銀鶏とアイカ
「もう、いつまで電話切っておく気? 永久にあたしからの電話には出ない気でいたわけ?」
大学時代から暮らす下宿に押しかけてきたアイカに、紅茶を淹れる間にも彼女は不満たらたらずっと愚痴をぶつけていた。
「あたしのことが嫌いになりましたか?
「別に……そんなんじゃない」
「じゃあ、仕事が上手くいっていない口実ですか?」
炬燵机の上に紅茶のマグカップを二つ置くと、銀鶏はアイカの隣の席に座った。
「それも違う」
「じゃあ別に女が出来た? 携番変えた?」
「携番変えてないし他に出会いなんてないよ、どこをどうやったら……」
二人は無言で紅茶を飲み始めた。
やがて琥珀色の液体は徐々に減って行き、底に描かれた皮肉めいた熊の図柄が目に入った。
アイカはボブカットの似合う小柄な女性だった。
真っ赤な口紅に濃いマスカラ。
何故女性は流行となれば似合わない化粧に手を出すのか?
「もうすぐクリスマスだけど銀鶏なにかくれるの?」
「アイカは何が欲しいんだ? 予算にもよるけど」
教訓。
女なんて簡単。
クリスマス他記念日に金品をちらつかせれば、何やかんや言うことは聞いてくれるのだ。
逆、男なんて単純。
言うこと聞いていれば、記念日に莫大な出費を強いられることになる。
こうして私はまんまと(望んで)アイカの手の
毎年のようにクリスマス、女に莫大なカネをかけている男たちは、殆ど望んでこの愛(だと信じている)罠に絡め獲られていく。
さても麗しのロクサネ、アイカも女の端くれ、狩りの手腕には本領を発揮する。
「そうね……あたしたち付き合ってだいたい半年じゃない? 予算いくら位みてくれるの」
予算を訊いてきた、ということはアイカには具体的に欲しいものが存在しているのだろう。
それは何か、この場で言ってくれると助かるのだが。
「何をご所望で? アイカ様」
定番の品ならブランド品の香水や、アクセサリー、バッグ或いは食事つきのクルーズだ。
「予算は四万五千円で、内容は銀鶏に任せるわ。センスのいいプレゼントをお願い」
「………………」
――困ったぞ。
銀鶏は背中に汗が流れるのが判った。
こういう質問の返し方をするとき、女の中では『答えは決まっている』のだ。
任せるわ、と口先で言ったとてアイカの欲する物は決まっているのだから、正解のプレゼントを、それも四万五千円もするものを購入するとはかなりの冒険だ。
これはどうあっても今のうちに正解を訊き出さねばなるまい。
「任せるっていっても私が何を選ぶかはわからないよ? ちゃんとアイカの口から言ってくれないと、とんでもないものを買ってきたりしてがっかりさせてしまう」
「だって銀鶏は画家でしょ? センスは抜群だからあたしが選ぶよりいいと思って」
画家だろうがなんだろうが、男の選ぶものは大抵の女は気に入らないのだ。
例えばわたしがアイカに扇情的な下着でも買ってきたらどうなる? 翌日には確実に下着屋の返品カウンターに並ぶだろう、「こんな夜の女みたいのはあたしの趣味じゃありません」と、言って。
さきほど私が無難な贈り物として列挙したものだってそうだ。
香水、アクセサリー、バッグ。
全て好みが出る、万人受けする物なんて存在しない。
「センスはご婦人方に負けるよ、男の選ぶものなんてお眼鏡には適わないのを私は知っているのだから」
「そこは銀鶏が察して」
察して! 察してか。
私は女性のその言葉が一番苦手だった。
では何を察すればいいのか、全文はこうだろう。
あたしの好みを全て考慮した上で予算とすり合わせて、あたしの欲しいものを的確に適切なタイミングで渡せるように、察して。
冗談じゃない、これがアイカでなかったら今すぐこの場からお帰り願いたいところだった。
「で、クリスマスのディナーはイタリアンがいいの」
何がイタリアンだ。
あの少しづつしか出てこない癖に、高額なイタリア料理店の予約を取れと、アイカはそう言っているのだ。
「善処はしてみるけどね、もうクリスマス間近だから間に合わないかもしれないよ?」
「でも焼肉とかラーメンは厭だから頑張ってね」
ここまで来ると、否、解りきっていたことだが女はとても金のかかるアクセサリーに過ぎない。
おまけに、愚痴と我儘と噂話が大好きときている。
アイカは多少ましな部類だったが、そこはどの女も共通していた。
先日、Kの死を告げてきた母も同様だった。
Kの死……別段アイカに話すこともないだろう、Kとアイカは無関係だし生涯関わらない点と線のようなものだ。
「で、本当に欲しいクリスマスプレゼントは何かな?」
これで三度目の質問だ。
アイカがはっきりと答えなければ私は現金を渡す心づもりでいた。
「どうしても銀鶏じゃ選べない?」
「無理だはっきり言わないと現金を渡す」
「もう、夢がないわね! わかった降参よ、バッグが欲しいから買いに行きましょう」
「最初からそう言ってくれさえすれば話が早かったのに、で、いつ買いに行く?」
「銀鶏はいつ空いてるの?」
「自由業だしいつでも、アイカに合わせるよ」
そう言うとアイカは笑窪のある顔でにっこりと笑った。
「じゃ、あたしのバイトが休みの日に行きましょ。早くいかないと商品がなくなっちゃう」
この冬は終わらない。
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