第33話 募る思い
……数時間か?数日か?それか……数分?……今の僕には時間の経過が解らない……
人間の若返りを研究しているこの研究所で、所長と名乗る男に打たれた赤いクスリ。
僕は激痛と昏睡を繰り返して、もう身体を起こす力すら残っていない。
血の匂いと鉄の味に猛烈な吐き気が襲ってくる。
身体を巨大な手で引きちぎられ、押しつぶされる痛みがずっと続いていた。
浅い息で呼吸する僕がベッドの上で目を開けた時、白衣の男がのぞき込んだ。
「所長。意識が戻ったみたいです。引き続きインフィニットを与えますか?」
その声で所長が、こちらに近づいてきた。
「やあ、目が覚めたようだね。思ったより元気だ。君はとっても有望だよ」
目覚めた僕を見た所長は、本当に嬉しそうだ。
「殆どの者が最初の一本で意識が戻らない。君は強い意識があるみたいだね……何か支えになるものでもあるのかな?」
口に詰め物をされ話せない僕は、唯一所長に見せる事が出来る瞳を向けた。
「その瞳に意識を保つ力が残っている。フフ、もしかしてセカンド、あの子が心の支えとか……いいね、若いとは素晴らしい事だ。仮想の世界の二次元の彼女への想いが君を支える……まさに究極の愛だね。プラトニックな肉体を抜き去った愛情。まあ、それも否定はしないが、君は彼女が美しい姿じゃなかったら、どうだったのだろうね?君は本当にあの娘の心だけを愛したかな」
(彼女の心だけを……そう思ってここに来た。でもこの痛み、全て拘束された僕は……)
瞼を閉じた僕を見た所長は、少し驚いた様に見えた。
「まさか、本気であの娘を愛したのかい?……抱くことが出来ない女を」
所長は言葉を途中で止め、僕から視線を外した。
「どちらが正解かな? 君の思う心の繋がりと、私の思う肉欲を求める身体」
僕は意外な言葉に所長を見た。
「フフ、なるほど君は心と体の両方が欲しい……そう思っている。だからこそ、ここにを探しに来た。心と体を一つにするために……いいね、どちらか選ばない論理的ではなくても自分の希望を全て通す行動……それで全て失う事になっても、今はその怖さを知らない。若さという愚かさが、私には羨ましいよ」
(肉体か心のどちらか選ぶ? どちらも必要だろう? ゲームでもキャラを操る人に、肉体と心があるから気持ちが通じる)
「もし君が心だけを求めたなら、こんな事にはなっていない。今もあの娘と楽しくお話をしていたはずだ。一つを得たんだからそれで我慢するべきだった。求めても、何も得られない事だってあるのだから」
白衣の男が赤色の液体が入った、注射器を持って歩いてくる。
「少し無駄な話をしたかな。君が元気すぎるせいだね」
目を大きく開き恐怖に震え、激しく首を振り哀願する僕。
所長が白衣の男から注射器を受け取った。
「今日は徹夜明けでね。この後、研究所のスポンサーの老人達に報告を求められている。一刻も早く男のを造れとね。老人たちは焦っているのだよ、老いた彼らを、死神が口を開けて待っている。手遅れになる前に早く若さを取り戻したい」
僕の腕に注射器が突き刺され、赤いクスリが血管から体中に回り始める。
これから起こる痛みを予想して、無意識に震え始める僕の身体。
「じゃあ君。明日までしっかりと正気を保っていてくれよ」
恐怖を見せる僕の顔をじっくり見てから、所長は部屋から出て行った。
誰もいなくなった真っ白な部屋には、影が出来ない人工の光が煌煌と差している。
すぐにあの痛みが襲ってきた。身体の筋肉が全部反転するような痛み。
涙を流しながら、どうにもならない、この理不尽な状況に全てを後悔して全てを呪う。
(なぜここに来てしまったんだ!?あの時、少女の忠告を聞いていれば……)
果てしなく続く苦痛。完全な絶望の中で、微かな希望が辛うじて正気を留める。
それは微かな希望、少女に会う事。
(でもこのままではそれも……)
カチ、微かな音がした。僕の目に小さな光が点る。
ほんの小さい光、ベッドに脇に置かれた、小さな医療用のディスプレイ。
そこに、赤い瞳を伏せ、涙を流す青い髪の少女が写る。
「ごめんね……あたしのせいで……」
少女の言葉に、僕は心が弱くなり涙が止まらない。
「……君は何処に居る……助けにきた……」
小さな呟き。僕の体力と精神は限界を迎えていた。
