
見栄えのいい自分の顔を見つめているうちに、朱里はふと、かつて自分を《夕焼けのような笑顔》と評してくれた友人のことを思い出した。彼女とは高校を卒業してから疎遠になってしまって、今はもう連絡を取っていない。どこで何をしているかもわからない。
でも、1つだけはっきりしていることがある。もし、彼女が朱里と再会し、自分の顔に浮かぶ人工的な笑みを見たとしても、決してその中に癒しや温和を見出してはくれないだろうということだ。
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