J-FRIENDS
1995年1月17日5時45分
その日は阪神淡路で大地震が起こった日だ。
中学生だった私が目を覚まして自分の部屋をでて、いつものように一階へいく。ブラウン管テレビの画面では当時始まってまもなかった「めざましテレビ」がいつものように放送されていた。
けれど、いつもの「めざましテレビ」ではなく、どこか切羽詰まったようにアナウンサーさんが阪神淡島で大震災が起こったことを伝えていた記憶がある。
やがて画面には神戸の状況が写し出されていく。高速道路が途中でおれて、宙ぶらりんになったバスの映像やあらゆる場所で火事が発生したというニュース。生まれてはじめてみる地震の被害の光景に思わず食いつく。それからどうしたのかな?
普通に学校へ行ったのだろう。
なにせ九州ではまったく被害がなかったのだから、いつものように学校へ行ったのだろう。ただ親戚が関西地方にいたので母が無事を確かめるために電話をしていた。もちろん、親戚は兵庫県にすんでいたわけではないので、激しい揺れはあったものの全員無事だという知らせが届いてはいた。
そういうわけで私にとってはどこかの他人ごとでありフィクションのようにさえ思えていた。
それから十数年後復興した神戸にいったことがあったのだが、震災が起こった面影はすでに残っていなかった。
それから三年後ぐらいかなあ。
KinKi Kids、V6、TOKIOの三つのグループが阪神淡路大震災の復興のために義援金を集めるためにJ-FRIENDSとして活動することになった。CDをリリースしてその売り上げを阪神淡路大震災の復興のために寄付するというものだった。阪神淡路大震災当時小学一年生だった子供たちが中学卒業するまでの期間限定ユニットだ。
もちろん、わたしはJ-FRIENDSのCDを買った。復興のためというよりも、ただCDがほしくて買ったにすぎないんだけどね。
なぜそんなことを書いたかというと、テレビでJ-FRIENDSメンバーだった人たちの口から「J-FRIENDS」ということばが出ていたからだ。
ただまた結成してほしいなあなんて考えてたりする。
もしも実現するなら、今度はなんのために結成するのか。
地震災害への寄付?
コロナに関しての寄付?
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