「でも……君の居場所を聞いても……今の僕には君を助けられない……」
カチ、再び音がした。すでに音である事以外は、認識できない僕の弱った感覚。
音とともにスッと、小さな医療用のディスプレイに、揺らぐ蝋燭の火のように灯ったビジョンは、微かに揺らぎながら少女の想いを僕に伝え消えた。
少女が語る、最後の微かな物語。
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(……ここは……暗い……何も感じない……)
少女が銃で撃たれる衝撃的なシーンを見たときに、あたしの瞳は赤く染まった。
そこに駆けつけた、黒服の男と研究員に捕まり何か身体に注射された。
身体の感覚が無くなり、意識も薄くなったあたしは、手術室へ運ばれた。
あたしにあてられる複数の冷たい感触。自在に動き回るその感触はすぐに激痛に変わる。隙間がないくらいに、あたしの側に立ったメスを持った男達。想像を越える痛みと恐怖があたしを襲い続けた。そして、眼鏡を掛けた男の持つメスの切っ先が、私の瞳に近づいてくる……その後の記憶が切れていた。
でも覚えている事がある……私の苦痛の表情を見ている眼鏡の男。
それがあたしが人間だった最後の記憶。
どれくらい時間が経ったか、わからなくなる程の無の時間があった。
……ここ何処なの?私はなにをされたの?……
突然目の前が明るくなった。
あたしの目に真っ白な部屋が写る。そこに所長が立っていた。
「どうだね。良く見えるかな? カメラやセンサーの調整がまだ出来てないのだが」
眼鏡をスッと直す、所長の姿を見て私は叫んだ。
「あたしに何をしたの!?」
「実験してみたのさ」
所長のその言葉、声……私には聞えているのに……何かもやっとしている。
感覚がおかしい。あたしは自分自身に違和感を覚えた。
「生体チップから得た知識を使って君の魂をエーテル化した。それを研究所のサーバーに入れてみた。もう食事を取る事も眠る事も必要ない……素晴らしいだろう?」
「エーテル化? それは何? 私に何をしたの?」
あたしを楽しそうに覗き込む所長。
「いい声だね、ゾクゾクしてくる……エーテル体とはね、人間の魂を完全にデータ化したものだ。勿論、現在の科学では実現出来ない。魂とデータは違うものだからね。だが、ケルブの技術は違う。君の魂は今この部屋のサーバーに格納されている。君は情報だけで生きているんだよ」
(ケルブの技術? サーバー? あたしは魂を抜きとられた?)
「返して、あたしに身体を返して!」
白い部屋のスピーカーから私の声が響いた。
「君の体は大事な実験の素材なんだ。もっと実験したいな……ただ君が私の頼みを聞いてくれれば、身体を戻してあげてもいい」
あたしは必死に、醜悪な笑みを浮かべる所長に聞く。
「何を……何をすればいいの? 身体を返して……お願い!」
所長は部屋の壁に掛かった、大きなディスプレイを指差す。
そこには無数のラインで繋がった、世界中のネットワークの情報が表示されていた。
「ネットの世界へ出て、男の天使を連れてくればいい」
(男の天使?男を連れてくる? 十四才のあたしが?)
「男を連れてくるなんて……そんな事あたしには……出来ないわ」
「完全にデータ化されたエーテル体の君は、自由にネットを旅できる……そして」
所長はディスプレイの中に映る、あたしの顔をまじまじと覗き込んだ。
「うちの職員で、二次元の少女が大好きな奴がいてね。君のデザインはそいつに任せたのだよ。今の君の姿なかなか似合っている。顔も身体も萌え系って言うのかな……そして、青いツインテールの髪もね」
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……小さな医療用のディスプレイの画像が消えた。
微かに残る意識……浮遊する心。そして感じた少女のビジョン。
痛かった。苦しかった、寂しかった、恨んだ、絶望した。
それでも生き続けた……実験体として生かされた……彼女の心。
僕の心に残った少女の想いに、僕は初めて人の為に泣いた。
苦しさから消えかかった、僕の心が戻って来る。
(逢いたい、どうしても君に逢いたい)
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